親鸞に学ぶ幸福論

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説法する者の忘れてはならない自覚

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【僧(1)】


私がまだ23歳、仏教講師になりたての駆け出しだった頃、

渋谷で開かれた先輩講師の講座に参加したときのことです。

講座修了後、質疑応答の時間で、

ある中年の女性が何かの質問をしました。

その質問自体は忘れてしまったのですが、その時、先輩講師が

「申し訳ありません。そこははっきりとはわかりませんので、

調べてからきちんとお返事しますね」

と言われたことが今も心に残っています。

その時の穏やかな表情も覚えています。

今まで学校の教師でも大学の教授でも

こういう受け答えは聞かなかったので、自分には新鮮で、心揺さぶられたからです。

 

わからないことを質問された際には、

わかったふりをして、いい加減な受け答えをするよりも、

わからないことは、わからないと認めた方が、

信頼感を持つ受け答えであることを、その時、知らされました。

また先輩講師の仏教への姿勢をその返答から強く感じ、

仏教を説く者はかくあるべし、と言動で教えていただきました。

 

知ったことは言いたくなるし、

知らないことでも知っていることにして言いたいのが、

名誉欲一杯の私たちの実態ですから、

ついその場しのぎのいい加減なことを言ってしまいがちです。

ところが信用されたいと思うあまり、言ってしまったその言動こそが、

人からの信用を失わせるのです。

 

知らないことを知らないと言うのは、

恥ずかしいことでもなければ、信用を落とすことにもなりません。

後でしっかり調べてきちんとお話すれば、

むしろ「誠実で信用できる人」と評価されます。

 

 

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ノーサイドの精神とは。ビジネスも政治も夫婦もこうありたい

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【布施(1)】

 

ラグビーW杯の日本開催が迫っています。

ラグビーの魅力を経験者は「ノーサイド」の精神にある、と語ります。

「ノーサイド」とはラグビーで試合終了を指す言葉であり、

「試合が終われば勝利の側(サイド)も負けた側もない」という意味です。

 

戦意むき出しでぶつかり合っていた男たちがノーサイドのホイッスルが鳴ると、

敵も味方もなく健闘をたたえ合うのが「ノーサイド」の精神です。

試合を終えた選手たちはシャワーを浴びた後、ブレザーに着替え、

敵味方交えてパブ(酒場)で懇親会をするのが伝統です。

ここで「あのタックルにはまいったよ」「どうしてあそこでパスを出したんだ」と

酒で顔を赤らめた、ごつい男たちの、晴れやかなやりとりがあるのです。

このパブでの懇親会を愛するラガーマンは多く、

「パブはフィールドと同じくらいラグビーの一部なんだ」といわれます。

 

応援するサポーターも、応援席は決められておらず、

敵味方のサポーター関係なく自由に座ります。

相手チームの選手でもよいプレーであれば拍手するのが伝統です。

 

さらにラグビーは国境をも「ノーサイドの精神」で、

ラグビー代表に選抜される資格は、

国籍がなくても3年以上住んでいれば選ばれる資格を持ちます。

 

私たちも日常生活の中で、誰かと主義主張が異なり、ぶつかり合うこともありますが、

「ノーサイド」の精神を見習っていきたいものですね。

会議では社員同士、どちらの案を採用するかで議論を戦わせますが、

勝っても負けても会議が終われば「ノーサイド」で仲良く接したいと思いますし、

夫婦げんかもありますが、ずっと冷戦を続けるのではなく、

どちらかが謝って「ノーサイド」にしたいですし、

選挙も終われば「ノーサイド」にして国のために協力していかねばなりませんし、

国家間でも外交でぶつかっても、交渉がまとまったら「ノーサイド」でありたいものです。

 

 

 

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菩薩の種類と特徴、本来の菩薩の意味とは

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【菩薩(1)】


先日、仏教講座に来られた女性は、

中学生の時、京都・奈良の修学旅行で

寺院に安置されている仏像や菩薩像の説明を聞き、

仏や菩薩といっても さまざまな種類があるんだなあと関心を持つようになり、

どんな仏や菩薩があり、それぞれの特徴など調べるようになるうちに

仏教の教えそのものに関心を持たれるようになったそうです。

 

特に菩薩顔のストイックな、それでいて優しい感じに女性の理想を重ねるとのことだったので、

「菩薩」についてお話しました。

「菩薩」とは「菩提・薩た(ぼだいさった)」(「薩た」の「た」は「土偏に垂」と書く字)の略で、

「菩提」とは「仏のさとり」、「薩た」とは「求める人」、

よって「菩薩」とは、仏の悟りを目指して努力している人のことですよ、と説明していると、

興味深そうに聞かれ、

「ちょっと待ってください」と持参のノートを鞄から取り出されました。

なんとそのノートを開くと紙面に、観音菩薩、勢至菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩など書かれてあり、

