【難度海(1)】
仏教では、人生を「海」にたとえられます。
私たちは生まれると同時に、
果てしない大海のど真ん中に放り出されたようなものです。
生まれ落ち、オギャーと泣いたその時が、大海に放り出された時。
そこから私たちは、人生の海を泳ぎ始めました。
よちよち歩きしたり、おっぱいねだって泣くのは、
赤ちゃんが一生懸命「生きよう生きよう」としている姿です。
赤ちゃんも人生の波と戦って「泳ごう泳ごう」としているのです。
それからやがて幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と
進んでいくのは、どんどん泳いでいく姿です。
生きていくと、いろいろな困難が起きてきます。
人生の困難を波にたとえられています。
試験の波を乗り越え、人間関係の波を乗り越え、
病気の波を乗り越え、今までも、今も、今からも
波と戦って泳ぐのです。
「どうしたら試験合格できるか」
「どうしたらクラスであの人と上手くやっていけるか」
「どうしたら正社員に採用されるか」
それは自分に押し寄せる波の乗り越え方の研鑚です。
波の乗り越え方が下手だと潮水飲んで苦しむので、
大波、小波、それらを乗り越えるにはどうしたらいいか、
どんな泳ぎ方がいいか、どう生きたらいいか、みな考え続けます。
やがて泳ぎ方が上手になって、
塩水飲まなくてもいいようになってくると、
「大人になった」「一人前になった」と言われます。
しかしずっと泳げる人は誰もいません。
若い時は上手に泳げた人も、
老いると病気にもなり、稼げなくなり、人も去り、
上手に泳げなくなっていき、塩水飲むようになってきます。
そしてやがてどんな人も「これ以上泳げない」と
ついに力尽き、土左衛門になる時があります。
俯瞰すれば、人は水平線しか見えない海をただ泳いで、
やがて独りどこかで溺れていく存在といえましょう。
「どこへ向かって泳ぐか」「なぜ生きるか」
人生の目的という根本が脱落している悲劇を気付けと、
警鐘乱打された方が親鸞聖人なのです。
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