親鸞に学ぶ幸福論

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哲学者・三木清は、浄土真宗の信仰によって死んだか

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【親鸞聖人(1)】


こうしたメルマガにせよ何にせよ、情報発信している人は、

聞き手、読み手の心を考えて言ったり、書いたりすることに努めているものです。

私も文章を書きながら、読み手のことを考えます。

読者から「それでもか」との声も飛びそうですが、

すみません、これでもそうなんです。

 

読み手の気持ちになって自分の文章を読むと、

声なき声がいろいろ聞こえてきます。

「もっと核心を書けよ」

とか、逆に

「こんな難しいこと書いても読者は共感しないよ」

とか、

「こんなことを書いてて、ひまだなあ」

などなど。。。

 

そういうサイレントクレームを、

ものを書く人は背中で感じて書いています。

「書くことは恥をかくことだ」と、

書いている本人は自覚しているのです。

 

時にはサイレントではなく、回り回って私の耳に届く批評もありますし、

匿名で批判してくる人も度々です。

いただく批判の中には図星もあれば、的外れな指摘もありますが、

いずれも向上の糧になりますので、有難く拝聴しています。

 

一方で「じゃお前、同じことやってみろよ、そしてオレと同じくらい結果出してみろよ」

と思わないでもありません。

 

書いてて一番悩むのは、「どこまで書くか」です。

読んでおられる一般の人がわかる内容でなければ書いている意味がないですし、

さればといってどこにでもある無難な内容になってしまうと、

仏教、親鸞聖人の教えの核心を鮮明にもできません。

 

そういうことをいつも悩んでいるせいか、哲学者・三木清の

「表現者は、表現の機会に言わなかったことに対する責任がある」

との言葉が心に残りました。

 

大臣の失言が国会で問題になり、辞職を迫られたり、

テレビでのコメンテーターの発言が物議を醸したり、

ブログの記事が炎上したりするので、

つい情報発信者は、角が立たず一般受けする無難な言い方ばかりに終始するようになります。

 

それは「言ったことへの責任」を気にしているのですが、

それよりも問題とすべきは「言わなかったことに対する責任だ」と、三木は言います。

表現の機会を与えられながら、

言うべきことを言わない、

声を上げなければならない時なのに、

責められるのを嫌って声を上げようとしない、としたら

表現者としての責任を果たしていない、と彼は言っているのです。

 

軍部と皇道右翼を批判し、治安維持法違反で投獄された三木清は、

劣悪な衛生状況の刑務所内で疥癬を患い、獄中死しています。

守らねばならない家族もいながら、

思想や信条を理由に殺されたようなものです。

その彼の「表現者の言わなかったことの責任」との言葉は重いですね。

 

自分も親鸞聖人の教えを説く親鸞学徒の一人として、

言うべきことは言わねばならない責任があります。

どれだけその自覚を強く持っているか、

突きつけられたような気がした三木清の言葉でした。

 

三木清は晩年、親鸞聖人の著書『教行信証』に心酔し、

「『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である」

と、感嘆しています。

また「ぼくは親鸞の信仰によって死ぬだろう」と友人の本多顕彰氏に語り、

「私はほんとうにびっくりした。合理主義の理論家三木が、私の抵抗しつづけてきた、あの地獄極楽の浄土真宗の信仰によって死ぬなんて!」と驚かせています。

遺稿となった未完の原稿のタイトルは『親鸞』でした。

 

 

 

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