親鸞に学ぶ幸福論

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自損損他とはどんな意味か、具体例を紹介

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【自損損他(1)】


仏教に「自損損他」という言葉があります。

『自損』とは自分が損すること、

『損他』とは他人を損させること、

よって『自損損他』とは、自らが不幸になり、人をも不幸にさせることです。

「自利利他」の対義の言葉です。

お釈迦様は、人を幸せにするままが我が身の幸せになる『自利利他』を勧められ、

逆に『自損損他』の言動をしてはいけませんよ、と教えられています。


ところが「言うは易く、行うは難し」で、

『自損損他』の言動をとってしまい、

人を傷つけ、自己も傷つけてしまっている人はことのほか多いです。

「あーあ、そんなこと言わなくていいのに・・・。人を怒らせ、自分も嫌われるだけでないか」

と傍から見ると他人の「自損損他」の言動にあきれることがあります。

プレゼン発表の同僚のスーツの肩のフケに気付いて、

「ここついてるよ」とそっと耳打ちするのは相手への優しさであり、

言われる相手も大勢の前で恥をかかずに済みますから感謝され、

お互いにメリットがある言動です。

しかし、飲み会の場などで「こいつ、昨日フケつけて仕事してんだぜ」というのは

「言わなくてもいいこと」です。

相手は恥をかかされ、傷ついています。

言った本人も何の得もありません。

相手からは恨まれ、周りの人からも「この人デリカシーないな」と思われるだけです。

 


言った本人は周りを盛り上げるために言っているのかもしれませんが、

そしてまたそれが上司や先輩が言ったことなら部下や後輩は愛想笑いくらいするかもしれませんが、

実際はもう尊敬されない、慕われない言動だとよく知るべきです。

ひょっとしたら自分の仕事ぶり、センスを誇示したいがために言っているのかもしれませんが、

何もアピールにならず、あきれられるだけですから、典型的な自損損他の言動です。

 

人のことならよく分かるのですが、

今まで私も言わなくていいことを言って失敗してきましたし、

今からだってあると思いますので、

自損損他にならないよう、律していかなければと自戒を込めたいと思います。

周りを生かし、自己も生かす、自利利他の道を歩みたいものです。

 

 

 

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「言わない」「やらない」という形の親切

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【布施(1)】


『布施』とは、今日の言葉で「親切」のこと。

和やかな笑顔で人と接する『和顔悦色施(わげんえっしょくせ)』、

優しい言葉をかける『言辞施(ごんじせ)』、

席を譲る『牀座施(しょうざせ)』など、

数々の布施行が仏教には教えられています。

お釈迦様は「布施は幸せになれる種ですよ」と説かれ、

「大いに種まきしなさい、幸せの花が咲くから」と勧められています。

 

「種をまく」と聞くと、

人のために「すること」「言うこと」と思いがちですが、

実行することだけが布施ではありません。

「しないこと」「言わないこと」が布施になることもあります。

 

たとえば人の失敗を見た時、

その失敗を見て責めないこと、これも布施の行です。

オレに恥をかかせやがって、と責める人がありますが、

誰よりも失敗して「恥ずかしい」「困った」と辛く悲しい思いをしているのは、

周りの人ではなく、本人です。

その心をくみ取ってなかったように接する、これも一つの布施の形です。

 

また失態をさらした人を笑ったり、嘲ったりしないこと。

これも布施の行です。

クスクス笑ったり、陰で嘲ったり、その失態を面白おかしく他の人にも語ったりすると

その人の心の傷はますます深く、大きくなります。

気付かなかったように接する、

少しも気にしていないよ、と以前と同じように接する、

こういう形の布施が時に失意の人を慰めることになります。

 

 

 

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常に不安な人といつも心穏やかな人との違いはどこにあるか

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【因果の道理(1)】

 


以下はお釈迦様のお言葉です。

「善いことをしたならば、安心していなさい。

その善いことが、ずっと昔にしたことだとか、遠いところでしたことであっても、安心するがよい。

人に知られずしたことであっても、安心していなさい。

それの果報があるのだから安心していなさい」

 

