親鸞に学ぶ幸福論

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登山ルートにもいろいろあるように、人生も生き方はいろいろある

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【有無同然(1)】


日々さまざまな方とお話しして思うことですが、こうでなければ幸せになれない、という思い込みが、その人をストレス過多にさせ、がんじがらめにしているということがけっこうあるように感じています。

 

一例挙げると、お金がないと幸せになれない、という思い込み。

これは多くの人が陥っている思い込みですね。

このためにやりたいことができなかったり、ブラック企業を辞められなかったり、という人がかなりあります。

 

そんな人はさまざまな生き方、いろいろな価値観があるのを知ることが大事かなと思います。

たとえば最近話題の「山奥ニート」なんかは、嫌なことをせずに山奥で月額1万8000円で生活する方法があるよ、と提唱しています。

東南アジアやアフリカなど海外で生活してみてもいいですよね。

 

あるいは、あの人と一緒でないと幸せになれない、という思い込みが、かえってその人を苦しませているというケースがあります。

こちらからすると「別れたらいいのに」と思ってしまいます。

「別れたら楽になる半面、今までなかった苦しみも出てくる」と躊躇されるのでしょうが、それでも今の状況よりましですよ、と言いたくなる、そういう人がけっこうあります。

 

これでなければダメになる、という思い込みを捨てて、今すぐどうこうしなくとも、いざとなったら「辞表を出す」「離婚する」と逃げ道を作っておくだけでも、心はそうとう楽になるものです。

 

仏教では「有無同然」といわれ、会社に居続けても、独立起業しても同じだ、と説かれます。

この会社で評価されなければ幸せになれないというのも思い込みだし、起業したら幸せになれるというのも思い込みです。

この人と別れたら不幸になるというのも思い込みだし、結婚したら不幸になる、というのも思い込みです。

 

登山家は、この登頂ルートは大変だとなれば、違うルートを探します。

そして彼らはどのルートを歩いても、そのルートにはそのルートの困難があることを知っています。

私たちの人生登頂も決して一つのルートしかないわけではないのですから。

また、あの人があの道だったから自分も同じ道を行かなければならない、というものではないです。

ケースバイケースでさまざまなルートを検討することが、時に精神衛生上にも大事なのです。

 

 

 

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幸せになりたかったら広い家に住まないといけない

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【有無同然(1)】

 

仏教では、思い込みがあなたを不幸にさせる、と説かれます。

逆にその思い込みのリミッターが外れれば、人生はその時、その瞬間から好転しますよ、と説かれています。

そんな心の向きを変えたくらいで幸せになれるものか、と思う人は、その思いこそまさに外さなければならないリミッターです。

 

たとえばここに「もっと広い家に住まないと幸せになれない」と思っているA氏がいます。

A氏は、広い家に住むにはもっと収入がなければ、と考えています。

今のままではローンも組めない、月収これくらいにならなくては、と計算します。

さてこれだけの収入を確保するためにはどうしたらいいかと考えると、もっと会社で出世しなければと思います。

また副業もしてそれが成功しなければと思うようになります。

では出世したり、副業成功のためにはどうすればいいか、と考えていくと、あれもしなければ、これも必要だ、といろいろと見えてきます。

そもそも相当努力を長期にわたって継続しなければならないことがわかってきます。

やがてそのうちA氏は「これではいつまでたっても幸せになれないよ」とだんだん生きるのにため息が出てきてしまうのでした。

 

こう聞かれて皆さんはどう思われたでしょうか。

A氏の場合、大きな勘違いがあって幸せになれないのです。

その勘違いはちょうど最初のボタンのかけ違いのようなもので、そこを間違えているから全部間違えてしまっているのです。

ではその最初のボタンの掛け違いとは何か。

それは「幸せには広い家が必要だ」という思い込みです。

 

こう聞かれると「それはよくわかる。広い家でないと幸せになれないという思い込みがA氏を不幸にさせているんですよね」と頷く人も多いでしょう。

しかしA氏にとっての「広い家」のような思い込みを実はみな一人一人持っているのです。

「東大合格しなければ幸せになれない」という思い込みを持っている人もあれば、「あの人と別れたら生きていけない」と思い込んでいる人もあります。

あるいは「こんな容姿では」「こんな性格では」「こんな病気では」幸せになれっこない、と思い込んで、その思い込みが自分を苦しめているのです。

 

