【求不得苦(1)】
■仏教では苦しみを八つに分けて教えられていますが、
その一つが「求不得苦(ぐふとっく)」です。
文字通り“求めても得られない苦しみ”です。
釈迦は、全ての人が逃れられない普遍的な苦しみの一つとして
この苦しみを説かれています。
■こう聞かれて、全ての人の受ける苦しみとはいえないのではないか、
と疑問を呈する人があります。
中には求めてきた目標や夢を達成して、
満足している人もいるではないか、
たとえば、金メダルを獲得した人、ノーベル賞を受賞した人、
自分の作った曲がヒットした人、など。
そんな人は“求めても得られない苦しみ”はないだろうから、
万人の普遍的な苦しみとはいえないのでは
との疑問です。
■ですが釈迦は、そんな人も「求不得苦」で苦しんでいる姿に
変わりはないと、説かれています。
なぜなら一つのものを手に入れても、
今度は何か違う次のことを求めてしまい、
なかなか得られずに苦しむことになりますからです。
■文豪、夏目漱石の「吾輩は猫である」に
評されている西洋文明論は、
「求不得苦」が万人の普遍的な苦しみであることを
示唆しています。
「西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、
あれは大なる欠点を持っているよ。
第一積極的と云ったって際限がない話しだ。
いつまで積極的にやり通したって、
満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない。
向に檜があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。
とその向うの下宿屋が又邪魔になる。
下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。
どこまでいっても再現のない話しさ。
西洋人の遣り口はみんなこれさ。
ナポレオンでも、アレキサンダーでも
勝って満足したものは一人もないんだよ」
■無限の欲を持つ私たちには、
「求まった」という満足や完成がないことを
「求不得苦」と釈迦は喝破されました。
その上で人生には
「人身受け難し、今すでに受く」
(よくぞ人間に生れたものぞ)
という大満足する境地があることを
釈迦が教えられたのは驚嘆すべきことです。