親鸞に学ぶ幸福論

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理想の人はなぜ最低な人に変じてしまったのか

 

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【愛憎(2)】


『愛憎』について、先回から話をしています。

ある女流作家が自身の半生を書き綴った手記を読んだときも、

この「愛憎一如」の釈迦の教えが思い返されました。

 


彼女の最初の結婚は3年で終わりました。

周りに流されず自由に生きているその男の姿にあこがれ、

あのように自由に生きたいと結婚したが、

生活を共にしてみると、

理想の男が、最低の男に変じるのに時間はかからなかった。

自分の自由を押し通すために、

周りの人の気持ちを踏みにじっているだけの、

ただのわがまま男だった、とのこと。

自由に生きたいと思っていた彼女にとって、

結婚した男のためにどんどん不自由になっていく状況は耐えられなかったのです。

 


「恋は盲目」「惚れて眺めりゃあばたもえくぼ」とはよく言ったもので、

恋をしているときは、相手の全てがキラキラと輝いて見えます。

それが一転、恋の魔法が解けると、

「優しい男」はただの「優柔不断男」に、

「リードしてくれる男」は「わがまま男」に思えてくる。

今までえくぼに見えていたあばたは

なんだ、あばただったのか、とわかり、

そのうち相手のえくぼまでもが、あばたに見えてくる、

そうなったら二人の関係は末期症状です。

 


大好きになった理由は、いつしか大嫌いな理由に変わる。

これも「愛憎一如」の実態です。

 

 

 

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愛と憎しみは近いと説く仏教

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【愛憎(1)】

 


恋人に腹が立つのはなぜでしょうか。

「他の人にはそんなに腹が立たないのに、恋人にはなぜかイライラして怒りをぶつけてしまうんです」

そんな人は少なくありません。

「好きな人だからいつまでも仲良くしたいのに、どうしてかいつも怒りをぶつけてしまい、相手に嫌な思いをさせてしまう」

と悩んでいる人は、ことのほか多いと思います。

 


「嫌いな人に腹が立つのなら分かる。でもそうじゃない、

好きな人なのに、愛しているのに、どうしてこんなに腹が立つのだろう」

と首をかしげるのでしょうが、これは何もおかしなことではありません。

【愛しているからこそ怒りも出てくる】ものだからです。

 


仏教ではこれを『愛憎』といいます。

愛と憎しみは紙の表と裏のような関係だと、ブッダは説かれています。

愛し、信じ、たよりにし、支えにしているからこそ、

分かってくれないとショックを受けるのだし、

裏切られたら腹も立つし、悲しくて仕方なくもなるのです。

 


愛する気持ちが弱ければ、裏切られた怒りも小さいです。

支えにし、たよる気持ちが少なければ、

相手の気持ちや言動にもさして傷つきません。

立ち直れます。

立ち直れないのは、ぞっこん好きになった相手に裏切られたときです。

「この人なら」と自分の気持ちを寄せると、

とたんに相手の言動に敏感になります。

「自分はこんなにあなたのことを考えているのに」

「そのために相当、他のことを犠牲にしているのに」

それなのにあなたから「こんなことをされた」「こんなことを言われた」と苦しくなるのです。

 


これは恋人だけではありません。

「この子のためなら」と愛して育てた子供が

自分に対して暴言を吐いたり、無視したりすると、腹が立って仕方なくなるのも、

『愛憎一如』です。

 


会社、上司に腹を立てたり、組織の体制に憤りを覚えるのも、同じです。

上司や組織に過剰に依存しているからです。

 


あまり一人の人を強く依存すると、

相手の言動にいちいち一喜一憂したり、怒ったり、泣いたりして気持ちが保てないので、

一人の人を愛さず、他の人ともつきあって、

気持ちにバランスを取るようにしています、という人も少なくありません。

 


この『愛憎一如』の人間の実態を知ると、

「愛」は私たちに喜びを与え、幸福を支える、大切なものですが、

同時にそれは「憎」を引き起こし、不幸や涙の元となりうるものだとわかります。

 


ではこの『愛憎一如』の私たちの人生に、

真に頼りになるもの、支えになるものがあるのでしょうか。

 

 

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誰からも必要とされない孤独地獄の苦しみ

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【孤独地獄(1)】


「It's automatic 側にいるだけで、その目に見つめられるだけで

 ドキドキ止まらない Noとは言えない」

宇多田ヒカルのデビュー曲「Automatic」です。

当時15歳の宇多田ヒカルが、恋する少女の心情を等身大で歌って、

センセーショナルともいえる大ヒットとなりました。

君が必要なんだ、と訴えかけてくる目、

そんな目で見つめられると、ドキドキが止まらない、という歌です。

 


