親鸞に学ぶ幸福論

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成功すると「おれの腕」失敗すると「あいつのせい」では一貫していない

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愚痴』とは、妬み、うらみ、憎しみ、嫉妬の心です。

 

あなたも今までの人生、

愚痴の心いっぱいになった時もあったかと思うのですが、

どんな時でしたか?

 

自らに悪い結果が起きた時、ではなかったでしょうか。

苦しいとき、辛いとき、思い通りにならない時、愚痴の心が出てきます。

 

幸せな時、上り調子の時には、恨みや妬みは起きません。

努力は報われる。流した汗は裏切らない

『善因善果』『自因自果』

因果の道理は真実だなあ、と納得できるものです。

いい結果が自分に訪れた時には

自分のまいた種が自分に表れるんだよ、

という釈迦の教えがスッと理解できる。

儲かった時は「俺の腕だ。」と断言し

認められた時は「おれの力だ。」と自負心も出てきます。

 

成功者へのインタビューで

「なんであなたは成功したんですか」と尋ねれば

しゃべるしゃべる、自伝まで書く。

ディテールにわたって細かく成功の要因を分析してみせ、

「あの時のあの決断が今の私を作ったんです。」

と語るものです。

その成功者の弁は本人が語る通りだと思います。

確かにそういうその人の言動、決断が今の成功を導いたのでしょう。

 

それがわかるのであれば、悪い結果が来た時も

自分の言動、決断の失敗を見つめなければならないのですが、

なぜか人間というものは悪い結果が来ると、

『自業自得』がもう認められなくなるものです。

 

「なんでオレだけがこんな目に遭わなければならないのか。」

「あいつがあんなことさえ言わなければこんなことなかったじゃないか。」

あいつのせいだ、こいつのせいだとうらみ、憎む。

さしたる犯人が見当たらない場合は

「時代が悪かった。」

「社会のせいだ。」

と八つ当たりする。

 

善果が来た時は「おれが善い行いをしたからだ。」

と自分の手柄にし、

悪い結果が来ると「あいつのせいだ。」

と人のせいにする。

これでは一貫性がない、むちゃくちゃな論理です。

 

善い結果が来た時にその原因を自分の力に求めるなら

善い結果が来なかった時もその原因は自分の力不足に求めなければ

論理一貫していない、ご都合主義と断じられても文句は言えません。

 

『善因善果 悪因悪果 自因自果』

カボチャの種からナスの芽が出たためしはありません。

まいたタネしか、生えてはこない。

歴然として私がない、この因果の大道理を深信し

日々精進するのが仏法者です。

 

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