【正邪(1)】
日本最初の憲法『十七条憲法』には、
聖徳太子が国の柱にしようとした仏教の精神が息づいています。
『我、必ず聖にあらず。彼、必ず愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ』
“私が必ずしも正しいとはいえない。彼が必ず間違っているともいえない。ともに間違いだらけの人間のやることだから”
この一節は人間関係において大事な心得でありますし、
中でも権力を持つ政治家は肝に銘じなければならない言葉です。
自分が「正」「聖」と思い込むと、
反対意見を言う者は、絶対許せない「邪」「愚」と映ります。
権力を持つ者なら、その「邪」や「愚」は排除しようとかかります。
しかもその排除する自己の行為を正義だと思い込んでいるので、
相手の意や人権などお構いなし、で問答無用の処置となります。
一例を挙げます。
中世ヨーロッパ最大の汚点とされるのが、通称「魔女狩り」といわれる「異端裁判」です。
魔女の嫌疑を受けた女性たちが
一方的な取調べの後、投獄、拷問、私刑などの迫害を受け、
魔女であると判決が下れば、火あぶりの刑に処されていきました。
犠牲者の財産は、訴えた者、裁判官や教会へと流れていき、
彼らの私服を肥やしていくことになりました。
1400~1800年にほぼヨーロッパ全土で行われたもので、
その犠牲者の数は不明ですが、数十万とも数百万人にも及んだともいわれています。
こんな非人道的なことが許されていいのか、と声を上げる人がいなかったのは、
神に逆らう者への制裁は、通常の犯罪者以上に過酷なものでなければならない、それが神の意志だから、
との当時のヨーロッパ人の信念によるものでした。
なにしろ異端裁判の牽引車は他ならぬカトリックの法王だったのです。
魔女狩りの根拠とされたのは、旧約聖書「出エジプト記」22章の
「女呪術師を生かしておいてはならない」 でした。
聖書に書かれているから、神の代理である法王の意思だから、と
狂気はヨーロッパ中を巻き込んでエスカレートしていきました。
この異端裁判の審問官として最前線に立ち続けたのが、ドミニコ宗派の修道僧。
彼らは悪魔的なところはまったくない清廉潔白で真面目で信仰心も厚い聖職者たちでした。
ただ自分のしていることは正しいと信じて疑わない人たちだったのです。
彼らは多くの人々を残酷な運命に追いやる行為に突き進みました。
我らこそが、神の思し召しにかない聖なる業務を遂行していると固く信じながら。
堕落した者に対しては、非人道的で無神経で残酷に対処するのは当然と信じながら。
カトリックだけではない、プロテスタントも同じです。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉で有名なルターですが、
誰よりも異教徒を憎んだ男として知られます。
カトリックによる「魔女狩り」や「異端審問所」のやり方を「手ぬるい」と批判しています。
このように何百年にわたって、カトリックもプロテスタントも競うように、
神の意志という旗の下に正当化された拷問も殺戮にまい進したのでした。
ちなみにローマ法王が異端裁判を「間違いだった」と世界に向かって公式に謝罪したのは、2000年でした。