親鸞に学ぶ幸福論

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「空事・たわごと・真実あることなし」の歎異抄が身にしみる

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【火宅無常の世界(2)】


米朝関係は、今年初めには「開戦Xデーは秒読み段階」と言われるほどの緊張状態にあり、

在韓アメリカ人が出国した時が合図、

米空母が東アジアに集まる4月が危機、

などと取りざたされていました。

 


米軍は一気に北のミサイル基地を爆撃、制圧できるか、

中国人民軍は国境を越えるのか、

日本のミサイル防衛システムは北のミサイルから守り切れるのか、

それとも緊張状態のまましばらく進むのか、

など、新聞、メディアが盛んに論じ合っていました。

 


それが今朝のニュースではどうでしょう。

平壌にマクドナルドとトランプタワーを、

日本は失職する北朝鮮軍人の雇用での経済支援を、

投資家や経営者は北朝鮮市場をビジネスチャンスに、との話題が出ています。

 


わずか数ヶ月の間に、ほとんどの人が想像できなかった展開です。

何が起きるか分からない無常の世の中、とつくづく知らされます。

「火宅無常の世界は万のこと・皆もって、空事・たわごと・まことあることなし」(歎異抄

人間の予想など、あてにならないものです。

 


よって両指導者が「新しい未来を切り開く大きな転換点」と

喧伝している現今の状況も、所詮、火宅無常の一コマ、

来年には、現在では誰も予想もつかない事態に陥っているかも知れません。

 


世の中には「予言者」と呼ばれる人たちがあり、

2018年の予言として、こぞって北朝鮮情勢を取り上げていましたが、

今頃「しまった。逆張りすべきだった」とほぞを噛んでいるのではないでしょうか。

以下は、その予言の数々。

■松原照子(東日本大震災を当てたとアピールして有名になった人)
「2018年は、ミサイル開発は今後も続くでしょう。今よりもっと悪化する可能性がある。北朝鮮から難民が日本に流れ込むでしょう」

■クレイグ・ハミルトン・パーカー(世界一当たる予言者、スピリチュアル研究家)
「北朝鮮の金正恩政権は2017年末もしくは2018年1月に、国内クーデターで崩壊する。国際社会の経済制裁は何ら役割を果たせず、米国は北朝鮮の鉄道を爆撃して破壊するだろう。そして金正恩は中国に亡命する」

■ジャミソン姉妹(米国最高のサイキック双子美女)
「米国と北朝鮮の緊張状態は、2018年も非常に高いまま続く。金正日が、核兵器を使って無謀な方法でトランプを脅かし続けるだろう」

■江原啓之(心の目でオーラや前世が見えるという人)
「2018年、北朝鮮のミサイルや核ミサイルは発射されてしまうのでしょうか。もしものことを考えて、私たち日本国民は非難生活に備えた準備をしなければいけません」

■デイビッド・ミード(聖書研究家で陰謀論で知られる)
「2018年に北朝鮮が端緒を開くかたちで第三次世界大戦が起こります。“ヨハネの黙示録の四騎士”はアメリカ、ロシア、北朝鮮、中国であり、この4カ国が真正面から対峙してこの世の終わりを迎えます」

 


何事も「空事・たわごと・真実(まこと)あることなし」。

歎異抄の言葉が800年の時を超え、普遍の重みを持つことが知らされるばかりです。

 

 

 

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西城秀樹の訃報に0.3ミリの幸福と知る

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【火宅無常の世界(1)】

 

小学生の時、いつもテレビで慣れ親しんでいた人だったからでしょうか、

西城秀樹の訃報には、一瞬虚を突かれたような驚きがありました。

その後テレビで報じられる内容から、さらにドキリとしたのは、

彼が48歳で脳梗塞を起こしていたことでした。

48歳といえば、自分と同年齢。

それまでは脳梗塞は高齢者の病気だと思っていたのですが、

自分もいつ脳梗塞になってもおかしくないのか、と思い知らされました。

 


脳梗塞は、脳の血管がつまる病気です。

脳の血管が破れれば、脳出血、クモ膜下出血です。

なんでも脳の血管はわずか0.3ミリ前後だそうで、

その0.3ミリの血管が破れると、バットで頭を殴られたような痛みが襲うとのこと。

脳という臓器は何と繊細なのでしょう。

 


