親鸞に学ぶ幸福論

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お寺さんに出す御布施を見直したい方へ

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【布施(2)】

 

 

こんな手記がネットにありました。

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先日、叔母が亡くなり母が喪主をつとめる事になりました。

母は喪主は初めての為、親戚が以前お葬式の際に支払ったお布施50万で戒名をお願いする事ができるのか?と確認した所、お坊さんがかなり語気を強めた様子で「とんでもない事だ」と怒りを露わにしたそうです。

50万で立派な戒名などつけられるはずがない。御先祖様も呆れていらっしゃいますよ、と。

長い介護疲れと初めての法要の手配に四苦八苦している遺族に対してとても冷たさを感じてしまいました。

諭すように言って頂けたのなら、私ども家族の無知を反省する事ができたのですが…。

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「こんなことあるのかな、人間としての常識もないでないか」と首をかしげるほどの僧侶の言動ですが、これがもし事実だとしたら、とんでもないことですね。

親鸞聖人は墨染めの衣で越後の風雪の中、一軒一軒訪問され仏法を説かれ、やがて一人一人仏法を聞く人が現われて、やがて聞かせていただきたいという村人の志で寺が建ち、今日の寺があるのです。

その聖人のお徳に生かされ、寺に生れた者が、伝統にあぐらをかいて「お布施が足りない」と怒りを露わにするとは、あきれて言葉もありません。

 

この方の仰っている「戒名」ですが、これがすごくお金がかかるんですよね。

他にも葬儀となれば納骨や墓など大変な出費です。

葬式にかける平均額はイギリス12万円、ドイツ20万円、アメリカ44万円に対し、日本は231万円と突出しており、墓石も平均176万円と高額で、さらに土地代も必要です。

共働きで奨学金も借りてやっとやっと子供を大学に行かせる家庭が多い中、この負担は馬鹿になりません。

 

葬儀の後も僧侶を呼んでの法事が続きます。

相場は以下の通り。

四十九日法要・3~5万程度

一周忌法要・3~5万円程度

三回忌法要・1~5万円程度

七回忌法要・1~5万程度

 

これらのお金は「お布施」という不明瞭な金額体系になっており、一般家庭では「なんでこんなにかかるのか」とため息つきながらも、故人の手前そんなことも言いいたくないので僧侶に出します。

それをいただく僧侶はいつしか当たり前のようになってしまって横柄になり、先程の坊主のように足りないことを怒り出す者まで現われる始末。

これでは親鸞聖人の教えが滅びてしまう、なんとかしなければ、と急き立てられる思いになります。

 

今日の日本で「お布施」といえば、今お話ししたような、法事や月命日で読経した僧侶に包むお金と認識されていますが、元来、仏教でいうところのお布施とはどういうものか、その正しい意味を知っていただきたいのです。

 

仏教の「布施」には「法施」と「財施」の二つがあります。

この二つの布施をよく理解するときには、僧侶と門徒の関係をよく知らねばなりません。

「僧侶」は仏法を説く人、「門徒」は檀家ともいい、仏法を聞く人です。

僧侶が門徒に法を説くことを「法施」といいます。

「法を施す」ということで、仏法を伝える、仏法を与えることです。

僧侶は法施が使命です。

「法施」一つに生きる人を、本来「僧侶」、または「坊主」というのです。

 

次に「財施」とは、仏法を聞かせていただいたお礼です。

仏法を聞かせていただいた門徒(聞法する人)が、法施してくだされた僧侶への感謝の気持ちから、財や物を施すのが「財施」「お布施」です。

財施は仏法を大事に思う門徒の尊い気持ちから出されるものですから、財施を受ける僧侶は「浄財」(仏さまからお預かりした浄らかな財)と有り難くいただきます。

そしていただいた財を、僧侶は門徒に仏法を伝える使命を果たす「法施」のために使わせていただきます。

これが法施と財施でつながっている本来の僧侶と門徒の関係であり、お釈迦さま以来変わらぬ、あるべき姿です。

 

 

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