親鸞に学ぶ幸福論

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「なんで私の親はこの人なんだろう」「なんでこの子は私の子として生まれたんだろう」

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【因縁(1)】


「子供は親を選べない」とはよく言われますが、

「親も子供を選べない」とも言えます。

夫婦はお互いが選んで一緒になった仲ですが、

親子の仲は、深い過去世からの因縁によって生じます。

 


しかもこの運命的な出会いで始まった親子関係からは、

何人も逃れることはできません。

夫婦なら離婚すれば関係は解消ですが、

血を分けた親子の関係は、生ある限りずっと続きます。

そこに自由意志による選択の余地はありません。

離婚で親権を失うとか、勘当したとか、

何かの事態で二度と顔を見ない間柄になっても、

「あの人は私の親」「あの子は私の子」という関係は揺るぎなく、

両者は因縁という太い絆で生涯くくりつけられ、

常に忘れ得ぬ存在として有り続けます。

 


夫婦の愛は、裏切られると憎しみに転じることがありますが、

親が子に向ける愛情は、決して憎しみに転じることはありません。

親は子供に何度泣かされても、背かれても、子供のことが気にかかります。

たとえ子供が国民満場一致で死刑になるような犯罪を犯したとしても、

親だけはその子のために泣いてくれています。

親の慈悲は人間の心の中でもっとも崇高なものといえるでしょう。

 


だからでしょう、子を亡くして悲嘆にくれる親の姿は、

人生における最も悲劇的なものです。

「死んだ子の年を数える」ということわざは、

今さらどうにもならないことなのに忘れられない、

やるせない親心を表しています。

 


また親子は徐々に立場が変っていく存在でもあります。

最初は子供にとって、親は絶対者です。

子が成長するにつれ、次第に対等に話し合う仲になり、

ついには食事や排泄も子供の世話になる時がきます。

 


かくの如く、親子というのは、各人の人生のさまざまな絆の中でも、

強い影響を与え、さまざまな感情も交錯する、

もっとも古く、もっとも太い因縁で結ばれている相手といえましょう。

「親は親の業(カルマ)で、その子を子として持ち、

子は子の業(カルマ)で、その親を親として持ったのだよ」

と釈迦は教えられています。

どんな深い因縁があったのでしょうね。。。

 

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2000年以上にわたって語り継がれるローマの英雄スキピオの言葉に仏教を見る

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【諸行無常(1)】


仏教に『諸行無常』という言葉があります。

『諸行』とは、すべてのもの。『無常』とは、続かないこと。

この世の一切は続かない、移ろい変わっていく、ということです。

 


いま私は自分の家でパソコン使ってこの文章を書いていますが、

このパソコンも5年目だし、そろそろ壊れるかもしれません。

このパソコンを置いている机もやがて壊れます。

この家自体、やがて崩れるのだし、

こう話している自分自身の肉体もいずれ失うのだし、

地球だって、太陽だって滅びる、一切は無常です。

 


大切にしているもの、支えにしているものも例外ではありません。

周りを見渡せば、

子供を失って悲嘆に暮れる人、

妻を亡くして虚脱の人、

事業に失敗して絶望する人

みな大切な明かりを失って、諸行無常の現実を前に苦しんでいる人たちです。

 


しかも私たちは崩れた時に、はじめて苦しむのではありません。

崩れる前から、やがて失うかもしれないという予感が

心に暗い影を落とし、苦しむのです。

彼氏の一挙手一投足に

「あの一言は何だったんだろう、気持ちが冷めたんだろうか」

と動揺し、

朝起きたときに感じた鈍痛に

「この痛みは、ひょっとして病気の再発では」

と怯え、

取引会社の意味深な言葉に

「もしかしたら他の会社に乗り換えようとしているのでは」

と心がざわついています。

 