脳には、0.3ミリの血管が網の目のように張り巡らされており、

その一つが破れたり、詰まったりすれば、脳梗塞や脳出血で昏倒、

そのまま意識戻らず死を迎えるか、半身不随になるのです。

 


いつ何時、脳の血管が詰まったり、破れたりしても、

そりゃ0.3ミリの細さなのですから、

今晩にでもそうなることは十分あります。

 


私の知り合いで脳梗塞で飲み込む力がなくなり、

胃ろう(胃から栄養を摂取する)になった人がありますが、

もしそうなってしまったら、今までこれがあれば幸福だと

30年、40年かけて必死にかき集めてきた金や地位、名声や健康などは、

うたかたの泡のように消え、

「こんな人生何なのか」と嘆き悲しむことになります。

 


これだけ貯金があれば、あと20年は余生を楽しく暮らせる、

旅行に行って美味しいものでも食べて過ごそうと思っていても、

その幸福は20年保つどころか、

わずか0.3ミリの脳の血管が破れただけで失います。

金も名誉も財産も、わずか0.3ミリの幸福なのです。

 


この私たちのはかない人生を、親鸞聖人は『歎異抄』に、

「火宅無常の世界」“火の燃え移った家のような不安に満ちた世界”と仰り、

「火宅無常の世界は、万のこと・皆もって、空事・たわごと・真実あることなし」

と喝破されています。

 

 

 

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新幹線殺傷事件の報道に思うこと

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【教行信証(1)】


新幹線殺傷事件で逮捕された小島一朗容疑者(22)は、

調べに対し「むしゃくしゃしていた。誰でもよかった」と供述しました。

「自分は価値のない人間だ。死にたい」と話しており、

自殺めいたメモも見つかっています。

これら一連の事件報道に「またか」といった感を受けたのは、

私だけではないと思います。

 


頻発する無差別殺傷事件はほぼ共通しています。

動機は「むしゃくしゃ」「むかついて」。

相手は「誰でもいい」。

そして一様に言うのは「死にたかった」です。

 


つい一ヶ月前に起きた名古屋市のネットカフェでの通り魔殺傷事件もそうでした。

犯人の動機は「自分が死ねないから、むかついて刺した」です。

つい先日、秋葉原無差別殺人事件から10年経ったと話題になりましたが、

あの犯人も「秋葉原で人を殺します」とのタイトルの犯行予告メールに、

「みんなさようなら」と書き込みました。

アメリカでは、毎月のように学校での銃乱射事件が起きますが、

その結末は犯人の自殺、もしくは死にきれずに投降、です。

 


これら相次ぐ人命軽視の事件に

「人の命をなんだと思っているんだ」

と多くの人が非難しますが、その言葉は犯人の心には届かないだろうなと思います。

犯人が人命の重さを受け止めていたら

「死にたい」「さっさと人生を終わらせたい」とはなりませんし、

「誰でもいいから刺してやろう」になるはずがないからです。

彼らは明らかに「人命の尊厳」を知りません。

そんな人に「人の命をなんだと思っているんだ」で反省するでしょうか。

 


どんな価値ある骨董品の茶碗を所持していても、

もし所持者がその価値を知らなかったら、

犬の餌の器にするかもしれませんし、割り捨ててしまうかもしれません。

そのずさんな扱いに「この茶碗をなんだと思っているんだ」と憤るなら、

その茶碗の所有者に骨董価値をよく分かるよう、説明しなければならないでしょう。

「そんな素晴らしい価値があるのですか、危なく捨ててしまうところでした」と

聞く相手が頭を下げて感謝されるところまで、です。

 


彼らにも同じことです。

命を大切に思えないから、がらくたを捨てるように

「死にたい」「殺したい」となっているのですから、

最も大事なのは、人命の尊い理由を、相手が分かるまで説くことです。

 


「彼らに人命の尊さを分からせることなどできるんだろうか」

という声もありそうですが、分からせることができるかどうかの大きなポイントは、

まずあなた自身、人命がなぜ尊厳なのか、はっきりしているか、ということです。

もし自分がよく分かっていなかったら、

死にたいほど人生に虚しさを深めている彼らに、

はっきり命の価値を伝えることができるはずがありません。

 


