【業界(4)】
あなたは「一目ぼれ」の経験はありますでしょうか。
一目見て、ビビッときた。
目と目が合ったときに、落雷が落ちたような衝撃、
そのときから恋におちた。。。そんな経験。
そんな人を「運命の人」と呼びますが、
その運命は、神や霊が引き合わせたのではなく、
ひとえに「己の業による」と仏教では説かれます。
一目見ただけで好きになる、から「一目ぼれ」というのですが、
実は「一目」ではないのです。
というのは、過去にその人と声がそっくりな学校の先生がいて
優しくしてもらった、とか
あこがれていた漫画のキャラクターにどこか表情が似ている、とか、
そう思わせた「何か」が好きになった本人にあるからです。
それが思い出せないことがほとんどなので、
「理由なく好きになってしまった」としか言いようがないのですが。
嫌いなのも、またしかり。
私なら小学校の時、屠殺場でニワトリを殺していた、
いがぐり頭のおじさんの顔が忘れられず、
今でも街で通り過ぎた人がなぜか不快に思えて、
「なんですれ違っただけなのにそんなふうに思うんだろう。」
と思い返してみると、
「あ~、あの時のいがぐり頭のおじさんと似てるんだ」
と思い出すほど、自分の中ではしみついてしまっているようです。
これなんかは自覚できる例ですが、自覚できないで、
「好き」「嫌い」と分別しているものの方がずっと多いでしょう。
たとえば自分はA美さんを一目見てビビッときた。
ところがそのA美さんを友人が見ても、
まったくときめかない、ということはあるのです。
「そんな人いたっけ?」で終わってしまう
その友人にはA美さんを好きになるような業を
持っていなかったということです。
過去、その人の思ったことや行動したことが
「業(カルマ)」の力となって
その人の心の蔵【阿頼耶識(あらやしき)】に蓄えられており、
様々な縁に触れるたびに運命を引き起こす、
とお釈迦様は説かれました。
その心の蔵には、自分のとうに忘れた過去の行為も
一切が記録されており、
それどころか生まれる前の過去世の行為も含めて、
何百年、何千年と集積しているのだと
お釈迦様は説かれています。
だから兄弟といっても双子といっても、
過去から蓄えてきた業は同じではなく、
したがって求めるものも嫌いなものも
各人各様となっていくのは、当然のことなのです。
時計の音も、
金持ちは、"チョッキン、チョッキン、チョッキンせい"と聞えるが、
貧乏人には、"シャッキン、シャッキン、シャッキンどうする"と
催促に思われる。
その人その人を取り巻いている世界は、
その人の業が生み出した世界なので、
「業界」と仏教ではいわれるのです。
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