【無明(1)】
今日ご紹介するのはある10代の青年の書いた文章ですが、
けっこう毎年のように起きる無差別通り魔事件を起こす若者も
こんな気持ちが昂じての犯行だったのではなかろうかとふと思いました。
私も仏教と出会う前はこの青年のような虚無的な思いを確かに抱えていました。
彼の気持ちが分かるところがあります。
以下、その青年の文章です。
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死ぬ理由はないが生きる理由もないし、死のうかなって思ってる。
バイク買おうかなって思ってるけど、お金たまるのにあと三ヶ月はかかるし、
人生は早送りも出来ないし辛気臭いよね。
三ヶ月も面倒だから死のうかなって思ってる。
まぁどうせ死なないのだろうけど。
死ぬより事件を起こすタイプかもしれない。
イラっとして切れてしまいそうになる。
切れる理由もないのだけど。
なんもないんだよね。
なんもないからなんかあまりにもつまんなくて
切れてしまいそうになったり死にたくなる。
友達もいないし彼女もいないし。
つまんない人生だなぁ~
働いて働いて、やっと休みも暇で暇で、
また働いて働いて。。早送り出来ないかなぁ。
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無軌道な殺人などの犯罪の加害者を、
残虐で異常な人格と片付けてしまうと、見えてこないものがあります。
先日のメルマガでも取り上げましたが、
『フライデー』のカメラマンが数々の凄惨な事件を取材し、
どうして加害者がそんな犯罪に手を染めたのか、
生い立ちから動機まで丹念に調べ上げ、一冊の著書にまとめたその結論は
「自分たちとの明確な違いは存在しない」
というものでした。
いっそのこと、パンデミックになって世の中の秩序もめちゃめちゃになってくれ、
学校も会社も地震で倒壊してくれ、
窒息しそうな、この閉塞した環境から解き放たれるなら、
自殺だって、殺人だって、核ミサイルのボタンを押すことだってやるぞ、
という人がどれだけいるか分かりません。
常軌を逸した不条理な犯罪の数々は、
誰の心にも巣くっている、この虚しく、寂しく、孤独な暗い心が引き起したものと言えないでしょうか。
ps
無差別殺人の少年が「なぜ人を殺してはいけないのか」と真顔で聞き、うろたえる大人