お釈迦様がこう断言されるのは、因果の道理に狂いがないからです。

因果の道理とは、仏教の根幹です。

善い行いをすれば善い結果が生じる、

悪い行いをすれば悪い結果がひきおこる、

善いのも悪いのも自分のまいた種はすべて自分が刈り取らねばならない、これに例外は一切ない。

これが因果の道理であり、

この大道理を徹底して説かれたのがお釈迦様、ブッダの教えです。

 

だからお釈迦さまは「善いことをしたならば、安心していなさい」と言われるのです。

善いことをすれば、100%必ず善い結果が生じるからです。

「善いことをしたのが、ずっと昔にしたことだと心配する必要もないよ」といわれるのは、

まいた種はどれだけ長い年月が経っても決して無くなったりはせず、

やがて必ず結果を生み出すからです。

これを「業力不滅」といいます。

 

「善いことが、遠いところでしたことであっても安心していなさい」といわれるのも、

どんな遠い異国でやった行いも、宇宙の果てでしたことも、

自分がした行いはすべて、今の自分の中に業力となって収まっており、

やがて必ず結果を引き起こす、とお釈迦様は説かれているからです。

 

自分がした善い行いを誰かが見ているとか見ていないとか、

覚えているとか覚えていないとか、そういうことも気にする必要はありません。

因果の道理は人が見ている見ていないでどうこうなるものではなく、

まいた者に確実に結果が返ってくるからです。

それでお釈迦様は「人に知られずしたことであっても、安心していなさい」といわれたのです。

 

ここでお釈迦様が言われているのは、

「安心したかったら善いことをしなさいよ」ということです。

善いことをすれば必ず人生が明るく開けるので、今から明るい心になります。

 

逆に不安から逃れたいなら、悪い行いをやめることです。

悪い行いをし続けていると、いつか発覚するのでは、いつかバレるのでは、とどこかビクビクし、

戦々恐々とする日々から逃れられず、心は安らかにはもうなれないからです。

 

 

 

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AI時代の人間のあり方を問う

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【信心(1)】


AI(人工知能)の躍進はめざましく、

つい10年前までは人工知能がチェスや将棋に勝った程度の話題が報じられていたのが、

今や医師の診断もAIに頼った方が誤診がなく、

会社でも社長や上司の判断よりもAIの方がずっと収益が上がり、

政策の決定も国会の議論よりAIの方が多岐にわたる情報を総合的に判断でき、

車の運転もAIに任せた方が事故が少なく、

あらゆる分野の次世代はAIが牽引するようです。

このようにAIが人間の智恵を凌駕するようになると、

人間の尊厳、人間の価値はどうなるのか、と危惧する声も聞かれます。

この時代に生きる私たちは、

いよいよ「人間とは何か」真面目に問い直す必要がありそうです。

 

では人間にあってAIにはない、人間ならではの特徴とは何でしょうか。

一ついえることとして、人間は「疑う」ことができます。

逆に「信じる」こともできます。

この「信じる」とか「疑う」という行為はAIにはできません。

 

人類は信じるからこそ思わぬ力を発揮し、

疑うからこそ危険から身を守ったりもできました。

もちろん信じたからこそ傷つくのであり、

疑うからこそ安心できない存在だともいえます。

信じたり、疑ったりするのは、人間の強さなのか弱さなのかわかりませんが、

(両面あるように思いますが)

いずれにせよAIの進化は人間不要論どころか、

逆に人間にしかないもの、人間にしかできないことを

大きく浮き彫りにしてくれるのではないでしょうか。

 

人間が人間らしく生きていくにはどうすればいいか。

そんな根源的な問いをAIは我々に突き付けているのです

AIは人間の可能性を広げるツールといえますし、またそうあらねばと思います。

 