イラスト画像と英語読みまであり、「それぞれどういう方なのですか」「この仏語の意味は」と尋ねられます。

こういう方を「仏女(ぶつじょ)」(寺や仏像に関心ある女性の意味)というのでしょうね。

 

何はともあれ仏教に関心を持っていただく機縁になるのはありがたいことだと思い、

観音菩薩と勢至菩薩が阿弥陀仏の脇士であること、

弥勒菩薩のことをお釈迦様、親鸞聖人はどう説かれているか、など話をすると、

興味深そうに聞かれます。

さらに菩薩の説明から、菩薩の心、仏の心、阿弥陀仏の願いとは、と話が進むにつれ、

「あー、そっかー」「だからなのか」と

今までつながらなかった断片的な知識が次々と結びついていったようで、

喜んでおられました。

 

こういうとき、仏教がなじみのある日本に生を受けたことは有り難いことだなと感じます。

この方は修学旅行がきっかけでしたが、

お祖母ちゃんが御仏壇であげていた正信偈が耳に残っていて、

それで正信偈の御文を懐かしく感じ、意味が知りたいとなられる方もありますし、

寺の修理をする大工の方で

「なんで寺に獅子と象の彫刻があるのか、と思っていたんですが、そういうことだったんですね」

と感心され、もっと聞きたいとなられた方もありました。

何かを糸口に仏教の教えに触れていただくこととなれば、まことにうれしいことです。

 

PS.こちらから、仏、菩薩、お経などの基本的な仏語が学べます。
https://shinran-mail.com/bukkyouno/

 

介護の言葉遣いの指導研修で敬語を教えられるのはなぜか

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【布施(1)】

 

最近の介護老人ホームの多くは、新規職員の指導研修で、

入所者に敬語を使い、相手の意思を尊重して接するよう、教えるそうです。

 

わがままな言動や妄想、奇行が目立ってきた、子供返りの入所者に

職員はつい「○○さん、おちっこ行きましょね~」と、

子供をあやすような言葉遣いをしてしまいがちなのですが、

そんな赤ちゃん言葉に過敏に反応し、腹を立てる高齢者は

ことのほか多いのだそうです。

 

なんとなく分かる気がします。

今でこそホームに入所して他人の介護を受けなければ、

食べることも歩くこともままならず、

おしめを交換してもらったりしていますが、

かつては会社や家庭を支えた大黒柱の人たちです。

プライドもあります。

それが今や人に頼られることもなく無視され、

逆に人に頼らなければ何もできないのですから、

自分が情けなく、悔しいでしょうし、

心身の衰えへの喪失感、焦燥感に日々苛まれています。

そこにきて子供をあやすような扱いをされると、

馬鹿にされ、軽んじられていると思い込み、我慢ならなくなるのでしょう。

 

嫁姑問題でも同様のケースは結構あるのではないかと思います。

だんだん老いていき、容姿も衰え、頭の回転も鈍り、体も自由がきかなくなり、あちこち病気になる姑からすると、

若い嫁に劣等感を感じる場面も多々あるでしょうし、うらやましくもなるでしょう。

嫁の発言力が強くなり、だんだん自分の発言は軽んじられ、

力関係が逆転していくことにも鬱屈した思いがこみ上げ、

嫁へのイライラになって露呈するのかもしれません。

 

私も高校時代、部活の後輩になんともいえない思いを抱えた経験があります。

テニス部だったのですが、新入生が入部してくると、

素振りから足の運び方、さまざまな技術、戦術など、先輩としていろいろ教えます。

最初は後輩が「先輩、教えてください」と慕ってくるのがうれしく、かわいく思うのですが、

半年、一年経つうちに後輩の中に、自分よりも上手い人が出てきます。

そしていつしかその後輩の、自分に対しての言葉遣いが変わってきて、

挨拶や返事もぞんざいになり、

「軽んじられてるな」「俺、なめられてるな」と嫌な思いをするようになりました。

なにしろその後輩の態度、言い方がいちいちかんに障るのです。

 

それも今から思うと、自分の錯覚だったのかなと思います。

後輩に抜かされたという劣等感、屈辱感から、

彼の言動をそう思い込んでしまったのだと今は冷静に分析できますが、

当時は「嫌な奴」とその後輩にレッテル貼ってしまっていました。

 

