
【因縁(2)】
私たちは苦しい時「自分を苦しめるのはあいつのせいだ」と他人を恨み、憎んでしまいます。
この発想を仏教では「他因自果」といい、迷いの心だ、と説かれます。
「じゃああいつのせいでないとしたなら、この苦しみは誰のせいだっていうんですか」とお釈迦さまに尋ねると「因縁(いんねん)のせいなんですよ」と答えられます。
では「因縁」とはどういうことでしょうか。
この言葉は今でも使いますよね。
「因縁つけただろ」とか「因縁があった」とか使いますが、でもそもそも因縁とはどういう意味なんでしょうか。
因縁とは因と縁のことで、仏教では一切の運命は因と縁が結びついて起きると説かれます。
因だけでは結果は起きません。
縁だけでも結果は起きません。
因と縁とそろってしまったときに結果が起きるのです。
たとえば私がA氏という上司のパワハラで苦しんでいるとします。
この場合、オレが苦しいのはA氏のせいだ、と恨んでしまうのですが、この場合、「A氏」は「縁」なのです。
では「因」は何かというと、それは「私」です。
「私」という「因」と「A氏」という「縁」がそろうと、「私が苦しむ」という「結果」が起きるのです。
私の何らかの言動が、A氏には癇に障るのでしょうね。
上司がB氏やC氏だったら私が同じ言動をしていても何らトラブルにはならない、上手くやっていける、しかしA氏だとうまくいかない、そういうことがあるのです。
またこうもいえます。
A氏は私が部下ではなくて違う人が部下だったら腹を立てずにやっていける、しかし部下が私だとどうにも我慢できなくなる、そういうことがあるのです。
これはもう私とA氏との因縁なのです。
ちょうど桜の木は春という縁に触れると花が咲くという結果が表れるようなものです。
桜の木と春の因縁で桜の花が咲き、柿の木と秋の因縁で柿の実がなるように、私とA氏との因縁で、私が苦しむという運命が起きているのです。
ではこの苦しみを変えるにはどうしたらいいのか。
因を変えるか、縁を変えるか、どちらかを変えることによって結果は必ず変わっていきます。
因を変える、縁を変える、とはどういうことか、次回お話いたします。