古代ローマ共和国の将スキピオの言い遺した言葉で、

西洋で2000年以上にわたって語り継がれる有名な言葉があります。

その言葉が有名なのは、諸行無常の悲哀がこもっており、

人の心を打ってきたからです。

700年にわたって地中海の覇者だった都市国家カルタゴがスキピオに滅ぼされ、

カルタゴの都が火に包まれるのを見つめていたスキピオが

はらはらと涙を流して言った言葉です。

「今われわれは、かつて栄華を誇った国の滅亡という、

偉大なる瞬間に立ち合っている。

だが、この今、わたしの胸に占めているのは、勝利の喜びではない。

いつかわがローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀感なのだ」

 


スキピオが感じた哀感を、仏教では「無常観」といいます。

「無常を観ずるは菩提心の一なり」

今手にしている支えや明かりも、やがて失うことがあるのを

予感して感じる不安、虚しさ、寂しさに

まじめに目を向けるのが仏教です。

 

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夫婦関係には完成形もなければ、ゴールもない、と覚悟すべし

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【和するをもって貴しとす(1)】


アメリカ最高齢の離婚は、

アイダさん91歳、サイモンさん97歳での離婚です。

報道によれば、アイダさんは「もうこれ以上耐えられない」とコメントしたそうです。

「夫婦の仲に完成なし、死ぬまでお互い大事に築き上げていかねばならないもの」

と知らされるニュースでした。

 


恋愛ドラマの定番は、お互い第一印象が悪くて、でもいつしか惹かれ合い、

ときに誤解あり、恋敵(ライバル)が現れて動揺したり、

すったもんだの挙げ句、最後は結ばれ、ハッピーエンドというものです。

これは昔からの鉄板ストーリーで、シンデレラの時代から変わりません。

いろいろあって、最後は白馬の王子様と結婚して「めでたしめでたし」です。

 


物語やドラマはそれで終わりですが、

現実がドラマと違うのは、結婚したその後がある、ことです。

「その後のシンデレラ」という物語があればどうなるでしょう。

王子様の側室との確執とか、王子様への失望と不信とか描かれそうです。

 


テレビドラマでも、最終回は「めでたしめでたし」ですが、

現実の二人の関係にはそれからも、

不倫とか、ケンカとか、離婚とか、親権とか、さまざまな問題が起きます。

結婚をゴールのように思っていると、大変です。

夫婦の仲は、お互いが涙ぐましい努力をして築き上げていくもの。

むしろ恋愛の時以上に、結婚後に、介護とか、借金とか、病気など、

パートナーと支え合わねばならない正念場はやってくるのですから、

結婚してからが本番といえるかもしれません。

 


結婚のお祝いレターに

「二人もついにゴールイン。これから新たなスタートですね」とあります。

とりあえず恋愛の一つのゴールが結婚ですが、

これから過酷な第二のレースが始まります。

そのレースにも辛く苦しい局面は多々あるでしょうが、

それでもこの人と走れて幸せだったなと感謝できるか、

それともよけいパートナーの存在がレースを苦しくさせ、

先ほどのアイダさんのように「もうこれ以上耐えられない」となるか、

その両者を分けるのは、お互いに「和するをもって貴しとす」という精神があるかどうか、

ということだと思います。

 


聖徳太子が「和をもって貴し」と17条憲法に定めましたが、

仏教の教えを学んでいた太子のこと、

「和する努力が貴い」という意味だったのではないかと拝察します。

仏教では「和」(仲良くする、団結する)とは、

無常で、崩れやすいものだと説かれます。
 
好き嫌い多く感情優先、利害打算多く損得優先、

そんな我々がその己の都合を我慢して仲良くしていこうというのは大変なことです。

すぐ壊れてしまう、はかないものです。

だからこそ壊れないよう、お互い支え合ってその困難を乗り越えていく、

その思いやりと努力と忍耐こそかけがえのないことなので

「和するを以って貴しとす」と聖徳太子は言われたのでしょう。

 

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執筆者だって「書く」ことは「恥をかく」ことだと思っているのだ

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【さらに私なし(2)】


先回、「もっと自分の思いや体験談を交えて書いたらいいのに」というご意見への

自分の思いを書きましたかところ、何人かの方からメッセージをいただきました。

それを読ませていただき、少し言い足りないことがありましたので、

今日も先回の内容を続けます。

 