仏教はそれらの人たちに「有無同然」と諭されています。

有っても無くても同じだよ、と説かれたお釈迦さまのお言葉です。

私たちは「これがないと幸せになれない」、あるいは「これがあるから幸せになれないんだ」と思い込むのですが、お釈迦さまはそんな私たちに「それは思い込みだよ、有っても無くても同じなんだよ」と説かれているのです。

この釈迦の教説はとても受け入れがたいと思われるかもしれませんが、これがわからないと、いつまでも自分の思い込みで自分の首を絞め、人生を苦しくさせてしまうことになります。

 

 

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浄土真宗は仏教なのか

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【浄土真宗(1)】

 

 

「浄土真宗は仏教なんでしょうか」という質問を時々受けます。

私は専門は浄土真宗ですので、このような質問をしてこられるのでしょうが、こう質問してこられる方はたいていちょっと仏教を学んでおられる方です。

浄土真宗、親鸞聖人の教えを学んでいきますと、仏教の教えをある程度学んだ人が「いや、ちょっと待てよ…。こんな教え、聞いたことないぞ」と戸惑われることがあるのかなと感じています。

 

それは今日だけではありません。

親鸞聖人がおられた時からそうでした。

当時の日本の仏教界に親鸞聖人の教えはあまりにも衝撃的で、非難の嵐が巻き起こっています。

僧侶には固く禁じられていた肉食妻帯を断行され、「破戒僧だ」と総攻撃を受けられています。

仏教を破壊する仏敵だとまで中傷されました。

 

親鸞聖人の教えられた、その常識破りの衝撃的な内容に、「本当にこれが釈迦の教えとはとても思えない」と唖然とした人がいたのもわかります。

たとえば煩悩が苦しみの原因であり、この煩悩の火を消し、悟りを開くのが仏教だと皆思い込んでいたところに親鸞聖人は「煩悩あるがままで救われる仏の救い」を明らかにされています。

煩悩や執着、我執が苦悩の根元ではないと言われたのです。

これはその心と向き合って何とか抑えたい、なくしたいと励む多くの仏道修行者には青天の霹靂だったに違いありません。

 

また有名な歎異抄には「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」とあります。

「善人でさえ救われる、ましていわんや悪人はなおさら救われる」と親鸞聖人がおっしゃったお言葉です。

仏教は善功功徳を積んで修行して悟りを開く教えだと思ってる人からすると、悪人こそ救われると説かれた親鸞聖人は仏教の教えと真逆ではないかと思う人がいても無理もありません。

 

親鸞聖人の教えは深遠で、なればこそ誤解しやすい所があります。

重ねて聞かないと、なぜ親鸞聖人の教えがブッダの教えそのものであるか、なかなかわかりません。

しかし親鸞聖人の教えこそがブッダの真意なのです。

 

なんでそう言えるのか、ここをこそよくわかっていただきたい、特に浄土真宗の門徒の方には知っておいていただきたいところなのです。

こちらは『浄土真宗は仏教なのか』ということをテーマに、親鸞聖人の教えとブッタの教えの関係をお話ししています。

ぜひご視聴ください。

>>浄土真宗は仏教か

人命軽視の権力者の横暴

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【人身受け難し(1)】


米軍の無人偵察機をイラン軍に撃墜されたトランプ大統領が、その報復としてイランの基地爆撃を計画した際、犠牲者が150人になると聞き、無人機への報復としては不釣り合いだと判断し、攻撃開始の10分前に中止を決めたことがありました。

米軍のドローン一機が150人だと不釣り合いだとしたら、何人だったら釣り合うと、彼は考えたのでしょうか。

そもそも人の命を、報復の釣り合いという枠組みで語ること自体、人命を頭数としか見れない為政者の横暴です。

実に嫌な気持ちがする報道です。

 

