親鸞に学ぶ幸福論

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さるべき縁がきたら何でもしてしまう

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【さるべき業縁の(1)】

 

アメリカの大学で自殺未遂の経験を持つ60人の学生に、

「なぜ自殺しようと思ったか」理由を尋ねたところ、

85%が「人生が無意味に思えたから」と答えました。

 

自殺者や未遂者があると、周りの人は、その原因を、

家庭不和だとか、病気だとか、いじめだとか、

何らかのわかりやすい動機を特定しがちですが、

少なくとも自ら死を選ぶ本人はそんな明確な理由では片付けられないものだと思っており、

最もしっくりする動機があるとしたら

「人生が無意味に思えたから」だというのです。

 

しかも生きる意味なんてないと感じているこの学生たちの大半は

成績もよく、家族との関係も良好でした。

冷たい家庭に育ったわけでもなく、

クラスに友人がいないわけでもない、

どこにでもいる一般の学生だったのです。

周りは「こんな人だったから自殺したんだ」と、自殺をする人の特徴も分類したがります。

「自分は、自分の子は大丈夫だ」と思いたいからかもしれません。

しかし研究結果は「あなたやあなたの子供だったかもしれない」ことを示したのです。

 

殺人事件を起こす人に対しても、

世間はサイコパスだの、人格障害だの、レッテルを貼ろうとしますが、

写真週刊誌『フライデー』での数々の凄惨な事件を取材してきたあるカメラマンが

殺人者特有の共通点を見つけようと、現場を歩き、数々の事件を取材し、一冊の著書にまとめた結論は

「自分たちとの明確な違いは存在しない」というものでした。

彼も最初は、殺人犯の残虐性や異常性に目が行き「自分とは大きく違う人間」だと思ったそうですが、

取材をすればするほど、殺人に至るまでの色々な背景が見えてきて

彼らだけの特異な事象として片付けていいのかと思うようになったとのこと、

「本に書いたすべての事件は、本人の資質以外のいろんなものが影響していると感じました」と語っています。

 

仏教では人間は皆、心の底には開かずの蔵(阿頼耶識)があり、

その蔵の中には無尽蔵といっていいほどの業(カルマ)を有している、と説かれています。

その中には、言葉を失うほど醜く恐ろしい業があり、

それが何かの縁に触発され、表へ出てしまえば、

どんな恐ろしいことでもしでかしてしまうのです。

 

これを親鸞聖人は

「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」(歎異抄)

"縁がくれば、どんな恐ろしい事でも、親鸞はやるであろう"

と言われました。

ここで親鸞聖人の言われる「如何なる振舞」の中には、

窃盗もウソも虐待もある、殺人もあれば、自殺も入ります。

どんな恐ろしい事でもやってしまう業(カルマ)を親鸞は持っている、と仰ったこの歎異抄の一節は

真実の自己の姿を照らされた聖人の赤裸々な告白なのです。

 

 

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