仏教では、自殺も、殺人も、虐待も、暴力も、

その問題の根っこにあるのは

「生きる意味が分からぬ深い闇へのいらだち」と説かれます。

その闇の心ある限り、「生まれてきてよかった」という感謝もなければ、

「生きてきてよかった」と感泣することもありません。

 


私たちは何のために生まれてきたのか。

何のために生きているのか。

何があっても死んではならない理由、真の人命の価値の理由はどこにあるのでしょうか。

この根本問題に明らかに答えた書が『教行信証 』です。

『教行信証』は親鸞聖人が生涯かけて書かれた本ですが、

まさにその内容は、人命の尊厳の理由を徹底して明らかにされたものです。

 


私が今回、22歳の若者が起こした新幹線殺傷事件を

このメルマガで取り上げねばと思い立ったのは、

事件を報じたニュースで、彼の部屋の本棚にある、彼が読んでいた本が数冊映し出され、

その中に、『 教行信証』の解説本があったからです。

 


『教行信証 』は鎌倉時代に書かれた古典で、仏教の専門書です。

およそ20代の若者が関心示すような本ではないはずです。

なぜ彼は『教行信証』を読もうと思ったのだろうか。

そこで私が想像したのは「なぜ自殺してはいけないのか」

「生きる意味は?」「命の重さとは?」という情報を

彼なりにインターネットで調べたのではないかということです。

もしそうなら、それは彼の、無自覚にせよ、SOSの行動だったはずです。

 


調べていく中で彼は、生きる意味をはっきり示した書として、

多くの人が語っているのが『教行信証』だと知ったのでしょう。

まさに『教行信証』は、全編を通して「人命の尊厳の理由」一つを明らかにした書だからです。

私自身『教行信証』に感動した一人として、そのことをブログに書いたことがあります。

人々を魅了し続ける『教行信証』。しかし内容の核心をほとんどの人は知らない |

もしかしたらこのような記事に触れて、彼は教行信証を読んでみようと興味がわいたのではないか、

ただその書かれている解釈が難しすぎて、最初だけ読んで分からずじまいだったのだろう、と思うのです。

 


だとしたら彼にとって痛恨事は、『教行信証』を一般の人にも分かるよう、

解説してくれる人生の師に遇えなかったこと、なのです。

 


このような人命軽視の事件が起きるたびに「少年法を重くした方がいい」という議論があり、

銃乱射にトランプなどは「銃乱射には銃だ」と教師のよる銃携帯を論議したりしていますが、

本当に大事なのは、そこではない。

人命の尊厳を明示した『教行信証』の内容を分かるように伝えることだ、と私は思います。

 

 

 

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無駄な抵抗を続けている全人類

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生死の一大事(1)】


指名手配の犯人が、逃亡生活の末、ついに追い詰められ、

一軒の民家で人質を取って立て籠もる。

幾重にも取り囲んだ警察が

「無駄な抵抗をやめなさい」とスピーカーで説得する。

そんな場面では、さすがにもう逃げられないのだし、

これ以上抵抗してもよけい罪が重くなるだけなので、

犯人も覚悟を決め、自首すべきだろうと、誰もが思います。

 


ところが実は無駄な抵抗をしているのは、

警官に包囲された強盗だけではありません。

すべての人は無駄な抵抗を続けている存在だとブッダは教えられています。

 


なぜそう言えるのでしょう。

それは人間が「死にたくない」とあがき続けたあげく、最後には「死ぬ」存在だからです。

 


相次ぐ災害に、「自分の命は自分で守ろう」と声高に言われます。

8メートルの津波に蹂躙された大震災の教訓から、

10メートルの堤防を、と論じられますが、

たとえどれだけ堤防を高くしても、死ななくなるわけではありません。

 


難病克服のために、医師も研究者も懸命の努力を重ねていますが、

たとえ医学の進歩で長生きできるようになっても、一時的です。

自分の命を完全に守り切れる人は一人もありません。

 


政治も、経済も、科学も、医学も、人間の営みは全て、

少しでも長く命を守るためにあります。

しかし、それらを総動員したところで、

二百年も三百年も守り続けることはできません。

せいぜい百年足らず。

自分の命を守ろうと懸命に戦ったところで、結局みな死んでいきます。

 


「死にたくない」と抵抗を続け、あがき、もがいた末に

この世を去っていく私たちの姿をあからさまに言えば

「無駄な抵抗を続けている存在」なのです。

 