太平洋戦争のインパール作戦での作戦会議の様子が、会議に出席していた齋藤博圀少尉の回想録にこう書かれています。

「司令官から作戦参謀に“どのくらいの損害が出るか”と質問があり、“ハイ、5,000人殺せばとれると思います”と返事があった。最初は敵を5,000人殺すのかと思った。それは、味方の師団で5,000人の損害が出るということだった。まるで虫けらでも殺すみたいに、隷下部隊の損害を表現する。参謀部の将校から『何千人殺せば、どこがとれる』という言葉をよく耳にした」

大局を見て計画を立てる上層部は、そういう見方をしてしまうのは仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

しかし「何千人殺せば、どこがとれる」なんて言葉は、その何千人の人とその家族の気持ちを少しでも汲み取る気持ちがあれば、言えないことではなかろうか。

 

小さいころ観た戦争ドラマで記憶に残っている場面があります。

玄関先で役人より夫の戦死の報を受けた若い妻が、その場で思わずしゃがみ込んでしまうのです。

ところが妻はすぐにやがて立ち上がり、役人に非礼をわび、あいさつをする、という場面でした。

こうした「無言の帰還」は、名誉の戦死とたたえられた時代でした。

各地で盛大な市町村葬が行われ、戦死者を出した家には「誉れの家」の標識が掲げられ、誉れの家らしくふるまうことが求められたので、家族は人前で悲しむことは許されませんでした。

戦死公報を手に、涙をこらえ、その死を受け入れるしかなかったのです。

 

作戦参謀が「5,000人殺せばとれる」と口にする、その5000人はそれぞれ一生懸命生きてきて、これからも生きたい気持ち一杯であり、さらにはその無事の生還を自分の命を変えてでもの思いで念じている家族がいました。

そんな人たちの命を預かる、という自分の立場への痛みがあれば、「何千人殺せば、どこがとれる」などという言葉は出てこないはずです。

 

権力者の横暴はいつの世にも繰り返され、今なおそうですが、せめてそういう戦死者とその遺族の悲しみに想像力が及ばない者に権力を握らせたくないものです。

 

 

 

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勝って幸せになるのではない、与えて幸せになるのだ

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【自利利他(1)】

 


「勝ち組」「負け組」という言葉があります。

経済格差が広がり、それが結婚や子供の学歴などいろいろな面の差にもなり、その差を「勝ち組」「負け組」とレッテルを貼る人があるということなのですが、嫌な言葉だと思う人も多いかと思います。

 

最近ではこの言葉が会社でも出世する人とできない人をこの言い方で分けて語ったり、子供の間でもクラスや部活でも使われたりすると聞きます。

この風潮にあおられて否が応に「勝ち組になりたい」「負け組になりたくない」と神経をすり減らす人は多くあります。

 

しかし仏教の教えからすると、「勝ち組」「負け組」とどうレッテルをつけられようが、たいしたことでもなく、むしろどうでもいいことです。

たとえ人が負け組と判断しようが幸せならそれでいいし、勝ち組だと言われても幸福感がないのなら、そんなのはごめんです。

要は自分自身が幸せかどうか、です。

 

そもそも仏教は「勝っても幸せになれない」と説きます。

なぜなら相手を負かせたらその人は嫌な思いになるだけで、人を嫌な気持ちにさせる人に幸せはもう訪れないからです。

 

仏教は「相手から取って自分のものにしても幸せになれませんよ」と説きます。

勝って何かを獲得したところで、一時の歓喜が過ぎれば、あとは前と同じような心で、むしろ今度は取られる不安が襲い、奪った相手の報復を恐れ、周りの友人も奪おうとしているのではと疑心暗鬼になり、いいことなしです。

 

仏教は「与えて幸せになりなさい」と説く教えです。

これを「自利利他」といいます。

『利』とは「利益(りやく)」「幸せ」という意味です。

『自利』とは、自分が幸せになること。

『利他』とは、他人を幸せにすること。

『自利利他』とは、人を幸せにするままが我が身の幸せになる、ということです。

 

勝って幸せになるのではありません。

与えて幸せになるのです。

これはブッダが私たちに教えてくれたかけがえのない貴重な情報です。

 

 

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「どんな恐ろしいこともしてしまう」と告白された親鸞聖人

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【さるべき業縁(1)】

 

