親鸞に学ぶ幸福論

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ファクトフルネス「犯人捜しの本能」を仏教の視点から解説する

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【自因自果(1)】

 

世界的ベストセラー『FACTFULLNESS』には、

私たちが持つ10の思い込み本能が紹介されていますが、

その一つに「犯人探しの本能」というのがありました。

以下はその引用です。

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誰かを責めることに気持ちが向くと、学びが止まる。

一発食らわす相手が見つかったら、そのほかの理由を見つけようとしなくなるからだ。

そうなると、問題解決から遠のいてしまったり、また同じ失敗をしでかしたりすることになる。

誰かが悪いと責めることで、複雑な真実から目をそらし、正しいことに力を注げなくなってしまう。

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これはどこにでもよくあることで、

たとえばある工場で生産のラインが止まってしまった、

工場長が調べてみると、ある工員の居眠りだった、

その工員をこっぴどく叱りつけ、それで終わり。

犯人を捜し出して制裁するまでが仕事だ、

とこの工場長は思っているのですが、

それでは進歩がない、

またいつか次の居眠り工員が現われるだけです。

その工員のミスから、労働環境はどうか、社員のモチベーションはどうか、

工場全体のシステムまで考えるべきなのですが、

それは複雑で面倒くさい、

だから「目をそらす」、

よって「正しいことに力を注げなくなってしまう」のです。

この場合の正しいこと、工場長が手がけるべき仕事とは、

居眠りをする社員が出てこないようにする労働環境の見直しです。

これを『FACTFULLNESS』には、「犯人を捜すよりシステムを見直したほうがいい」とありました。

 

これは以前ある電機関連の製造会社に勤めている方から聞いたことなのですが、

その方がクレーム担当の部署に所属していたとき、

そこの上司が何か問題があるたびに、そのときの担当者のせいにし、

その犯人捜しと叱責を自分の仕事にしているような人で、

「辟易した」と言われていました。

『FACTFULLNESS』でいうなら、この上司が考えなければならない最たる事は、

こうしたクレームが次に起きないようにするためのシステム造りの提案、実行です。

 

ではここで一歩踏み込んでみましょう。

なぜこの工場長は労働環境のシステムまで考えようとしないのか、

なぜクレーム担当部署の部長は、クレームが起きないような抜本的なシステムを考えないのか、

『FACTFULLNESS』のいうように、その問題は複雑で、面倒で、その仕事をするのが億劫だから、というのもあるでしょうが、

仏教の視点からいうと、それ以上にその原因となっているのは

その部分にメスを入れるということは、

その工場長、部長自身の反省が迫られるから、だといえます。

問題を誰かのせいにするのは楽です。

だからそれは誰でもできます。

しかしそれを自分の責任だと受け止めるのは、

極めて難しく、それができる人はめったにいないのです。

 

仏教では一切は自因自果であると説きます。

自因自果とは「何か問題が自分に起きたということは、自分の何かしらのものの考え方、言動に問題がある」ということです。

これはお釈迦さまの教えの根幹をなす思想であり、

こういうものの捉え方ができる人を仏教では「智慧ある人」というのです。

ところが智慧ある人が少なく、愚痴の人が多いのです。

愚痴の人とは、他因自果の人です。

他因自果の発想とは、こんな問題が起きるのはあいつのせいだ、こいつのせいだ、と人のせいにしてしまうことです。

放っておけばこういう発想になってしまうのが私たちの実態ですが、

これは進歩、向上のない思考です。

その人のせいにする心を回れ右して、自因自果の心理を凝視するのが、

仏教を求める仏法者の正しい態度だとお釈迦さまは説かれています。

 

 

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