親鸞に学ぶ幸福論

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楽の元は苦であり、苦の元は楽である

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【逆境(1)】


みな「楽をしたい」と望みます。

ではそのために大事な心得は何かといえば、

「苦をいとわない」ことです。

苦しみたくなかったら、安易に楽な道を選ばないことです。

楽をしたかったら、苦を避けないことです。

逆説的な主張ですが、これが事実です。

『楽の元は苦』であり、『苦の元は楽』なのです。

 

真空管といえばフィリップス社といわれた1950~60年代、

真空管事業でフィリップ社に全く勝ち目がないソニーは、

未経験のデジタル電気商品に挑戦せざるを得ませんでした

それから20年も経たないうちにフィリップス社とソニーの立場は逆転しました。

 

1980年代になると、フィリップス社は不採算事業の赤字に苦しむようになり、

生き残りを賭けて、ヘルスケア事業に集中するという方針の大転換をしました。

その結果今日では、世界の主要電器メーカーの中で最も利益率が高い企業になっています。

 

経営難が成功の元となり、成功が経営の衰退を招く。

これは経済の歴史を見ても明らかです。

世界ナンバーワンの商品を持つ会社が50年以上続いたことはなく

ヒット商品に大きく依存した経営を続けると、どこかで駄目になっていきます。

 

身近なところでいえば健康もそうです。

年をとると体を動かすのが億劫になりますが

外出して歩かなくなると足腰が弱って

それが体調不良や病気のきっかけになります。

面倒でも体をなるべく動かしていると、健康が保たれ、辛い思いをしなくて済みます。

若くても部屋にこもって体を動かさず好きなものを好きなだけ食べるといった生活を何十年と続けたら

中高年になってからその歪みが必ず出てくるはずです

 

『楽の元は苦』『苦の元は楽』

楽な状態を長く続けるといつか必ずしっぺ返しが来ると思った方が良いでしょう

楽な方を選んだ対価として苦しみを受けなければならず、

苦しみに向かって進むその先に楽な世界が待っているのです。

 

 

 

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我が子を「なぜなぜ坊や」と呼んだエジソンの母

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【恩(1)】


ある30代のお母さんから聞いた話です。

DVDで映画を7歳の子供と一緒に観ていた際、

「どうしてこの人は怒ってるの?」

「なんで泣いてるの?」

と子供がいろいろ質問してきたそうで、

せっかくいい映画を観ているのに子供の質問が煩わしくて、

適当に生返事したり、いい加減に受け流していたところ、

子供が途中で「もういい」と、部屋を出て行ってしまったそうです。

お母さんは「しまった」と思ったとのこと。

こんな話を聞くと、お母さんは大変だなあ、と子育ての苦労の一端が思い知らされます。

 

「ゆりかごを動かす母の手はやがて国をも動かす」

とはイギリスのことわざですが、

発明王エジソンの逸話にもこんなのがあります。

 

エジソンは子供の頃、母親から「なぜなぜ坊や」と言われていました。

どんなことにも「どうして」「なぜ」と聞いている我が子に

お母さんは「なぜなぜ坊や」と目を細め、優しく根気よく答えてくれたそうです。

ところが小学校の教師はそうではありませんでした。

授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにする事が出来ず、

「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら大きな1個の粘土なのに、なぜ1個なの?」

と質問したり、国語の授業中にも、

「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」

と質問するといった具合で、

授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発するエジソンにあきれ、

入学からわずか3ヶ月で退学させてしまいます。

 

父親も知恵遅れだとレッテルを貼りました。

周り中から馬鹿呼ばわりされたエジソンでしたが、母親だけは信じました。

「この子は落ちこぼれなんかじゃない」

「この子は駄目な子ではない」

それからは、勉強はすべて母の手によりました。

母はエジソンに自由に学んでもらいたいと、家の地下室に様々な化学薬品を揃えます。

 

もし学校で堕ちこぼれ扱いを受けたように、

母親からも劣等生の烙印を押されていたならば

今のエジソンはなかったでしょう。

彼の偉大な発明は、子供を信じ続けた偉大な母親の存在にあった、といえます。

 

