【諦観(1)】
営業マンのA氏は、事故渋滞に巻き込まれ、
取引先の社長との商談に一時間も遅れてしまいました。
社長は「突然の渋滞ならしょうがないですよ」と、
何もなかったかのように受け流してくれたのですが、
商談自体はまとまらずに終わってしまいました。
それまでの経緯からすると、商談がまとまるものと思っていたA氏は、
不首尾に終わったことに失望し、上司に報告しました。
報告を受けた上司も、どうして先方が急に態度を硬化させたのか理由が分からず、
後日、その社長に会いに行きました。
そこで初めて上司は、部下の社員が商談に一時間、遅刻していたことを知りました。
さらに驚いたのは商談が破綻した原因が、
A氏の謝罪がぞんざいであったことに社長が不快な気持ちを抱いたからだったことでした。
社長はこう言いました。
「Aさんにとっては“渋滞だから不可抗力だ”“遅刻はオレのせいではない”との思いがガンとしてあったからでしょうが、
“許してくれるだろう”という思いが、謝罪の時の態度にもにじみ出てましたよ。
自分が彼の立場だったら、青ざめる失敗です。
うちの場合は、そのミス一つで会社を潰してしまうことだってあるんですから。
のんきなもんです。
どんな理由があるにせよ、遅刻したことで先方の時間を奪ったことには違いないのだし、
事故渋滞なんかはよくあることだから、もっと時間にゆとりを持って出発することもできたはずだし、
車よりも時間が計算できる電車を選ぶこともできただろうし、
あの遅刻はA氏の落ち度以上の何物でもないでしょう?
当然誠心誠意、謝るべきなのに、口先での一返通りの謝罪だけで済ましてしまうんですから、
ビジネスパートナーとしての信用できないと思ったのです」
上司は身を縮こませて社長の言葉を聞き、
遅刻とその謝罪の態度について心から謝罪したところ、
社長は顔を和らげ「商談を再開しましょう」と言いました。
さてこの話、私たち一人一人が受け止めなければならない教訓があります。
誰でもミスを犯し、人に迷惑をかけてしまうことがあります。
たいていそのミスは、いくつもの複数の要因が重なって起きているもので、
中にはこのたびの渋滞のように、一見仕方なかったと思えるようなケースもあります。
しかしミスしたときにまず大切なことは、言い訳よりもまず謝罪です。
理由がどうあれ、その人に迷惑をかけたことは確かなのですから、
その責任は誰にも回すことはできません。
次に大事なのは、ミスの原因をどう受け止めるかです。
この場合確かに渋滞が原因ですが、渋滞はどこでも起きます。
その渋滞で遅刻する人もあれば、しない人もあります。
「どうして私だけがそんな目に遭ったのか」
その原因は、私のどこかに問題があったのであり、
そこを反省していれば、
謝罪の言葉や態度は変わったものになるでしょうし、
また今度同じような事態が起きても、
失敗を犯さなくて済むようにもなるはずです。
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