親鸞に学ぶ幸福論

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「慶ばしき哉」で始まる親鸞聖人の『教行信証』

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【慶ばしき哉(1)】


「よろこばしきかな」で始まり、

「よろこばしきかな」で終わる親鸞聖人の主著『教行信証』は、

絶対の幸福に救い摂られた聖人の、

書いても書いても書き尽くせぬ喜びがあふれています。

文芸評論家の亀井勝一郎氏は

「『教行信証』全巻には大歓喜の声が響きわたっている」

と驚嘆しました。

 

私たちも時に「ああ、幸せ」と高揚感に包まれることがあるにはあります。

しかし決してその幸せは続きません。

何かことが起きれば、たちまち喜びは霧散してしまい、

あの幸福感はどこへやら、失望のため息、悲嘆の涙に変じます。

いや何も起きる前から、いつこの幸福の座から引きずり下ろされるかと

憂鬱な思いが胸一面を襲い、

自己の幸せを脅かすものすべてに疑心暗鬼の目を向け、心ひそかにおびえています。

時にそれは「こんなに悩むくらいだったらいっそのこと幸せになんかならなければよかった」と思うほどです。

 

親鸞聖人が獲られた絶対の幸福は、

そんな今日あって明日どうなるか分からないような幸福ではありませんでした。

絶対に色あせることも薄れることもない安心、満足です。

 

『教行信証』には「慶喜いよいよ至り」ともあります。

世の中で、喜びがいよいよ込み上がってくる、ということがあるでしょうか。

だんだんと色あせていくことはあっても、

だんだん喜びが増していく、そんな幸福がどこにあるでしょう。

これまでの人生を振り返ってみてもちょっと考えられません。

「バカな、そんな心の世界があるものか」と思われる人があっても、それは当然です。

まともな常識人ならそう思うでしょう。

それは世の一切は無常であり、

その無常のものを支えにしている心もまた無常だからです。

 

しかし親鸞聖人は「あるんだ」と、一切が滅びる中に滅びざる真実の幸福があることを

『教行信証』に高らかに謳い上げられています。

 

それは何かを主張し「こうだから幸せ」とか、
  
自分に言い聞かせるように「こう思えば幸せ」とか、
  
そんなとってつけた喜びではなく、

ただただ広く大きいその喜びを告白され、

深く深く感謝を述懐されている筆の跡なのです。

その熱火の法悦は八百年の時を超えて、

『教行信証』を読む者の胸を打ち続けています。

 

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