【自利利他(3)】
■他人が間違ったことをしているのを見て、
私たちも注意するときがありますが、
もしその間違いをかつて自分も犯してしまったことがある、
あるいは今も犯してしまいがちである、
という場合はどうされますか?
それでも注意されますか。
それともとてもできませんか。
自分ができていようが、いなかろうが、
間違っていることを注意する、という人がもしあらば
そういう人には、みな
「お前もできていないじゃないか!」
「お前だってやりかねないじゃないか!」
「過去、お前も同じことしたじゃないか!」
とさんざん言われましょう。
これは相当つらい指摘ですね。
だからなかなか自分のできないことを言える人はありません。
しかし一方、「だからこそいい」といえます。
自分も直さなければ、と強烈に省みるはずですから。
注意する立場の者、叱る立場の者には
当然、周りの目は厳しく向けられます。
「あいつ、前はあんなに叱っていたのに同じことしているじゃないか!」
と思われるようなみっともないことだけはしたくないものです。
私たちは名誉欲 の塊ですから。
だから厳しく自己を律するようにもなります。
上司になり、こんなことでは部下に示しがつかんと襟を正すように
親になり、子供の模範にならんとしっかりするように
衆人環視のその立場は窮屈で苦しいものですが
だからこそ成長できるといえましょう。
「自分ができていないときは言えない。」
それは自分のことしか考えていない
利己的な根性だ、と仏教では説きます。
自分も徹底的に注意し、
人にも注意してもらう。
それは『自利利他』の大乗仏教の精神です。
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