こちらは「AIと仏教」というテーマで、AI時代の仏教のあり方を述べたものです。

よかったら覗いてみてください。

AI vs 仏教

 

 

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ウソは因縁和合して発覚する

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【因縁和合(1)】


今年8月岡山県の市議会議員が、入院すると偽って議会を欠席し、

北陸を巡る豪華客船の観光ツアーに参加していたことが発覚しました。

岡山から遠く離れた北陸だからばれまい、と思っていたのでしょうが、

まぬけなことにツアー中、いつの間にか撮られていた写真を

「観光で楽しむ人々」として豪華客船ツアーを紹介する岡山県の地元紙の特集記事に掲載されてしまっており、

それを見た市民からの通報で発覚したのです。

問い詰められた議員は「よく似ていますねえ」とごまかし、

病院の資料などまで偽造してウソの発覚を免れようとしましたが、

すべてばれてしまい、勧告に応じ、辞職することとなりました。

 

こういうのを仏教では「因縁和合した」といいます。

「因縁和合」とは、因と縁が結びつくことをいいます。

「一切法は因縁生なり」(経典)

森羅万象すべての結果は因と縁が結びついて現われたものだ、と釈迦は明らかにされています。

私たちの身の上に起きる運命も例外ではなく、

すべての果(運命)は(行為)と縁(条件)が結びついておきる、とお釈迦様は説かれています。

 

この市会議員の場合、

入院するとウソをついて議会を欠席して観光で遊んでいた

という彼のやった行いが「因」です。

「縁」は、写真を撮られ、地元紙の記事に載り、それを見た市民からの通報、です。

 

「悪いことはできない」とはよく言われますが、

こんなことになるとは、と本人も驚いたでしょうね。

「まさか写真に撮られていたとは」

「しかもよりによって地元紙の掲載されていたとは」

「さらにその画像を市民がめざとく発見してわざわざ通報するとは」

確率から言えばまれなことが重なって発覚したのですから、

腹立たしい気持ちにもなったかもしれませんが、

うらむべきは写真を撮った人でもなく、

地元紙に掲載した記者でもなく、

通報した市民でもありません。

それらの人は「縁」です。

本当にうらむべきは「ウソをついてしまった己の行為」です。

 

しかもこの議員、過去を調べ直してみると、

前もウソをついて議会欠席したと思われる疑惑が浮上しています。

たいていこの手の事件は余罪が出てくるものです。

そういう因(ウソという行い)を日頃からしているのですが、

その時は縁と結びつくことなく、発覚しなかっただけで、

やがてそのうち「ばれないだろう」とウソが常習化し、

その悪質さも肥大し、やがてどこかで縁と結びついて発覚するのです。

因と縁が結びついて結果が生じてしまったあとで、

どんなに青ざめたって時すでに遅し、

一人、自業自得の悪報を精算しなければなりません。

 

 

 

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トルストイが命をかけて欲したもの

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【生きる意味(1)】


「トルストイの如きは日本の法然や、親鸞の宗教を知ったら、誰よりも先に随喜する人ではなかったかと思うのだ」

『出家とその弟子』で知られる作家の倉田百三の言葉です。

倉田百三はこう書き残した心情をよく知るには

トルストイが求めたことは何だったのか、

また法然・親鸞両聖人は何を教えられたか、

ということがわからなければ、理解することはできません。

 

19世紀を代表するロシアの小説家、トルストイは、

30代から40代にかけて『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などの名作を世に出し、

文豪としての地位を不動にしました。

ところが世界的名声を得たその頃から人生の無意味さに苦しむようになり、

それは自殺を考えるまで激しいものでした。

その精神的懊悩を彼自身が告白したのが『懺悔』という随想録です。

 

「私はつねに人生の意義の探究に向かって突き進んだ」と始まる『懺悔』は、

「人はなぜ生きるのか」の解答をあらゆる人間の知識の中に求めたトルストイの探求の記録です。

しかしその結論は

「“人生は無意味である”いかなる哲学をもってしても、この1行は改めえなかった」

と敗北の弁で終わっています。

 