どうしても自分のことを言ったり書いたりすると自慢話になります。

たとえ自分の思いや行動、生活や近況に触れなくても、

こうしてメルマガを書いているままが、

「どうだ、オレはこんなことを知っているんだゾ」

という自己顕示欲、承認欲求と切り離せません。

それは人に指摘されるまでもなく、

情報発信している執筆者自身、わかっていることです。

だから執筆者は、「書く」という自分の行為を、

どこか恥じる思いもあるのです。

「“書く”とは“恥をかく”ことだ」といわれるのも、

実感しています。

 


しかし全く自分のことを書かないと無味乾燥になる面も否めず、

私でしたら、本題に入る前に近況を書きますし、

自分の思いを切り口に教えの内容に入ることもあります。

それで興味を持って読み続ける意欲につながる方もあれば、

自慢しているように感じられ、嫌な思いをする方がある

と思いますので、どこまで自己開示するか、難しいところですね。

 


また人間の自己顕示欲の強さは、

自分の心を見つめてもよく分かります。

自己顕示欲のことを仏教では「名誉欲 」といい、

五欲 の一つに数えられています。

親鸞聖人も「名利の大山に迷惑す」

“名誉欲に振り回されている親鸞だ”と懺悔されているほど、

私たちを苦しませ、迷わせる心です。

 


名誉欲 のために、知らず知らず本来の目的である

「親鸞聖人の教えを伝える」という、浄土真宗講師としての使命が

ずれていってしまうのにも警戒しなければならないと思っており、

そういう意味でも自分のことを語るのは、ためらいます。

 

菊谷が自分のことを語るのをためらう理由とは

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【さらに私なし(1)】


先日、私のメルマガを読まれた方からアドバイスをいただきました。

ーーーーーーーーー
最後に、こうしたら良いのではないかということを書かせていただきたいと思います。
菊谷さんは、このメルマガを、仏教の教えを伝えるという目的で書いておられるのだと思います。
それは、もちろん大切なことだと思うのですが、それを菊谷さんご自身が、
どのように実践しておられるかということを書いてもいいのではないかと思うのです。
人生の中で、ここぞというときに思い出して実践できることが大事だと考えるからです。
ーーーーーーーーー

もっと自分の思いや体験談を交えて書いたらいいのに、というご意見です。

今までも何度かこういうアドバイスをいただいてきました。

「自分のことを書かないので魅力が半減する」

「せっかく書いているのに損をしている」

と私のメルマガを読まれて思う方も多いと思います。

自己ブランディングが声高に叫ばれる風潮で、

マーケティングやライティングを学んだ人は

余計そう思われるでしょう。

 


自分のことを語ることによる影響力の強さは、

私も情報発信して長いですから、

今までの経験からも理解していますし、

取り入れていかねばならないと思いつつも

一方で躊躇する思いがあります。

 


躊躇する理由はいろいろありますが、

中でも私が最も尊敬している親鸞聖人が

「親鸞さらに私なし」と仰り、

ご自身のことを語られなかったのが最大の理由です。

 


親鸞聖人の深い教えは、

日本の近代思想の源流となっているだけでなく、

社会の底辺にあえぐ幾千万の心に、希望を灯してきました。

聖人に関する研究書は、江戸時代から膨大な数に上ります。

ところが親鸞聖人の私生活となると不明なことだらけなのです。

生まれた家、父母、妻子などについても、

よくわかっていません。

それは親鸞聖人がご自身の私生活を

全くといっていいほど語らなかったからです。

 


親鸞聖人の生活に確実な史料があまりにも少ないので、

明治から大正にかけ、「親鸞は架空の人物」と

主張する歴史家まで現れたほどです。  

今日は筆跡調査や新史料により、

そんな説は問題にもされませんが、

弥陀の本願に救われた絶対の幸福の世界を

雄弁に説かれているのと対照的に、

聖人は私的なことを語られませんでした。

「歴史家泣かせの親鸞」とさえいわれる所以です。

 


