【無明の闇(2)】
自殺を思い詰めている人があれば
「そんな馬鹿なことを考えるものではない」
と周りは止めます。
しかし自殺はなぜ「そんな馬鹿なこと」なのでしょう。
『自殺行為=馬鹿なこと』の方程式は、どういう理由で成り立つのでしょうか。
動物が自殺するとは聞かないので、
自殺は高等な頭脳を持つ人間ならではの行動と言えます。
けんかしたり、恋愛したり、派閥を作るのは、
人間同様、さまざまな動物もすることですが、自殺はしません。
人間だけです。
となれば自殺とは、「人間らしい行動」といえるかと思います。
愚かかどうかは置いといても、
少なくとも自殺する人は、不真面目な人ではありません。
生真面目だからこそ、現実とかけ離れている現状に絶望するのです。
行き当たりばったりの生き方をし、
明日は明日の風が吹く、何をしたって生きていけるさ、と思える人なら、
自殺は思い詰めません。
むしろ真面目で、責任を感じ、逃げることもできず、抱え込んでしまう人が、
これから先の苦しい事態も予想してしまい、
死にたくなってしまうのです。
過去自殺していった人を見ても、
決して愚かな人だから自殺したとは思えません。
芥川龍之介とか、太宰治とか、ヘミングウェイとか
頭脳明晰で優秀だった人たちが自ら命を絶っています。
彼らは先が見えすぎて、人生の無意味さを敏感に感じ取っていたからこそ、
自殺したのではなかったか、とさえ思えてきます。
自殺もせずに生きていられるのは、ある種の鈍感さ故といえるかもしれません。
さてここまで自殺は愚かな行動といえるのか、問題提起をしてまいりました。
その上で言います。
仏教を説かれた釈迦は自殺の是非をどう教えられているでしょうか。
ズバリ自殺は「愚か」であると、言いきられているのです。
キリスト教では自殺は「罪悪」だといいます。
神が与えた命を自ら捨てるのは、神への冒涜だから、おそろしい罪だと言います。
一方、仏教は自殺を「罪悪」とは言いません。
「愚かだ」と教えられています。
ではなぜお釈迦さまは自殺を愚かだと説かれたのか、
釈迦ご在世中のこんなエピソードから知っていただけるのではと思います。
死んだらどうなるか、はっきりしないのに、
「天国だ」「無になる」「神社で祀られる」「風になる」「生まれ変われる」など、
根拠なき勝手な結論付けをし、死の淵に飛び込もうとしているのは
「無知だからだよ」とお釈迦さまはこのエピソードで言われているのです。
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