人から必要とされた時、私達は力みなぎり、元気がわいてきます。

自分を必要としてくれる人との出会いには、人生を変える力があります。

 


世のお父さんたちが満員電車に揺られ、夜は残業し、

疲れた身体に鞭打って頑張れるのも、

奥さん、子供にたよられ、必要とされているからです。

 


会社でも「わが社には君の力が必要なんだ」と励まされれば、

勇気百倍みなぎる気持ちになります。

 


自分を必要としてくれた、この喜びは

「焼肉食べ放題」といった、刹那的、肉体的快楽とは比べようもありません。

 


逆に「お前、いたんか?」という扱いを受けると、意気消沈してしまいます。

家庭でも相手にされない、

職場でも、いてもいなくてもいい存在、となると

辛く、さびしくなり、死にたくなってきます。

 


自殺者の主な要因は、ここにあるといえましょう。

ある学者が多くの自殺者の遺書の内容を研究したところ、

借金や病気、人間関係のトラブルや絶望は、

自殺者にとって重大な要素ではないことがわかりました。

遺書から明らかになったのは、自殺者が、

「自分が周りの人たちにとってお荷物である」

と感じていたことでした。

彼らは、自分はいない方がいい、と考えていたのです。

この孤独感が人を死に誘うのです。

 


カネやモノに恵まれ、美味しいものを食べたり、旅行に自由に行けても

「誰からも必要とされない」孤独は、もう癒されるものではありません。

 


だから誰しも人は、必要とし、必要とされる人との絆を、命としているのです。

そんな人との出会いを必死に求めて、大人も子供も、男も女も、

「さびしい、さびしい」と、さまよい続けています。

これを仏教では「孤独地獄」といわれています。

 

 

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「今回だけだから」の悪魔のささやきが身を滅ぼす

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【忍辱(3)】

 


ボルネオ島の人々が、オランウータンを捕らえる方法は奇抜です。

なみなみと満たした水ガメに、アリックという強烈な酒を数滴垂らし、

オランウータンの巣の下に置くと、

香りに引き寄せられ、オランウータンが飲みにくる。

その翌日から少しずつ、酒の量を増やしていくと、

いつしか彼らは酒の味を覚え、好むようになっていく。

やがては生のアリックをもガブ飲みするようになり、

酔っ払って、石を投げたり木を折ったり、

散々乱暴した揚げ句、ゴロリ高鼾で寝てしまう。

そこを難なく、捕らえるというのです。

 


人間もオランウータンを笑えません。

最近も芸能界でありましたが、酒で人生を棒に振る人は跡を絶ちません。

「酒は百薬の長」「酒は人間関係の潤滑油」

と言われるように、ほどほどの嗜みなら効用もありますが、

怖いのは、ほどほどで終わらない、ところにあります。

 


「飲み過ぎないよう自制してます」と言っても、

その自制心を緩ませてしまうのが酒です。

「一杯だけなら」が命取りになるのは、そのためです。

飲むと気が大きくなり、「もう一杯」「あと一杯」と杯を重ねてしまい、

飲んでいたつもりが、いつの間にかのまれてしまう。

そこに酒の怖さがあるのです。

 


酒だけではありません。

ギャンブル、不倫、借金、薬物・・・

「ちょっとだけ」「一回だけなら」と気が緩み、

結果、人生を台無しにする人がどれだけいることでしょう。

 


「しない」と決めたことはしない。

「やめる」と誓ったことはやめる。

この忍辱(忍耐)の積み重ねが、人生を好転させていくのです。

 

 

 

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自暴自棄になるか、人生の資産となるか、の分岐点

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【忍辱(2)】


gooランキングのよると「自暴自棄になる瞬間」の第1位は、

「努力が無駄になった時」でした。

家の都合で進学をあきらめたとか、

怪我をして引退勧告を受けたとか、

起業した会社が立ち行かなくなったとか、

それが人一倍努力を重ねてきた人ほど、喪失感はひどく、

すべてを投げ出して、どこかに消えてしまいたい気持ちになるものです。

 


先回は、そんな時一番大事なのは「忍耐」だと、釈迦の教えを通して話をしました。

忍耐が、その挫折、失敗を、人生の財産に変えるのです。

 


