【布施(2)】
秀吉が生涯羨んだといわれる家康の資産が、
主君のためなら生命も辞さぬ強固な三河家臣団でした。
ところがその家康も20代のころ、
三河一揆で家臣団の中にも造反者が相次ぎ、
何度も苦汁を飲まされ、
命を落としそうになったこともありました。
その後、家康は家臣の心が自分から離れないよう、
人心掌握に痛々しいほど気遣っていくようになり、
やがて家康家臣団は他に類を見ない結束を生み、
戦国の世を勝ち抜いていったのです。
特に我が子信康に謀反の嫌疑がかけられた際には、
家臣の酒井忠次が信長の不審をあえて正そうとしなかったために
息子を死に追いやった原因の一つとなったとされますが
その忠次を筆頭家臣として使い続けたその姿は
「壮絶」の一語です。
ともすると私たちは
「~長」と名前が付く立場に立つと
部下が言うことを聞くと思ってしまいますが、
ここがそもそもボタンのかけ違いだと
自覚しなければならないと反省させられます。
従うのが当たり前、と思うのは、
とんでもない勘違いだ、と
言い聞かせねば、です。
『言うとおりにならなくて当たり前。
従わなくて当然。』
家康のように死ぬような痛い目に会わなければ
なかなかわからないことなのでしょうが、
これは頭に叩き込んでおかねば、と
知らされます。
「指示を聞いて当たり前。」の発想は
根底から間違い。
ここを間違えるから
揉め事だらけになってくる。
と自覚していきます。
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