『懺悔』でトルストイは、人々の生き方は四通りだった、と記しています。

一つは「無知無識の道」。

人生が無意味だと知らない人たちだ、と言っています。

二つは「快楽の道」。

人生の無意味さに感づきながらも直視せず、享楽にふける人々です。

旧ロシアの貴族であったトルストイの友人にはこういう生き方をしている人が多かったようです。

三つは「自殺の道」。

生が悪であり、無意味であることを知り、絶望する人です。

トルストイは、「強いしっかりした性格の少数の人が、こういう生き方をする」と言っています。

四つは「弱気の道」

すべてを知りながら、自殺する力もなく、ぐずぐずと、ただ生きている人たち、とし、自分もその中に入ると言っています。

「この生き方は、私にとって実にうとましかった」と書いています。

 

ところがトルストイは晩年になり、いよいよそのうとましさに我慢できなくなったのか、

82歳で世俗を一切断ち切って家出をしているのです。

家出から4日目、田舎の駅で肺炎で死亡しているのが発見されています。

今日、その駅は彼の業績を讃え、トルストイ駅と改名されていますが、

それでトルストイの虚しい心が満たされるとは思えません。

彼の心底知りたかったのは

「なぜ人は生まれ、生きているのか」

まさにその明確な答え一つだったのですから。

 

そしてそのトルストイがどうしても知りたかった生きる目的の明確な答えをはっきりと示されたのが、

法然上人であり、親鸞聖人なのです。

倉田百三は親鸞聖人の書き遺された『教行信証』、

また親鸞聖人の言行が書き遺されている『歎異抄』に、

トルストイが野垂れ死にしようとも辞せぬ覚悟で求めた「生きる意味」の答えがここにある、と直感したのでしょう。

だからこそ先述のように

「トルストイの如きは日本の法然や、親鸞の宗教を知ったら、誰よりも先に随喜する人ではなかったかと思う」

と書き遺したのであり、また『歎異抄』をこうも評してます。

「ニイチェでも、トルストイでも、ボードレールでもこれを読んだら驚くだろう。

トルストイの如きは82歳の家出後に於て、死なずに、これを読んだら、

更に転心して念仏に帰しはしなかったであろうか」

 

 

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無財の七施の1つ、身施とはどんな意味か、その実践とは

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【身施(1)】


お釈迦様が説かれた『無財の七施』の一つ、『身施』についてお話しします。

『身施』とは、自分の体を使って、他人のため、社会のために奉仕、労働することです。

今日の言葉で言えばボランティアですね。

被災地に仕事を休んで行くボランティアはとてもできなくても、

日常生活の中で、いくらでも手助けを必要としている人はあります。

 

私も一日、高齢の知人の車椅子を押して街を歩いたことがあるのですが、

ちょっとした段差、狭い店内の通路にも大変な思いをし、

通りすがりの人や店員の方がサポートしてくださり、大変助かった思い出があります。

手伝ってくださった方々のように今までの自分はできていただろうかと反省させられました。

 

最近では授業カリキュラムにも、

高齢者や障害者がどれだけ日頃不便な思いをしているかを知るために、

様々な疑似体験をする授業が取り入れられている中学校、高校も増えてきています。

アイマスクをつけて白杖を持つ視覚障害者の疑似体験、

車椅子に乗ってみる体験、

耳せんをしてその上からヘッドホンをして音が入ってこないようにする聴覚障害者の体験、

重りをつける妊婦や高齢者の疑似体験などがあり、

経験した子供たちは、どのようなサポートが必要か終了後に話し合うそうです。

 

家庭やオフィスでも身施のご縁はたくさんあります。

たまったゴミを捨てたり、整理整頓したり、

日用品の補充をしたり、誰かがしなければならないことですが、

率先してそういう行動をするのも『身施』にあたります。

心がけ一つで、いつでもどこでも実践できる布施行です。

 

 

 

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