この人間矛盾に驚き、「そんな私たちがなぜ生きるか」を究明せんと

城を出られたのがシッダルタ太子(のちのお釈迦さま)の出家でした。

 

 

 

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今、あなたは自分の仕事に熱中しているか

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精進(1)】


「これで映画の企画が通りやすくなる」

『万引き家族』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した是枝監督の、

受賞記者会見の言葉です。

これを聞いて、根っから映画を作りたい人なんだな、と感銘を受けました。

 


フランスの映画監督ジャン・ピエール・ジュネは、こう言っています。

「よく“映画監督になりたい”という人がいるが、その考え方は間違っている。

何かになりたいという考え方は、

有名になりたいとか、人から認められたいという気持ちの表れにすぎない。

大事なのは“映画を作りたい”と心から願うことだ」

この言葉もジュネの映画監督としての矜持を感じます。

 


「一番偉い」「女優にもてる」「がっぽり儲かる」

こんな動機で映画監督を目指す人は、

おそらく映画監督にはなれません。

それは「こんな映画を作りたい」という情熱で、

映画監督を目指している人に勝てないからです。

 


歌手でも一緒です。

「歌手になりたい」と語るその人の動機が、

「テレビに出れる」「儲かる」「もてる」ことへのあこがれであった場合、

根っから歌が好きで、歌っているときが一番楽しくて、

「みんなにも歌を聞いてもらいたい」という情熱に動かされて歌う人に勝てません。

「歌手になりたい」人は、売れないと失望して、嫌になってきますが、

「歌いたい」人は、例え売れていなくても、目の前の一人の人に精魂込めて歌えるからです。

 


これは仕事すべてに通じることです。

収入や名声という結果にあこがれ、仕事している人は、

仕事そのものを愛し、熱中している人には勝てない、ということです。

仕事の質、量ともに、月日と共に、圧倒的に引き離されてしまうからです。

 


自分の仕事を愛し、熱中するようにすること。

それが、成功の秘訣です。

 

 

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空事・たわごと・真実あることなき世にあって、正しい信心を説かれた親鸞聖人

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【正信偈(3)】


正信偈について話を続けます。

親鸞聖人が正しい信心を歌で教えられたのが正信偈です。

「正しい信心?そんなの、どうでもいいよ。オレには信心なんか要らない」

という声を聞きますが、

「信心」は特定の宗教を信じる人だけの言葉ではありません。

すべての人は何らかの信心を持って生きていることは

先回、様々な例を通してお話ししました。

 


もちろん何を命と信じるかは、一人一人違います。

しかしみな、何らかの信心を持って生きているのだから、

信心が要るとか要らないの問題ではない。

「生きる」とは「何かを信じている」状態に他なりません。

 


そこで問題にすべきは、何を信じて生きるかです。

何を信じようが、どうでもいい、というわけにはいかないでしょう。

なぜなら私たちは信じているものに裏切られた時に苦しみ、悩むからです。

 


病気の苦しみは、健康に裏切られたから。

ガンで余命幾ばくと宣告されたら、

「なんでこの若さで」「まさかこんな目にあうなんて」と

夜も眠れないほどショックを受けて苦しみますが、

それはまだまだ健康でおれると、

カンカンに信じていた信心が崩れて苦しんでいる姿といえます。

 


子供に虐待されて苦しんでいるのは、

「この子のためなら」と信じてきたのに、その子に裏切られたからです。

 


しかも皮肉なことに、信じ込みが強ければ強いほど、

裏切られた悲しみや怒りは大きくなるのです。

「この子のため」「この子のため」と子供を命としてきた親にとって、

その子供から虐待されたり、事故で失ったりすることほど辛いことはありません。

 


私たちは、決して苦しんだり悲しんだりするために、

生まれたのでもなければ、生きているのではない、

本当の幸福を求めて、生きているのです。

それは誰しも異存ないでしょう。

 


では自身の胸に手を当てて考えてみてください。

あなたは本当に裏切らないものを信じて、生きているでしょうか。

これらの中に「これだけは裏切らない」というものがあるでしょうか。

 


