親鸞に学ぶ幸福論

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ハムレットの苦悩は実に本質的だ

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【無明の闇(1)】


シェークスピア『ハムレット』の

「生きるべきか、死すべきか、それが問題だ」のセリフは有名です。

しかしその先に続く言葉を知る人は、そんなに多くありません。

ハムレットの台詞はこう続きます。

「もし、死後の不安がこころを惑わせなければ、

誰がこの嫌な世に汗を流してうめきながら、

このような重荷を忍んでいようか。

だが、死の国は、まだ誰も還ってきた者のない、見も知らぬ国だ。

その不安があればこそ、知らない国へ行くよりは、

現在の苦難を忍ぶ方を選んでしまうのだ」

 


屈辱に耐えても生き続けるべきか、それとも戦って死ぬべきか、

煩悶するハムレットでしたが、問題の核心は死後の不安だと口にするのです。

 


自死をまじめに考えた人の中で、このハムレットと同じ疑問にぶつかる人はあります。

「自殺した人の魂は暗いところに彷徨うという人もいるが、どうなんだろう」

「死んだら無になって今の苦しみから解放される、と思っているが、本当に無なんだろうか」

 


私が、仏教に教えられている「無明の闇(死後の分からない不安)」を話しをすると、

「自殺を考えたときに、このことはよく考えました」

と言われる方が今までも何人もありました。

 


中東で自爆テロで死ぬイスラム信者は

「聖戦(ジハード)で死ねば、天国に行ける」と思えばこそ、

爆弾を抱えて、ああいう死に方ができるのですが、

あの人たちに問い質したいのは

「もし行けなかったら、と考えたことはないですか」ということです。

そんなことを訊いても認めないだろうし、

激高するかも知れませんが、

内心深く、そういう疑問・不安があるに決まっています。

その不安に素直に向き合えば、仏縁を結ぶ機縁になるかもしれません。

 


ネット上ではちょっと知られた僧侶がこう主張していました。

「生まれた物は皆、土へ還る。

痛みや苦しみから解放されて土に還っていく。

遅かれ早かれ皆同じだ。そうして命は巡っている。

そう受け入れればいい」

 


これもその僧侶に訊きたいのは、

「『私の肉体』はあなたの言う通り、

火葬場の煙となり、やがて土に帰るのはわかるが、

『私』がそうかとなると話は別だと思うが、

なんで「無」だと断言できる?」

ということです。

 


死後は無だ、などと言われていない釈迦の教えに奉じる僧侶なら、

なおさら聞き質したいですね。

 


死んだら無になるのだったら、

「生きたい人は生きたらいいし、死にたい人は死んだらいいのが人生」

という結論になり、

何かに命を散らすのも、さして問題にすることもなくなります。

人生が苦しくて仕方ないなら、そんな堪え忍ばなくても、

さっさと終わりにして無になればいいとなります。

無になれば苦しみはなくなるのですから。

 


もし死んで天国に行けるのなら、なおのこと、自殺は賢い選択になります。

この世でつらい思いをしなくても、

早く、その楽しい天国とやらに行けばいいのですから。

 


なぜ人は死を恐れ、死をできる限り遠ざけようと懸命なのでしょうか。

それは人類が心の底で、死んだらどうなるかわからぬ底知れない不安におびえているからです。

この不安を仏教では『無明の闇』といい、

生全体に暗い影を落としている元凶だと、釈迦は説かれています。

 

 

 

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