【説法(1)】
ホモサピエンス史の著者ハリルはなかなかの毒舌家で、
研究熱心で正確だけど面白みのない筆致の学者の本よりも、
読んでておもしろいので、つい手が伸びます。
たとえばこんな感じ。
「でっちあげの話を1000人が一ヶ月信じたら、それはフェイクニュース。
その話を10億人の人が1000年間信じたらそれは宗教で、
信者の感情を害さないためにそれはフェイスニュースと呼ばないよう諭される」
同じ事を言っていても、
いやむしろ正確なデータをそろえて論理的に展開する骨太の本よりも内容的には薄くとも、
譬喩が豊富で、具体例も興味深く、風刺の効いたやわらかい文章なので、
大衆に受け、本が売れ、結果的にその道の権威として認知されています。
この事実はまじめな学者たちにはそうとう不愉快な出来事かもしれませんが、
いつの世でも、どの分野でもこういうことがあって、
それはやはり人々に分かるよう伝えることに力を注いだ者を讃えるべきであって、
多くの人に分かるように、興味深く読んでもらう工夫に欠けるという点で、
まじめな学者は負けていることを認めなければならないかと思います。
「難しいことを難しく話すのは易しく、
難しいことを易しく話すのが難しい」
といわれます。
文章なら、読んでいる人が難しいと感じるのは、
書く人が楽をしているからです。
スピーチでも聴く人が難しいと感じるのは、
話す人が楽をしているのです。
わかりやすい文章だなと思えば、それは必ず書く人が苦心しているのであり、
あの人の話はすっと入って聞きやすいな、と思う話は、
話す人が研鑽しているからに他なりません。
伝える人が楽をすれば、分かりにくい話となり、
やがてその人の話を聴く人はなくなっていくでしょう。
伝える立場がどうしたらわかりやすくなるか苦労を重ねていれば、
やがてその人の周りに大衆が集うでしょう。