【老苦(1)】
人類史において長らく「長寿」は貴重なことであり、幸福の大きな要素でした。
祝いの意を表す「寿(ことぶき)」という字が使われますし、
88歳の米寿のお祝い、99歳の白寿のお祝いなど、
長生きした区切りにお祝いの行事もありました。
つい150年ほど前まで人類は、はしかや胃かいようなどの病でも命を落としましたし、
疫病で村の半分が死んだ、とか、飢饉が襲い村が全滅した、
といった事態がそこかしこで起きました。
そんな時代にそれらの不幸や災難に遭わずに長生きできることは、
貴重なことであり、人々にとってこよなく幸せなことでした。
その長らく人類が幸せの要素と固く信じてきた「長生き」が、
比較的容易に手に入れることができるようになった現代、
果たして長生きは幸福といえるのだろうか、
と人類は疑問を持つようになってきています。
しかもそれは皮肉にも、幸せになりたいと人類が全身全霊、長寿の研究工夫を重ね、
長生き社会が実現できてしまったからこそ、
起きてきてしまった疑問なのです。
その現代でも、もっとも「長寿」を体現した国が、この日本です。
日本の有する高度の医療技術、食生活、清潔な住環境、しっかりした社会保障制度は、
この国を世界一の長寿国にのし上げ、
今や60歳以上の人口割合の世界平均は14%に対し、日本は40.9%、超高齢化国家です。
ところがそのことで世界のどこよりも切実に
「長生きは良いことか」という課題を突きつけられています。
寝たきりの親の介護で仕事を離れ、その状態が何年も続く「介護離職」
80代の老いた妻が80代の老いた夫を介護する「老老介護」
軽い認知症の夫が重い認知症の妻を介護する「認認介護」
増加し続ける社会保障費、現役世代の負担増、それに伴う少子化、
高齢者の暴走事故、振り込み詐欺、孤独死etc.....
「子供に迷惑かけてでも長生きしようとは思わない」
「ぽっくり死にたい」
「長生きすると、貯金が不安だ」
と世間中がまるで長生きが不幸をもたらす元かのように語っています。
2600年昔、お釈迦様は
「人身受け難し 今すでに受く」
“生まれがたい人間に生まれ、生き続けていることはなんとありがたいことだったのか”
と心底から長生きできたことを感謝せずにおれない幸福があることを教えられました。
「長生きしなければ、こんな幸せがこの世にあることを知らなかった」
「老いても、病になっても生きねばならない理由は、この身になるためだったのか」
と老いと病と死を超える幸せがあることを、釈迦は生涯かけて説かれました。
またその幸せにどんな人でもなれることを鮮明にされたのが、
800年前、鎌倉時代に現われた親鸞という方でした。
仏教は、長生きの意義を感じられなくなった現代人の心の闇を晴らす教えなのです。
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