 

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東山彰良の『流』に一水四見を思う

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私たちはお互いわかってもらえず、わかりもせず、

一人一人が底知れなく寂しい人生旅路を行く孤独な旅人であることをお釈迦様は

『独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)』

“人間は独り生まれ、一人死ぬ存在であり、

皆どこからか独りでやってきて、どこかへ独りで去っていく”

と説かれていることを先回のメルマガでお話ししました。

 

『独生独死独去独来』の話をすると、

「どうせわかり合えないのなら、お互い話し合ったり近づいたりしてわかり合おうとする努力は無駄なのか」

と質問される方が時々あります。

今日はこのことについてお話しいたします。

 

東山彰良の直木賞受賞作『流』という小説は、骨太の内容でした。

登場人物は台湾、日本、中国を舞台に、さまざまな歴史を背負って生きる民族、家族です。

文化も価値観も異なるがゆえに、お互いがお互いの悲しみがわからず、傷つけ合ってしまいます。

それら登場人物が大人になっていくにつれ、さまざまな気付きから、

あの人はあのとき、どんなにこそ深い悲しみの中にいたんだろう、と思い知らされ、

その人自身も、また人にはわかってもらえない生き方を選択していく、という内容でした。

 

小説の根幹を成す主題は、作品中に紹介されているこちらの中国の詩の一節です。

【魚が言いました・・・わたしは水のなかでくらしているのだから、あなたにはわたしの涙がみえません】

この詩の一節から仏教を学ぶ人が思い出すのは、

『一水四見』という仏教の言葉ではないでしょうか。

 

『一水四見』とは、一つの水を

○人間界は飲み物と見る

○畜生界の魚は住処と見る

○餓鬼界の者は炎と見る

○天人はルリと見る

という意味ですが、一人一人今まで生きてきた環境、教育、経験、知識、皆それぞれ違うから、

同じ者を見ても同じものとは映らず、

一人一人が異なる世界に住んでいる、という仏教の教えです。


【魚が言いました・・・わたしは水のなかでくらしているのだから、あなたにはわたしの涙がみえません】という詩は、

水の中で暮らしている魚の涙は、水の中で住まいしたことのない人には見えない、という意味であり、

他の人にはもうわかってもらえない心の孤独、寂しさが表現されています。

生まれ育った時代が違う、国も違う、

わかってもらえるはずもない過去、

許してもらえるはずがない言動、

それが折り重なって展開していく小説のテーマにふさわしい詩の一節です。

 

『一水四見』の私たちは、みな異なる世界に住んでいる孤独な存在であり、

本当に相手の悲しみをわかりきることなんてできません。

しかしその「魚は水の中にいて私には涙は見えない」の理解こそが、

少なからず相手の気持ちに歩み寄る最初の一歩かと思います。

そしてわからないなりにも精一杯相手の心により沿う。

そのうち心を通わせ、共感し合えることがもし芽生えたとしたら、

それはもう孤独な人生にあってはめったにない、かけがえのないことなのだから、

大切に大切に育んでいきたいものです。

 

 

 

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「話せばわかる」は本当か。ブッダの答えとは

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【独生独死独去独来(1)】


「話せばわかる」とはよく言いますが、

現実は話してもなかなか分かってもらえないものです。

「わかったよ」と言われたからといって、

わかってくれたと思ったら大間違いです。

その後のその人の行動を見ると、少しもわかってくれていなかった、と

がっかりした経験のある方は多いのではないでしょうか。

かくいう私もきっと誰かから「あの人は話したってわかってくれない人だ」と思われているはずです。

 

人間はすべて理解し合うことなどありえません。

こちらが胸襟を開けばわかり合える、というのは錯覚です。

同じ屋根の下で暮らす夫婦でも、血を分けた親子でも、

わかり合えない部分があります。

浅い部分ではわかり合えても、

心の深い部分になってくると、もうわかってもらえません。

 

