今日、『外道(げどう)』と聞くと、
人の道を外れた冷酷な人、残虐な人、
というイメージを持たれる方があると思うのですが、
そういう意味ではありません。
もともと仏教の言葉です。
『内道』に対して『外道』と言われます。
『内道』とは、「道理の内側の教え」ということです。
道理とは因果の道理のことです。
因果の道理を根幹に説かれている仏教を『内道』といいます。
仏教の異称です。
一方、外道とは道理に外れた教え、
因果の道理から外れたことを説く教えを『外道』と言います。
因果応報、自業自得は説くけれども、
ある部分においては
これは奇跡、これはタタリ、これは神の力、と例外を持ち出してくるのも
やはり『外道』です。
『内道』とは言われません。
万に一つも例外なく、徹頭徹尾、因果の道理に貫かれている教えのみを
『内道』といいます。
それは仏教しかありませんから、
『仏教』=『内道』となります。
そして仏教以外のすべての宗教を
『外道』とお釈迦様は説かれています。
涅槃経には『一切の外学九十五種(外道)はみな悪道におもむく』とあります。
当時のインドにあった九十五の思想宗教に対して
お釈迦様は批判の目を向けられました。
これはあまり一般の方に知られていないお釈迦様の一面かもしれません。
このお釈迦様の教えられたとおり、
親鸞聖人は『内外廃立』を説かれ、
『外道』を捨てて『内道』を立てよ、と教え、徹していかれました。
明日から数回にわたって『外道』についてふれてみたいと思います。