親鸞に学ぶ幸福論

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受け取るかどうかは向こうさんの都合

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【言辞施(2)】


先回、言辞施の一つとして「あいさつ」について話をしました。

どんなにケンカで腹立っても、疲れててしゃべりたくない時でも、表情は作れなくてもいいし、ぼそっとでもいいので、最低限あいさつだけはしていきたいもの、と書いたのですが、30代のメルマガ読者の女性からメールをいただきました。

 

その方は夫婦二人暮らしでご主人とは、朝起きて顔合わせても「おはよう」も言うのでもなく、家に帰っても「ただいま」も「おかえり」もないようです。

これは気が滅入ってきそうです。

ところが今回のメルマガを読まれ「自分だけでもあいさつしようかな」と思われたそうです。

これはなかなかできる決意ではありません。

一度あいさつさえしなくなった仲が、自分から殻を破ってあいさつするのは、勇気の要ることです。

大変なことですが、お釈迦さまの勧められた布施行の実践で、すばらしいことだと思います。

 

布施の種はしあわせの花が咲く種ですから、まく人はやがて必ず恵まれます。

「まかぬ種は生えぬ、まいた種は必ず生える」

あいさつは言辞施で善い種ですから、必ず善い結果が訪れます。

あいさつをした相手から返ってこなくても、回り回って他のところから思わぬ幸せがきます。

 

あいさつしたのに向こうが返してこなかったとしても、そんなことは気にすることはありません。

別にお金や物品とは違って元手はかかっていないので損することもなし、相手が受け取ろうが受け取るまいが、それは向こうさんの都合、こちらは善い種をまかせてもらうだけです。

 

「呼べば呼ぶ 呼ばねば呼ばぬ 山彦ぞ まず笑顔せよ みな笑顔する」

布施の種まきを続けていれば、やがてその人の周りに人垣ができます。

 

 

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