【名誉欲(1)】
親鸞聖人は「名利の大山に迷惑す」と告白されています。
“名誉欲が大きな山ほどあって、親鸞は煩い悩んでいる”
この告白は聖人お一人のことだけでなく、すべての人間の実態といえましょう。
「名誉欲」とは、人からほめられたい、好かれたい、認められたい、大事にされたい、無視されたくない、もっと尊重してほしい、ぞんざいな扱いを受けたくない、見下げられたくない、という人間の欲求です。
この名誉欲を満たすために、私たちはあれこれ模索し、悩み、うろたえています。
「どうしたら認められるだろうか」
「どうしたら大事にされるだろうか」
「どうしたら評価してもらえるだろうか」
労働者も資本家も、官僚も大臣も、教師も生徒も、夫も妻も、親も子供も、
お互い「どうしたら良く思われるか」の名誉欲に振り回されているのが実態です。
何を着ていくか、誰とどんな話をするか、
そんな一つ一つの行動も、
他人からどう見られるかを基準に決めますし、
流行や周りの空気に合わせるのも、
反対に人と違うことをやりだすのも、
人の目を意識してのことです。
世間体なんか気にしない、どう思われようが我が道を行く、と豪語する人だって、
そういう生き方をする自分を見てもらいたい、評価して欲しいという密かな願望があるのですから、
みな例外なく、名誉欲に動かされているのです。