親鸞に学ぶ幸福論

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親鸞聖人と般若心経

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【親鸞聖人(1)】


最近よくネット上で「『般若心経』は深い」という声を聞きます。

「般若心経」を読経・写経する人は前からありましたが、

最近では「般若心経」の現代語訳をブログに載せている人も増えてきました。

では「般若心経」のどこに関心を寄せるのだろうと、

多くの人の声を拾ってみると、

「神や仏を信じろ、と言ってないところがいい」とか、

「科学的だ」「学問的だ」という称賛が多いようです。

 

そこで般若心経のどういう教義を科学的、学問的だと感心しているのか、

調べてみましたが、どうも仏教の説く「諸法無我」の真理に感銘を受けている人が多いようです。

 

「諸法無我」とは「すべてのものは無我である」と説かれた釈迦の教えです。

お釈迦さまは

「すべては因縁が和合して表れている結果であり、固定不変の“我”はない」

と説かれています。

 

この「諸法無我」の真理が、量子力学などの現代科学と矛盾せず、

いや、それどころか、先行している感がある、と感銘を受ける人は多くあって、

「苦しんでいる実体はそもそもないのだ

私の存在も、受ける感覚も、そもそも実体はない。

実体のないものを実体があると錯覚して苦しんでいるのが人間。

実体がないことを知ったら、心の平安が生じる、

それが悟りの境地だ」

と本やブログにさかんに書いています。

 

ここで問題になるのは、

こう聞き、人にまで話をしているその人には

実際、心の平安が訪れているか、ということです。

 

ただの「知った、覚えた」では、一時の慰めに過ぎません。

実生活では相も変わらず、

借金にため息をついていたり、

パートナーの言葉に胸を痛めていたり、

病気の再発を怖れていたり、

やはり実体があるとしか思えず、苦しんでいるのが、

他ならぬ「私」の実態ではないでしょうか。

 

そのどうにもならない「私」を直視され、

そんな者が幸せになれる道はないのか、探求の末に、

ありのままの凡夫のままで直入する幸福を獲得されたのが、親鸞聖人という方です。

その主著『教行信証』全六巻は

「よろこばしきかな」で始まり、

「よろこばしきかな」のお言葉で終わります。

無限の喜びに生かされた聖人の、

書いても書いても書き尽くせぬ喜びが全巻にあふれています。

文芸評論家の亀井勝一郎氏も、

「『教行信証』全巻には大歓喜の声が響きわたっている」

と驚嘆しました。

 

親鸞聖人が教えられた阿弥陀仏の本願は、

智恵がなく、般若心経では救うことができない人々の心を救います。

 

 

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