【因縁(3)】
運命を変えるにはどうしたらよいか、これは誰しも考えるときがあります。
「運命を好転するには」
「運命を開くには」
古今東西の人類のテーマですが、これにお釈迦さまはどう教えられているか、先々回からの話を今日も続けます。
仏教では、私たちの一切の運命は因縁によって生ずると説かれています。
私の身の上に起きるすべての結果は因と縁が結びついて起きた結果なのです。
これを仏典には「一切法は因縁生なり」とあります。
この場合の「因」とは「私の行い」、つまり私のものの考え方とか、私の生活習慣、私の言動などです。
「縁」とは「環境」、自分を取り巻く人、仕事、職場、家庭、国、時代などです。
この「因」と「縁」が結びついて今、私の運命が起きているのです。
これがわかれば「運命を変えるにはどうしたらいいか」も明らかです。
因か縁を変えればいいのです。
このどちらかを変えれば、必ず結果は変わります。
たとえば私がA氏という上司との軋轢で苦しんでいるとします。
この苦しい運命を変えるにはどうしたらいいか、方法は二つです。
一つはA氏から離れる、上司としない、という選択肢。
これは「縁」を変えるということですね。
違う上司などに相談し、部署の変更を願い出る、あるいはA氏に代わってもらうようにする。
そんなの会社の組織の中では非常識だと思われるかもしれませんが(確かにそうでしょうが)、ノイローゼで病になったり、自死するよりずっとましです。
終身雇用の時代でもありませんし、パワハラ防止法もありますし、以前よりハードルは低いはずです。
もう一つの選択肢は因を変えるということです。
縁を変えるといわれても、会社に直訴したり、離婚するというのは嫌だ、という人も、いろいろな事情もあり、無理な人は無理なので、その場合はどうしたらいいか、縁が変わらなくても、因が変われば、これまた運命はガラッと変わります。
因を変えるとは、自分の言動を変えるということです。
長いこと培ったことなので、言動を変えることなんかできない、また変えたくない、という人もあるでしょうが、何もいつも変える必要はないのです。
あなたの言動をなんとも思わない人、あるいはその言動が好きだという人もいるのですから。
ただ苦しい運命を引き起している縁となっているその人の前では、その行いはやめた方がいい、ということがあるものです。
たとえばA氏という上司は自己主張する部下である私ににカチンときて「出しゃばりな奴だ」「うぬぼれた嫌な奴だ」とイライラしているということがあるとします。
B氏、C氏、D氏という上司なら何の問題もないのに、いやむしろ積極的な意見を言う私に好意を持ってくれるのに、A氏にとってはそれが嫌なことで、軋轢を生むということがあります。
そうなるとこれは私とA氏との因縁の問題です。
鈴虫が秋になるとコロコロと鳴くのは鈴虫と秋の因縁、同様にA氏が私と接するとイライラとするのは私とA氏との因縁です。
これがわかれば「A氏の前ではこういう言動は慎もう」「A氏にはもっとこういう言い方をしよう」と自己の言動を変えていけます。
この視点で自己を変えると、あっけないほど状況が変わるのに驚くことがあります。
このように仏教では「因」(行為)か「縁」(環境)を変えれば「果」(運命)が変わると教えられています。
「因」も「縁」も変えようとせず、パワースポット巡りしたり、お祓いの儀式をしても駄目です。
肝心要は「因縁」なのです。