親鸞に学ぶ幸福論

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お坊さんに御布施を出すかどうかの基準を教えます

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【布施(1)】

 

葬儀や法事の際に僧侶に包む「お布施」について何回かのシリーズでお話しします。

 

 

「月命日で来られるお坊さんにお布施はいくらくらい包めばいいのかね?」

「葬儀の際にお経読んでもらうお坊さんにお布施の金額の相場は?」

こんなことを近所の人に聞いたり、ネットで調べたりした経験のある方も多いと思います。

今日の社会では何か買い物する際はネットで金額やサービスを比較検討するのが一般的ですが、僧侶へのお布施は明朗会計ではないですし、比較しようにも、手次の寺の坊さんに、と決まっていることが多いのでそれもできず、何か出す方もモヤモヤした思いが残ります。

実際相場を聞くと一般の人が「えっ、そんなにするの」というほど高額ですし、さればといって値切ったりするのも亡くなった人を粗末にしているようでためらう気持ちもあり、それが習わしだから仕方ないか、と渋々出すお金が「お布施」、といったところではないでしょうか。

 

ある50代の主婦が坊主への不満をこう語りました。

「毎月うちの仏壇に20分ほど読経しにくる僧侶に、母がその都度お布施に5千円包んでいたので、今年から自分が変わって渡しているんですが、ろくな挨拶や会話もせずお布施だけもらって帰って行く僧侶に、だんだんこんなにお金出す意味あるんだろうかと疑問を持つようになって・・・・・・」

よくわかります。

家事、子育ての傍ら、パートなどで生活費を稼ぐ一般庶民にとって、毎月5千円は馬鹿にならない金額です。

坊主の態度がだんだん腹立たしく感じられるようになるのも無理ありません。

 

こういうことを見聞きするにつけ、私はこういったお布施への不満から寺離れが進んでいくのは免れようもないだろうと感じますし、ひいては仏教の教え、お釈迦さまや親鸞聖人にまでマイナスな印象を持たれていくのでは、と憂う気持ちになります。

 

私は僧侶が門徒のお宅を回ったりするのはいいことだと思います。

それでお布施をいただくのもまったく否定するつもりはありません。

でも僧侶なんだから、せっかく門徒のお宅に訪問したのだったら、「仏法の話をしなければならないのではないですか」と言いたいのです。

「ろくな挨拶や会話もせずお布施だけもらって帰って行く」これで僧侶といえないのではないでしょうか。

 

この際、みなさんによく知っていただきたいのは「お布施」とは仏法を聞かせていただいたお礼、ということです。

僧侶ならそういうことを知っているはず、お布施をいただくなら、それは仏法の話をさせていただいたお礼としていただくべきです。

法を説かなかったらもはやそれは僧ではありません。

お布施をいただく資格はありません。

 

これは私の持論ではなく、それが仏教の教えだから、こう言うのです。

これは仏教で「お布施」とはどう教えられているのか、を知ればみなわかることです。

次回さらにくわしくお話ししてまいります。

 

 

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