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親鸞に学ぶ幸福論

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出家の僧が集う聖なる比叡山の実態とは

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【出家(3)】


私たちが住む「この世」のことを、仏教では「穢土」といいます。

「穢土」とは、穢れた世界、「煩悩」に穢れた世界ということです。

常に私たちは収入や名声や容姿など人と競い、争い、

結果として劣等感で苦しんだり、慢心で驕ったり、

嫉妬に身を焦がしたりしていますが、

そのような心を「煩悩」といいます。

 

煩悩によって常に苦しみ悩む人類は

煩悩を抑えるにはどうしたらいいか、常に思索してきましたし、

今も書店に行けば、煩悩をコントロールするにはどうしたらいいか

を指南する本が並びます。

 

親鸞聖人も、煩悩を克服するために

9歳で出家され、比叡山で修行に励まれました。

今でこそ比叡山は観光の名所ですが、当時は女人禁制の地。

世俗の権力も立ち入ることも禁じられていました。

地位や名誉、財産、家族など近くにある環境だと、

愛欲や名利の心で執着が生じ、怒りや恨みも起き、

争いになるので、それらを遠ざけるために

修行の山に入られたのです。

木や石しか周りにない環境なら、心かき乱されることなく、

一途に仏道修行に打ち込めるようになるだろう

と思われてのことでした。

 

ところが清らかな山であるべき比叡山

すでに乱れに乱れて、この世のことに染まりきっていたのでした。

僧侶は公家や貴族に取り入るために、

元来仏教の教えにない加持祈祷に奔走し、

庶民からは税を搾り取るだけで相手にしません。

また自分たちの権益を通そうと、

道理の通らぬ強訴を繰り返していました。

きらびやかで見栄えのいい寺院や堂塔も、

その中は絶えず醜い派閥争いが繰り返されていました。

難行苦行を掲げているのも形だけで、

僧たちの生活は乱れきっていました。

 

そんな当時の僧侶の実態を知られ、

親鸞聖人はこうも仰っています。

「この世の本寺・本山のいみじき僧ともうすも、法師ともうすも、

うきことなり」

“この世で名門とされる大きな寺の名僧高僧などといわれるものは、

私にはイヤでたまらぬ連中である”

よほどうんざりする思いをされたのでしょう。

 

たとえ出家して、僧の衣に身を包み、頭を丸めていても、

人間は例外なく皆、煩悩の塊ですから、

「穢土」でないところはないのです。

いつの時代も、どこへ行っても、

この世に「穢土」でないところはありません。

修行の山もそこはやはり「穢土」だったのです。

 

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