親鸞に学ぶ幸福論

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1000冊読まないと、1冊の本は執筆できない

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【精進(2)】


私は20代の頃より、仏教を人に話すのは場数を踏んできたので、

「話す」方はそこそこ慣れていますが、

「書く」方はしてこなかったので、

四十の手習いで、今になって文章を勉強しています。

 

「話す」時は、その場の雰囲気や聞く人の表情から、

何度も言い直したり、言葉を重ねたり、強調したりして、

意思の疎通ができます。

ところが「書く」となると、簡潔に言い切らないといけないので、

文章の構成や順番、表現など、いろいろ難しい問題があります。

そういう視点でプロの作家の書く文章を読むと、

「上手いなあ」と感嘆することが多く、

その文章をその人が書いた時の年齢を調べて、

自分と同年齢だったり、自分より若かったりすると、

なんともいえない焦燥感を覚えます。

また「1000冊読まないと、1冊の本は執筆できない」

と執筆業の人からはよく聞きます。

自分には圧倒的に学びが足りないと思いますし、

基礎的な力の無さを思い知らされています。

 

しかし今まで苦労してこなかったのだから、

研究工夫努力の総量の結果が全く違うことを明らかに見て

今こうして向上の機会を与えていただいている環境に感謝し、

少しでもマシにならねば、と研鑽しています。

 

例えは適切かどうか分かりませんが、

ちょうど空手家が現役選手としてのピークを過ぎた30代で、

総合格闘技に転向して、

始めてタックルや関節技の基本を学んでいるような感覚、

とでもいいましょうか。

今はコロコロ倒され、ガンガン関節決められている状態で、

文章の基本からできていない状態ですが、

それでも悲観ばかりしているわけではありません。

 

「書く力」と「話す力」は無関係ではなく、

話してきた経験値は、書く力にも生かせるという手応えも

感じています。

総合格闘技の試合でも、

タックルや関節技の対処がそこそこできるようになれば、

長年培ってきた空手の技が有効に作用するようなもので、

今まで生きてきたものを活かさなければならないと思っています。

 

私の仏教講師の友人で、

英語で仏教を伝えると40代で奮起した人があります。

全く英語も聞き取れなかった彼が、

ここ3年あまりで、ベトナムやインドで

英語で説法するまでになりました。

(今もニュージーランドに招待されて行っています)

 

親鸞聖人は当時の平均寿命より上の50歳を過ぎられてから、

大著『教行信証』のご執筆に取りかかられました。

愚禿鈔』にいたっては83歳で書かれています。

 

「もう若くないから」となんか言っておれない、

親鸞聖人の教えをしっかり学んでいる、という

何物にも代えられない核になる部分があるのに、

それを伝える手段で、壁が高いから、今さらなんだし、などと

二の足を踏んでいる場合ではない、

常に挑戦していかねばならないと思っています。

 

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