【因果の道理(3)】
■その人の人間性は
不幸や災難が襲ってきた時に現れる、
と聞きます。
不幸が襲った時、
▼その人の表情はどうか。
▼その人は何を語るか
▼そしてどんな心の向きになるか。
よく活目せよ、といわれます。
成功している時、羽振りがいいときは
誰でもかっこよく、ステキに見えるものです。
真に注目すべきは、挫折した時、一敗地にまみれた時です。
たいていは人のせいにして、逆恨みしたり、
社会のせいにして、ぼやいたり、
いじけたりしていくものです。
その原因を、これも『自業自得』と
己を反省向上できるチャンスと転ずることができるか。
この心の向きがその後の人生を決定的に変えていきます。
■徳川家康は「海道一の弓取り」といわれる戦上手で、
生涯合戦に明け暮れた一生でしたが、
敗戦はただの一回しかありません。
その生涯ただ一度の敗戦は家康31才、
上洛を目指す武田信玄軍を
三方ヶ原に迎え撃ったのですが、
結果は惨敗でした。
このとき、浜松城に逃げ帰る時、
あまりの恐怖に、馬上で脱糞したのは有名な話です。
家康をそしる者は
このときの脱糞を格好のネタにしますが、
むしろ私は、家康のこの後の行動に
すさまじいものを感じます。
■家康が浜松城に逃げ帰った時に
まずやったことは何か。
服も着替えずに、まず絵師を呼んで
「今の自分の絵を描け」と命じます。
その時の肖像画は今も残っています。
目はかっと見開き、苦虫かみつぶしたような顔で、
歯をぎりぎり言わせているような口元で
およそカッコいいとか品があるという肖像とはほど遠い
誰しも、負けた時、失敗した時、ミスが露呈した時、
ましてやお漏らしした自分の姿なぞ、
誰にも見てもらいたくないし、知られたくもない。
証拠があれば隠滅したいでしょう。
ところが家康は、一番無様な自分の姿を絵に描かせた。
なぜか。
「こたびの敗戦は、己の慢心にあった。」と見たのです。
もう自惚れないように、
この度の戦を胸に刻まなければ、
と慢心の自戒としたのです。
そしてその後の戦にはその掛け軸をいつも持参し、
座右を離さなかった、といわれます。
■凡将は
「あの武将の働きが悪かった」
と家来のせいにする。
ひどいのになると、
「方角が悪かった」とか。
家康は敗戦の原因を自分の中にもとめた。
このエピソードを耳にした時、
「やはり家康を天下人にしたのは偶然ではないな」
と思いました。
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