たかだか高校の部活くらいでも、「先輩に対して何だ、その態度は」といらつくのですから、

まして人生の先輩である高齢者と接する時はよくよく気をつけなければ、

知らず知らずのうちに傷つけ、腹を立てさせてしまっているのだと反省します。

自分以上に人生の幾山河を越え、生き抜いてきた大の大人なのですから、

決して上から目線の、軽んずるようなことがあってはならないと自戒していきます。

 

 

 

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実践して初めて知る慈悲の限界(聖道の慈悲)

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【慈悲(1)】

 

『聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり』
と歎異抄にあります。
「聖道の慈悲」とは、苦しむ人を憫れみ、悲しみ、育むことです。
つらい目に遭っている人を見て、かわいそうだと悲しくなり、
なんとか助けてあげられないかとやるせない気持ちになる、
その慈悲心が「聖道の慈悲」です。
飢餓や病気、借金、人間関係などの苦悩を除き、
金や物などを施す「人間の慈悲」のことです。


人間はお互い助け合い、励まし合い、生きているのですから、
この慈悲は忘れてはならない、大切な心だと仏教で説かれています。


だが同時にまた、かかる人間の慈悲では
本当に助け切ることができないと仏教で説かれており、
それを親鸞聖人は
『しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし』
(しかしながら、どんなに頑張っても、思うように満足に助けきることは、ほとんどありえない)
と説かれています。


日本のある女子大生の葛藤からも、人間の慈悲の難しさを知らされます。
その女子大生は、1年前に飢餓で苦しむアフリカの子供を助けたいと
夏休みを利用し、ボランティアに志願しました。
栄養失調で病気への抵抗力をなくし、死んでいく子供たちの姿にショックを受けた彼女は、
2ヶ月のボランティアを期間延長して1年間続けることにしました。
しかし毎日ボランティアに打ち込むうちに彼女は自分の行動に疑問を持つようになりました。
確かに食べ物を与えたり、伝染病のワクチンを打ったりすれば、
目の前の命を助けることはできる。
だが8億人を超える世界の飢餓人口は年々増えていて、
自分のやっていることなど焼け石に水ではないか、と思うようになったのです。
アフリカで飢餓人口が増えている最大の原因は「紛争」だと知った彼女は、
こうしてボランティアをして一人二人と助けるよりも
国連に入って国家間の紛争を対処した方が
本当の意味でアフリカの子供たちを助けることになるのではないかと考えるようになりました。
葛藤の末、ボランティアを途中で切り上げ、
日本に戻ってから国連メンバーのなるために猛勉強を始めたのです。


国連に入ってその中で活躍するには、
難関の資格試験を合格しなければならず、
優秀な知識、技術、語学力も要求されます。
その習得のため、塾に通うようになり、勉学の日々なのですが、
今はまた「本当にこれでいいのだろうか」と迷いがあるとのこと。
その迷いというのは、塾に通うお金、東京での生活費は毎月相当かかり、
一冊の参考書の値段だって、この一冊分のお金をアフリカの難民に回せば
どれだけ多くの人が飢餓で死ななくて済むか、
本当にこんなことやっていていいんだろうか、
これから勉強し、大学を卒業し、資格を取り、国連に就職するまでには
どれだけの長い年月がかかるか、
それまでの間 どれだけの人が飢餓で死んでいくだろう、
そう思うとこんな塾でこんな勉強なんかしてる場合だろうか、
という気持ちにもなってくる、とのこと。


さればと言ってボランティアの場に戻ったとしても、
自分の目の前の人からは感謝の言葉は聞けるけれど
結局それは自己満足ではないか、という思いが
また今度は起きてくると予想されて、どっちつかずな気持ちになるそうです。


真面目な人だと感心しましたし、若いのに気高い精神に心を打たれます。
この方のように真摯に人を助けようと努めた人ほど、
人間の慈悲の限界に悩むことになりますし、
親鸞聖人の『思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし』の言葉の重さを
痛感するのだと思います。

 

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禁欲ボックスのおかげで成績アップ

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【機(1)】


「禁欲ボックス」をご存じでしょうか。

スマホやゲームについつい手を出して時間を浪費してるのに危機感を覚える人に売れているそうです。

「禁欲ボックス」にスマホを入れ、タイマーを設定すると、

時間が来るまでボックスを開けられないという仕組みです。

使用した人がずらっとコメントに

「これ思ったよりもずっと仕事がはかどるようになるのでオススメです」

「勉強中に携帯いじっちゃうオレにぴったりだった」

「娘が中3で受験生なのに、Twitterに踊らされてずっと見てるので、マジで買おうかな」

「受験勉強のために買ってきます」

と書き込んでいます。

いかに現代人がスマホに使う時間が多いか、改めて知らされる思いがしました。

 