仏教は「何もない」と説かれます。

一切は「諸行無常」。

「諸行」とはすべてのもの、「無常」とは続かないということ。

世の中の一切は続かない、やがて滅びゆくもの。

私たちが信じているものの一切も例外はありません。

すべて「無常」のものばかりですから、

何を信じても、やがては裏切る、と説かれています。

 


静かに今までを振り返ってみれば、

どれだけ信じていたものに裏切られ、

辛く苦しい思いをしてきたことか、

何かを信じなければ生きてはいけないので、

様々なものを信じて生きてきましたが、

そのいずれも「諸行無常」。

今、自分が手にしているものも、

いつ自分を裏切るか、いつ自分の手から離れていくか、

一寸先は闇です。

だから一時として、心からの安心も満足もないのです。

 


では私たちはどうしたら心から安心できる幸せになれるのでしょうか。

親鸞聖人は

「本当の幸福になりたければ、絶対に裏切ることのない正しい信心を持ちなさいよ」

と教えられています。

諸行無常の世にあって、絶対に裏切ることのない「正しい信心」。

それは、いったいどんなものなのか。

その正しい信心を親鸞聖人が明らかになされたのが『正信偈』なのです。

正しい信心、本当の幸福とは何か、はっきり知りたければ、

その答えは『正信偈』にすべて明示されています。

 

 

 

 

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何かを信じなければ、一時として生きておれないのが人間

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【正信偈(2)】

 


正信偈』について話を続けます。

親鸞聖人が「正しい信心」を、

親しみやすい歌の形で教えられたのが『正信偈』です。

 


先回お話ししたように、すべての人は何かしらの信心を持っています。

何の信心も持っていない人は、ありえません。

ちょっと考えれば分かります。

たとえば(男性限定のたとえになってしまいますが)、

床屋でひげを剃ってもらう時のことを考えてみてください。

床屋はこのとき、カミソリを用いますが、

T型カミソリでなくて、あの本格的なカミソリをのど元やあごの下にあてて、

ひげをそっていきます。

もし床屋が変な気をおこして、このカミソリを横にサーッとひいたらどうなるか。

首には脳に血液を送る太い頚動脈がありますが、

これが切られたら、一気に出血多量で死にます。

そんな頚動脈のある首筋にかみそりを当てるのですから、

赤の他人に命預けているようなものなんですが、

自分自身振り返ってみても、ドキドキもハラハラもしない、

気持ちよくて、どうにも睡魔が襲ってくる。

いや、自分だけではない、

ほとんどの客は寝ているし、中にはいびきかいている者までいます。

なぜそんな平気でおれるのか。

それは「まさか床屋が変な気を起こすこともないだろう」

と床屋を信じているから、です。

 


今まで私は何度か、夜中に高速道路を友人と交代で運転して、

遠距離移動したことがありますが、

あれも考えてみれば、運転手のハンドルに命あずけているようなものですよね。

もし夜中に運転手が居眠りでもして追突したら、

急ブレーキ音で眠りから起こされた瞬間、

激突の衝撃と共に身体が前のめりになり、

フロントガラスに頭を強打し、そのまま即死です。

「まさかそんなめったなことはなかろう、

夜中の間、自分は眠りこけても、運転手が寝るはずがない」

と、その運転手を信じ込んで、寝てしまうのですから。

 


医者から薬をもらえば、どんな成分が入っているかいちいち調べてから、

問題ないと確認してから飲むという人はまずいないでしょう。

医者がくれたものに間違いなかろうと、口の中にほおり込んでいます。

医者を信じて生きているということです。

 


そもそも「明日はこうして、来月はああして、来年にはああなって」と様々な計画を立てているのは、

自分の命を信じて生きているからではありませんか。

ひょっとしたら何か事故か事件に巻き込まれて、今晩限りの命かもしれないのに、

まさかそんなはずがなかろう、と手帳に予定を書き込んでいます。

これは「まだまだ死なない」と自分の命を信じて生きている姿です。

 


何の信心も持っていない人があれば、

その人は床屋にも、病院にも行けず、タクシーにも乗れず、手帳に予定も書けません。

 


それでもなお「世の中には信じられるものなんて何もない」

と強弁する者、もしあらば

「ではあなたは、“世の中には信じられることなど、一つもない”

という思想を信じているんですね」

と切り返されるだけでしょう。

 


人間は何かを信じなければ、

一時として生きていくことはできない存在なのです。

 

 

 

 

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