親鸞聖人の言葉に「さるべき業縁(ごうえん)の催(もよお)せば、如何なる振舞(ふるまい)もすべし(歎異抄)」とあります。

"縁がくれば、どんな恐ろしい事でも、親鸞はやるであろう"との親鸞聖人の告白です。

ここで親鸞聖人の言われる「如何なる振舞」の中には、窃盗もウソも虐待もある、殺人もあれば、自殺も入ります。

縁がくればどんな恐ろしい事でもやってしまう業(カルマ)を持つ我身を知らされ、痛切な懺悔から親鸞聖人はこう述懐されたのです。

これは親鸞聖人だけのことではありません。

 

カンボジアのポル・ポト政権下で1万2千人以上が殺害された政治犯収容所の所長を務めた77才の元幹部が、入院先の病院で死亡したと最近報道されました。

拷問や処刑を直接指揮したとされる人物です。

彼はかつて首都プノンペンの最高学府に全国2位の成績で合格した優秀な青年でしたが、共産主義に傾倒し、革命運動にのめり込んで行きました。

ポル・ポト政権が彼にとって「さるべき業縁」であり、それにより拷問や処刑という「いかなる振る舞い」がなされたのです。

 

ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは、多数のユダヤ人を殺処分したことで「凶悪」「悪魔」「怪物」とされていたアイヒマンの裁判を傍聴し、そのあまりに小市民的な姿に「怖いほどの凡人」「国家の忠実な下僕として罪の意識もなく従っただけ」と評しました。

平和な時代ならまじめな公務員として一生を終えていたであろうアイヒマンは、ナチスの政権に順ったため、想像を絶する残虐な犯罪人と化したのです。

 

縁がきたら人間は何をやるかわからない。

「あんなことだけは絶対やらない」と言い切れる正義の人は果たしているでしょうか。

人間の実態を深く洞察したお言葉が「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし(歎異抄)」なのです。

 

 

 

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幸せは案外こんなところにある

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【縁(1)】


あなたは朝起きて最初に会う人は誰ですか。

「おはよう」と言うと「おはよう」と返してくれる人です。

ご主人か、奥さんか、あるいはお父さんお母さんか、子供でしょうか、職場の人かもしれません。

その時、気持ちよく幸せな思いになれていますか。

それとも嫌でため息つきたくなる思いになるでしょうか。

これは一日の大事なスタートとして大事なポイントですね。

けっこう人生の幸せの大きなポイントはこういうところにあるものです。

 

では日中はどうでしょう。

あなたが一日の多くの時間を過ごす人は誰でしょうか。

その共に過ごす人が気持ちのいい人だったら、その人の一日は気持ちの軽いものになります。

逆にその人が嫌な人、イライラする人だった場合、その一日はストレスで心身をむしばむことになります。

 

こういった日々の人との関わりは、収入や学歴なんかよりずっと幸福の大きな要素です。

着ている服や住んでいる家よりもずっと人生に大きな影響を及ぼすことになります。

 

仏教ではこうした「人との関わり」のことを「縁」といいますが、誰と縁を持つか、誰と縁を深めるか、ということは、幸福になるか不幸になるか、成功するか失敗するか、の極めて大事なポイントですよと教えます。

人生における全ての結果は因(決断や行動などの自身の行い)と縁(人との関わりなど、周りの環境)が結びついて起きることだからです。

 

例えば結婚相手。

「人生の伴侶」とも言うように、人生の旅を伴って進む人ですから、選ぶ相手を間違えたら大変です。

人生、ずっと嫌な思いをしなければならなくなります。

ビジネスパートナーもそうです。

選ぶ人もよく吟味しなければならないのは当然です。

信頼できる人との取引でないと、その人のせいで大損することもありますし、だまされて資産を全部失ってしまう、ということだってあります。

どんな部下を選ぶか、どんな上司を選ぶか、それによって仕事上のストレスも相当違います。

その仕事を好きになれるかどうかも、この点がとても大きいものがあります。

 

目先の収入や評価に目の色を変え、人との縁を大切にしない人があります。

そういう人は他人よりいい家に住み、いい服を着ることができるようになるかもしれませんが、幸福になれるかというと話は別です。

 

人との縁を大事にし、幸せな人生を送りたいものです。

 

 

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