映画監督、脚本家、役者、作家、ミュージシャンなど、表現する世界に生きる人なら、

「よし、この経験やこのときの心情を表現しよう」

となりますから、間違いなく財産です。

 


教育界に進む人なら

「いつか失望している人にアドバイスできるように、ここは前向きに乗り越えよう」

と自分の資産となります。

 


子を持つ親なら、

「子供にも、自分と同じような挫折がある時もあろう。

そんな時、“お父さんはこうしたんだよ”と、子供に恥ずかしくないような行動をとろう。

子供に“お前もこうするんだよ”と、模範を示せるような決断をオレは今するんだ」

と受け止められます。

 


一見ムダと思える経験をどれだけしてきたか、

実らなかった努力をどれだけ積んできたか、

それもその人の人生の財産といえます。

 

苦境は人生の分岐点に立つ危ないとき

 

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【忍辱(1)】


苦境に立たされる時、理不尽な思いに駆られる時は

どんな人にでもあります。

そんな時は、自分が非常に危険な分岐点に立っていることを、

よくよく自覚すべきです。

 


そこで急斜面を転がり落ちるのは簡単です。

難しいのは平坦な道を歩くことです。

ちゃんと朝起きて、目の前の仕事をこなし、

家に帰れば妻や子供の話を聞き、知人に会えば笑顔で挨拶する、

そうした当たり前の日常をこなしていくのも大変に困難な時ですが、

とにもかくにも忍耐して、その平坦な道を歩き続けること。

やがてその日々の積み重ねが、事態を好転させていくのです。

 


釈迦は「苦しいときに忍耐せよ」と教えられています。

「忍耐」を幸せの花が咲く6つの善い種の一つと説かれ、

「蒔きなさい、幸せになれるから」と勧められています。

 


人間がダメになるのは「失敗して挫折した時」ではありません。

どんな失敗や挫折があっても、人はダメにはなりません。

その失敗や挫折で「腐ったり、投げ出したりした瞬間」に、ダメになるのです。

腐らない限り、自暴自棄に走らない限り、必ず未来は開けます。

「忍耐はすべての道を通す」のです。

 

 

 

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今のパートナーと末永く仲良くしたい人が知っておきたい恋愛の研究結果とは

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【慈悲(1)】


恋愛に関する面白い研究があります。

研究のタイトルは「物事がうまくいったとき、あなたはそばにいてくれますか」というものです。

仕事が評価されたとか、テストでいい点を取ったとか、何か良いことがあり、

それを恋人に伝えた時の反応をデータに取った研究です。

結果は顕著でした。

相手のうれしい出来事に関心を示さなかったカップルは、

ことごとく別れていたのです。

【物事がうまく行った時に共に喜んでくれないのは破局の予兆】と、

データは雄弁に物語っていました。

 


失意の時に支えてくれるパートナーは、大切でかけがえのない存在ですが、

もしかしたら私たちはそれ以上に、

良いことがあった時、一緒に喜び、祝ってもらえるパートナーを

欲しているのかも知れません。

 


お釈迦さまは「慈悲の心で接する人は幸せになれる」と説かれています。

慈悲』とは『慈』の心、『悲』の心、ということです。

『慈』とは、「抜苦(ばっく)の心」、『悲』とは、「与楽(よらく)の心」です。

苦しんでいる人を見てじっとしておれず、

なんとかその苦しみを抜いてあげたいと思うのが『慈』の心です。

相手が喜んでいるのを見ると自分もうれしくなり、

いつまでもその笑顔を守りたい、

ずっと相手が幸多い人生であってほしいと願う心が『悲』の心です。

特にこの研究結果は『悲』の心の大切さを改めて知らされるものですね。

 


私はかつて師事する仏教の先生から

ーーーーー

“何か自分に出来ることはないか。”

“他人のために出来ることはないか。”

“自分が楽をしようというのではなく、人のために尽くそう、とできないか。”

“常に人の喜べることは出来ないか。”

これを十年続ける人には、周りに人垣ができる。

ーーーーー

と教えていただいたことがあります。

 


つい私たちは「どうすれば認められるか」「どうすれば儲かるか」と

自分の喜びばかりを追いかけてしまいがちですが、

その発想を「回れ右」して、周りに喜びを与えることだけを考えていくと、

それが結果的に我が身自身が最も堅実に、かつ速やかに

幸せを手に入れる道であったと、身体を通して知らされるのです。

 

 

 

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