「なんで私の苦しみをわかってくれないんだ」

と相手に怒りをぶつけたくなることもありますが、

そんな時はこう自問してみたらどうだろう。

「では私は向こうの苦しみをわかってあげられているだろうか」

すると「あいつに苦しみなんかあるんかい」くらいにしか

相手のことを考えていない自己の心に驚きます。

 

だいたい「わかってくれない」と言っている本人は

自分の心をよくわかっているといえましょうか。

何かの出来事をきっかけに「こんな醜い心を自分は持っているのか」と、

自分の心に愕然とした経験は誰しもあります。

私たちは自分の心のことさえわかっていないのです。

「自分の思っていることくらい、自分が一番よく知っているよ」と言っていますが、

実は自分のわかっている自分の心というのは、

本当の自分の心のほんの氷山の一角です。

意識下深く、人には言えないおどろおどろしい欲望や醜い嫉妬や慢心など渦巻いており、

それはふだん抑え込んで表に姿を現さないので、

そんな心があることをほとんどの人は自覚ありません。

それがひょんなことで表に顔を現し、本人が慄然とするのです。

 

自分でさえわからないものを人にわかってもらおうと思っても、

それは無理です。

わかってもらえず、わかりもせず、

底知れなく寂しい人生旅路を行く私たちの姿をお釈迦様は

『独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)』

人間は独り生まれ、一人死ぬ存在であり、

皆どこからか独りでやってきて、

どこかへ独りで去っていいく、

と説かれました。

https://shinran-mail.com/dokusyoudokusi/

 

ではどうせわかり合えないのなら、お互い話し合ったりするのは無駄なことなのか、

とまた言われそうですが、もちろん仏教ではそんなことを言われません。

その問いについては次回、明らかにいたします。

 

 

 

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何事も最初が最も大変で、ここを乗り切れるかどうかが大事

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【精進(1)】

 

メルマガ・ブログに仏教の内容を毎日のように配信していると、

時々周りから「よく続けられるね」と言われます。

私にとってはメルマガを続けること自体は、

もう習慣の一部になっていることなので、

歯磨きや鉢の水やりと同様、とまで言っては言いすぎかもしれませんが、

別に大変なことでもありません。

苦労に応じた結果が返ってくることもわかっていますので、

「こんなことをしていていいのだろうか」という迷いもなく、

労力は惜しむことなく、取り組める事です。

 

新しい何かを手がけることの方がずっと億劫です。

新しいことに挑戦して失敗するリスクよりも、

挑戦しないままでいるリスクの方が大きいのはわかりますし、

これはやったらいい、やるべきだろう、ということもいろいろあるのですが、

やりかかると時間がかかって仕方ないですし、

本当に結果が出るか未知数ですし、

二の足を踏んでしまう心があります。

 

長距離走に「デッドポイント」と「セカンドウインド」という言葉があるそうです。

「デッドポイント」は、走り始めで体が慣れていないため、キツイ状態を表わす言葉です。

「セカンドウインド」とは、それでも走るペースを落とさずに続けていると体が慣れ、

比較的長距離を走れる状態に入ることをいいます。

 

私ならメルマガ・ブログ配信はセカンドウインドなのですが、

現在あることに手がけていて、それがデッドポイントのまっただ中でして、

これもいつかセカンドウインドになるのかなと、期待と不安が半分半分です。

まずは黙々と、忍耐強く進みたく思っています。

 

 

 

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嫌な仕事を押しつけられてストレスを抱えている人に

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【意業(1)】


上司や得意先から何かを依頼され、

「それは嫌だな」「やりたくないな」と思うことは誰でも経験があると思います。

そんな時、「なんでオレに押しつけるんだ」「なんでこちらの立場を考えてくれないんだろう」と

いつまでも不平不満で仕事をしていると、いい仕事はもうできませんし、

依頼した方もいやいやしているのを察するので、人間関係が悪くなりますし、

そもそも仕事をしている本人自身がストレス抱えてしょうがないです。

 

NOと言える人になれ、とはよく言われますが、

現実そうはできないことが多く、

多かれ少なかれ、こういうことでみな苦しんでいるのであり、

こういった悩みは自分には無関係だという人はいないのではないでしょうか。

 

