【三業(2)】
■仏教では三業といって、
身体の行い【身業】(体でやること)
口の行い【口業】(口で言うこと)
心の行い【意業】(心で思うこと
の、三つの行いを教えられていますが、
中でも『意業』を最も重視されています。
■世間一般では『身業』を重視する場面が多いようです。
六法全書にも体でやった行為がほとんどです。
中に恐喝など『口業』が法的に問題になることもありますが、
身体の行為が圧倒的です。
■口汚く「ぶっ殺すぞ」とすごんで言ってくる者があっても
殺人罪が採用されることはありません。
実際に手にかけて殺してしまえば、これはもう避けられない、
れっきとした殺人罪です。
「やったのか」「やってないか」
アリバイは?シロかクロか?
身業を重視しているのが分かります。
■「言ったか」「言っていないか」
が問題になるケースも
裁判沙汰とまでいかなくても
人間関係上、相当重要視される場面があります。
ウソ、言い訳、責任転嫁、悪口、中傷、自慢話、噂話
これら口の行為で人を傷つけたり傷つけられたり、
ということはありますので、
身業に加えて、この口業も気を張るようにしています。
言動を律する、言動を慎む、ということです。
■一方心で何を思っているのか、ということは問題にされません。
心で何を思っていようが、その罪が問われることもありません。
よく「どこまでが浮気?」という
飲み会でのトークで盛り上がるようですが、
その基準は一人一人違うらしく、
・キスまで
・手をつなぐまで
・ラブラブのメールのやり取り
といろいろです。
中には、他の人を「いいな」と思ったら浮気!
と手厳しい女性もありました。
■しかし夫に「そんなこと思っていないでしょうね」と
奥さんがどれだけ問い詰めても
夫の心は詮索できませんので、
確かめるすべがありません。
口でしゃべらない限り、
メールや手紙で記録に残さない限り、
思っただけなら、思った本人しかわかりません。
だから調べようがないのです。
「思ったか」「思っていないか」
これではわかりませんから裁きようがありません。
■人が知らないのをいいことに
私たちの心の中は“無法地帯”“無秩序状態”といえましょう。
とても人に言えないような醜いことも思っている、
浅ましいことを考えているものです。
■ではなぜ意業(心の行い)を
仏教は重視されるのでしょうか。
身体で行うと人に迷惑をかける
口で言うと人を傷つける
心で思うことくらい誰にも迷惑かけるわけじゃないんだから
別に何を思ってもいいじゃないか、
という主張も聞こえてきそうです。
なぜ意業、心の行為を最も重く見られるのでしょうか。
次回はそこを論じます。
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ユーチューブで『神と仏の違い』『自業自得』について今、話をし
ております。
今回のテーマである『三業』とも密接な関連があります。
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