親鸞に学ぶ幸福論

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瞬きほどの人生、何をなすためにあるのか

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米寿のお祝いといいますが、
米寿は88歳ですね。

八十八から、「米」となったそうです。

 

ちなみに、喜寿といえば、77歳。
白寿といいえば、99歳。
百に一引くと白、というところからだそうです

 

米寿とは、「88歳まで長生きできて、めでたいね」
ということで「寿」という字を使います。

 

でも考えてみると、なぜ長生き自体が
そんなにめでたいといえるのでしょう。

 

80、90まで生きて死んだ場合は、
「そこまで長生きできたんだから、よかったじゃないの。」
「大往生よ。」
とまるでその人の人生すべてが
肯定されたかのような評価を受けたりします。

 

逆に40代や50代で夭逝する人があると、
「まだまだ人生これからだったのに」
「なんでこんなことになっちゃうの」
とみな泣きじゃくる。

まるでその人の人生がすべて失敗だったかのような、
悲劇の主人公の如くな扱いを受けます。

これはいかがなものか?

 

果たしてそんなに長生きすることが
尊くめでたいことなんでしょうか。

 

満天の星空は、何万光年のかなたから、
われわれの目に光を届けている。

あれらの星ぼしは、みな恒星(太陽)で、
何万光年の距離をへて、この自分の角膜に光を届ける。

一秒で地球を七週半回るという、光の速さで何万年です

なんて途方もない時の流れでしょう。。
悠遠な空間でしょう。。。

 

そんな大宇宙の歴史に比べたら、
70~80年の人間の命なぞ、
できてはすぐ消えるシャボン玉のようなものです。

 

夏、かまびすしく鳴くセミも、
孵化してから、7日前後で死んで行きます。

80年生きる人間から見ると、
セミの一生は、実にはかないものですよね。

セミの一匹が、
「あーあ、退屈だなあ。ひまつぶし、どうしよう」と、
ぼうっと過ごしているのを見ると、
「お前7日間しか生きれないのだから、
 もっと大切に生きろよ」
と文句のひとつも言いたくなります。

 

7日間で死んで行くセミが、
すごく健康に気を使い、9日まで生きた。   

そういうセミを人間は
「まあ、なんてめでたいセミ」
と祝福するでしょうか。

あるいは、5日間で、不慮の事故で死んでいったセミを、
「なんてかわいそうなセミ、これからだったのに」
と悲嘆にくれる人間があるでしょうか。

 

大宇宙の悠遠さを前に、
人の命とて、50で死のうが、80で死のうが
何の違いがあろう。

【この瞬きほどの人生、何をなすためにあるのか】

星空は語りかけてきます。

 

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