この記事読んで思い出したのが、高校三年生の夏休みです。

当時私は大学受験に向け、もっぱら図書館で勉強していました。

家にいると、ちょっと骨休みと称してベッドに寝っ転がってマンガ読んだり、

しばし気分転換と称してテレビ付けたりして、

さらには、あと15分、次のコマーシャルまで、と現実逃避して、勉強にならないからです。

それが図書館に行くと、他の受験生も勉強してて刺激され、集中力が続くのです。

夕方5時に図書館閉館のBGMで『イエスタディ』が流れるのですが、

今でもあの曲を聴くと、心地よい頭の疲労感を感じて聴いていた当時のことを思い出します。

 

図書館が休みの日に、近くの喫茶店で勉強したこともありましたが、

マンガがずらっと置いてある喫茶店だったので、あれは環境設定がよくなかったですね。

あそこで夏休みの勉強する計画を立てていたら、

間違いなく勉強にならず、マンガ読みふけって、

貴重なひと夏は終わっていました。

私の場合、図書館があったおかげで大学に進学できたと言っても、

過言ではありません。

 

仏教では、私たちの心を「機」といいます。

機械は外からの作用によってどうにでも動き出すように、

私たちの心も、結婚相手とか、職業や居住するところなど環境によって、

どうにでも動き出すので「機」といわれます。

そのような自分の心の実態が知らされてくると、

「縁」環境をとても重視するようになるのです。

 

 

 

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サラリーマンと起業の間で悩む人々

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【有無同然(3)】


最近はインターネットの普及で、

個人が在宅ワークで収益を得ることが容易になり、

サラリーマンを辞め、起業を考える人が増えてきました。

 

「サラリーマンは嫌だな、

目覚まし時計で無理矢理起こされ、

満員電車に揺られて会社に行き、

上司からはノルマの達成状況をあれこれ言われ、

同僚や部下との人間関係にも気を遣い、

がんばっても報われることもなく、また次の仕事を押しつけられる。

もううんざりだ・・・」

 

こんな気持ちになっているところに、

ネット上、SNSから「こっちの水は甘いぞ」とばかりにこんな声が聞こえてくる。

「起業して経済的自由を手に入れて、

今の私はこんなにストレスのない生活を送っています。

あなたも同じように稼ぎませんか」

 

「いいなあ、この人の生活。

起業すれば人間関係で悩むことなく、

仕事の時間も自分で自由に決めることができ、

好きなことをして稼げるのだから、

こうなった方がずっと幸せだな」

と羨望し、起業しようと決意するのです。

 

ところが起業したら幸せかというと、そうでもない。

やってみて初めて知るその道の険しさに驚き、

いつしかサラリーマン生活がうらやましくなってくる。

何がうらやましいかと言えば、何といっても「サラリーマンの安定収入」です。

どれだけ上司が嫌だ、ノルマが嫌だ、と言ったところで、

ちゃんと決められた日にきちんと決められた額が振り込まれる、

あの安定収入は何にも代え難い幸せなことだった....

これは起業してみて初めて知るサラリーマンの幸せです。

 

個人事業主は常に不安にさらされています。

今月は収益がよくても、来月は大丈夫か不安ですし、

今年はなんとかなっても、来年はどうなるか、常に生活は背水の陣です。

安定した収入が見込めるというのはどれだけ幸せであったか、

起業してみてつくづく骨身に染みるのです。

 

夏目漱石は「のんきに見える人々も心の底を叩いてみればどこか悲しい音がする」と言っています。

「あの人はのんきだなぁ」と思っている人でも、

その人と本音で親身に語り合ってみると、

「こんなにこの人は苦しい思いをしてるのか」

「そんなにも寂しくて辛い思いを抱えていたのか」

と驚きます。

サラリーマンは、

朝もゆっくり起きネクタイもせずにコーヒー飲みながら在宅で仕事する個人事業主が

のんきに見えて仕方がない。

個人事業主は、

安定した収入が入ってきて、仕事の時間が終われば酒飲んでナイター見ているサラリーマンに

のんきなものだと言いたくなって仕方がない。

「となりの芝は青く見える」で、どちらも相手がのんきに見えてくるものなのですが、

実はどちらも「心の底を叩いてみればどこか悲しい音がする」で、

その人でなければ分からない苦しみがあるのです。

 

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有無同然について動画を作成しました。
有無同然の動画

 

 

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