では嫌な仕事をするときに大事なことは何かといえば、

まず自分自身に「これを自分のプラスに持っていけないだろうか」

とあえて問いかけてみることです。

すると案外なことに、たいていは自分の仕事にプラスになり、

前向きに取り組める道が発見できるものです。

考え方を変えた瞬間に

嫌だと思った仕事も嫌でなくなり、

喜んで引き受けよう、いやこれは好機到来だ、

と心が一変することだってあります。

 

これを「キノコの法則」と呼ぶ人もあります。

自分を一本の木と譬え、依頼された仕事をキノコに譬える。

木に張り付いているキノコは、木から自身の栄養となるデンプンを吸い上げます。

ではキノコは木にとって養分を搾取し続ける迷惑な存在かというと、そうではない、

土の中の水分やリンなど、木の栄養となるものを集めて、木に届けるという重要な役割を果たしています。

木は、単独で生きるよりも、キノコとともに生活することによって、

より多くの水分や栄養を吸収することができるのです。

こういったお互い助け合いながら生きている関係を「共生」といいます。

 

キノコが木の養分を吸い取るその一面だけ見ると木にとって邪魔にしか見えないように、

依頼される仕事も、自分の時間が取られ、気力、体力も吸い取られる嫌な仕事に思えてくるのですが、

その怒りや苦しみを転じる「共生」の道は必ずあるはずです。

それはその仕事を果たすことによって得られる上司や得意先からの信頼かもしれないし、

今までにない人脈が広がることだったり、

経験値が上がること、

応援してくれる人が増えることかもしれません。

いろいろ考えられますが結果的には、その仕事を受ける前よりも、

自分のやりたいことを加速させることができた、とできるものです。

 

そうなっていく最初のポイントは、「嫌だな」と思う心をまずはいったん抑えること。

そして自分も得し、周りも得をする「共生」の道はないか、真剣に、したたかに、根気よく探し続けてみることです。

 

 

 

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コスパがいいとか、生産性が悪いとか、こんなところにまで持ち出すな

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【娑婆(2)】

 

 

夏目漱石の『草枕』の冒頭はよく知られています。

ーーーーーーーーー

山道を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい

ーーーーーーーーー

心惹かれる書き出しですね。

これに続く文章がまた味があります。

ーーーーーーーーー

住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。
人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国に行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどかくつろげて、束の間の命を束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊い。

ーーーーーーーーー

人の世は住みにくく、

何のために生きているのやら、とわからなくなることもある。

せめて少しでも心が楽になりたい、癒やされたい、一時でもこの現実を忘れたいと、

人は歌い、描き、弾き、語ってきたのだし、

それを観て、聴き、読んできたのだと。

そしてそこに芸術の価値があると漱石は語ります。

 

ある20代の敏腕女性経営者が、

あまり小説を読んだことがないからと

川端康成の『雪国』を手に取って読んでみた感想はこうでした。

「読んでわかったことがあります。小説というのは非常にコスパが悪い、ということです」

 

これを聞いて「何を言っているんだ、この人は」と思ってしまいました。

コスパという言葉、コストパフォーマンスの略で「対費用効果」のことです。

個人起業家は常に、どうしたら限られた時間や費用で収益を上げるか、

コストパフォーマンスを切実な課題としているので、

コスパに敏感なのは私も同じ立場なのでよくわかります。

それにしてもです、ビジネス書ならいざ知らず、『雪国』のような文学作品を

「コスパがいい」「コスパが悪い」という感想しか持てないというのは、

人間としての大事な視点が欠けているのではないか、と思えてしまいます。

 

文学とは何のために存在するのか、

人はなぜ歌うのか、

どうしてその一瞬の何かをキャンパスに描こうとするのか、

そうせずにおれない人間の、言葉にできない情に理解のない社会は

寒々といて息苦しいものにしかなりません。

 

やがてそれは文学作品だけでなく、人と接しても

「この人はコスパのいい人だ」

「あの人はコスパの悪い人だ」

といった視点でしか見ることができなくなるやもしれません。

 

 

 

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