親鸞に学ぶ幸福論

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仏教で心のことを「機」というのはなぜか

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【機(2)】

■仏教では、自己の心を「機」といわれます。

 

親鸞聖人の教えには

「機の深信」「悪人正機」

などの言葉がありますが、

みな同じ意味で使われています。

 

■今日の日本語でも使われる例はありますよね。

たとえば、

犯人の「動機」は何か、といったら、

何が犯人の心を動かしたのか、ということになります。

 

心に「機微」がわかる人だ、という場合は

微妙に動く心がわかる人、ということです。

 

さて、なぜ機械の「機」が使われるのでしょう。

 

■どんな機械でも、外から

はたらきかけられて動き出します。

 

ちょうどそのように【わたしたちの心】も、

まわりの環境とか、周りの人が言った言葉とか、

外からの作用によってどうにでも動き出しますので、

「機」といわれるのです。

 

親鸞聖人は歎異抄の中に

【さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし】

「縁さえくれば、どんな恐ろしいことでもする親鸞だ」

と告白されています。

動画:さるべき業縁の催せばいかなる振る舞いもすべし

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