なぜご自分のことを語られなかったのでしょう。

想像するに、親鸞聖人は寸刻も惜しんで阿弥陀仏の本願を説かれ、

どうしたら分かりやすく伝えられるか、

そこに全身全霊をかけられたために、

他のことを言ったり、書いたりされる時間がなかったのでしょう。

 


自分の私的なことなど「そらごとたわごと」でどうでもいいこと、

それよりも一言でも、真実の仏法を届けたい

というお気持ちだったのではと拝察いたします。

 


そういう親鸞聖人を慕う親鸞学徒の一人として、

親鸞聖人の教えをお伝えする正味の部分に

持てる力を注がねばならない、という思いがあります。

 

 

 

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自分の人生は自分で責任を持ちなさい

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【自業自得(3)】

 

過去2回にわたって、「人生は選択の連続である」と話してきました。

自分の人生は人に決められていると思っている間は

苦しいことがあれば、人のせいにします。

ところが、すべては自分が選択した結果だと覚悟を決めると、

人のせいにはできなくなります。

 


アメリカの女流作家エリカ・ジョングは

「自分の人生は自分で責任を取りなさい。すると、どうなるか?

恐ろしいことに、誰のせいにも出来なくなります」

と言っています。

 


仏教ではこれを「自因自果」「自業自得」と言われます。

わかりやすく言うと、

「まかぬ種は生えぬ。まいた種は必ず生える。

己に生えてきたものは、すべて己のまいたものばかり」

ということで、これはいつでもどこでも変わらぬ真理だ

と釈迦は説かれています。

この厳粛な自業自得の真理を明らかに観るところから

仏教は始まる、といえます。

 


自分の受ける結果を人のせいにしている間は、

「あいつのせいだ」「会社がひどいから」「時代が悪かった」と

外にばかり目が向いて、自己の内側に目が向きません。

一切は己の選択にかかっている、と受け止めたときから、

己の心に目が向きます。

すると今まで気付かなかった自分の心が見えてきます。

「利害打算でばかり動いている心」

「わかっちゃいるけどやめられない心」

「自分の心なのに、どうにもできない心」

いろいろな心が見えてきます。

 


「仏道を習うは自己を習うなり」(道元)

「よもすがら 仏の道に入りぬれば 

   わが心にぞ 尋ね入りぬる」(源信僧都)

仏教を「法鏡」と言われるのはこのことか、と

知らされてもくるでしょう。

そしてこれが、本当の幸せになる出発点なのです。

 

自由という言葉の語源は仏教だった。その意外な意味とは。

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【自業自得(2)】


やりがいのない、つまらない仕事に不平を持ち、

会社をうらみ、上司を憎む人があります。

しかし今そういう立場でそういう仕事をしているのも、自分の選択の結果です。

その仕事、職場を選んだのは自分ですから、己のまいた種の結果です。

他の人がそうなっていないのは、その人がその仕事を選ばなかったからです。

そして今も自分がその仕事を辞めないでいるのも、

今まさに自らがそういう状況を自分で選択している結果です。

誰のせいでもありません。

 


それなのに会社や上司への不平が口癖になっているのは、

逆恨みもいいところです。

すべて自分のまいている種なのに、それを忘れているから、

そんな不平が口から出てくるのです。

 


会社に入ればその会社の規則や上下関係に縛られ、

家庭では干渉され、

国からも税金を徴収されたり、法律で規制されたりしますが、

そこに自分の人生の時間をゆだねているのは、

己が決めた選択の結果です。

嫌なら、そこから離れたらいいだけのことです。

離れたら離れたで、会社から毎月の給料はもらえず、

家族のふれあいやサポートはなくなり、

国民の権利はなくなりますが、それを覚悟してその道を進むのもその人の選択です。

 


本来「自由」という言葉は、仏教用語で、

【自らを由(根拠)とする】と読みます。

自分で決めて行動したのだから、

その結果、いかなる事態が引き起こったとしても

すべて「自分を理由にする」ということ。

自由に選んだ結果、何が起きてもその責任は自分にあります。

人になすりつけるものではありません。

 


「自由にさせてくれ、だけど責任は持たない」

そんなおもしろい自由はありません。

自由には責任が伴うのです。

 

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