【愛憎(2)】
『愛憎』について、先回から話をしています。
ある女流作家が自身の半生を書き綴った手記を読んだときも、
この「愛憎一如」の釈迦の教えが思い返されました。
彼女の最初の結婚は3年で終わりました。
周りに流されず自由に生きているその男の姿にあこがれ、
あのように自由に生きたいと結婚したが、
生活を共にしてみると、
理想の男が、最低の男に変じるのに時間はかからなかった。
自分の自由を押し通すために、
周りの人の気持ちを踏みにじっているだけの、
ただのわがまま男だった、とのこと。
自由に生きたいと思っていた彼女にとって、
結婚した男のためにどんどん不自由になっていく状況は耐えられなかったのです。
「恋は盲目」「惚れて眺めりゃあばたもえくぼ」とはよく言ったもので、
恋をしているときは、相手の全てがキラキラと輝いて見えます。
それが一転、恋の魔法が解けると、
「優しい男」はただの「優柔不断男」に、
「リードしてくれる男」は「わがまま男」に思えてくる。
今までえくぼに見えていたあばたは
なんだ、あばただったのか、とわかり、
そのうち相手のえくぼまでもが、あばたに見えてくる、
そうなったら二人の関係は末期症状です。
大好きになった理由は、いつしか大嫌いな理由に変わる。
これも「愛憎一如」の実態です。
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