親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

煩悩林の真っ只中で幸福になるには

f:id:kikuutan:20091215151714j:plain

 

 


【煩悩林(1)】


仏教では「大衆」を『煩悩林(ぼんのうりん)』と言われます。

『煩悩林』とは、煩悩の林、

数々の煩悩が林立している、ということです。

煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませるもの。

ひとりの人間に108の煩悩があることから、

「百八の煩悩」といわれます。

そのいくつかを言うと、

・思い通りにならないとすぐ腹を立てる心、

・幸福な人をねたみ、不幸な人をクスクス笑う心、

・そんな自分なのに人からは尊敬されたい一杯の心、

そういう心が煩悩です。

 


10人のグループが集まると、そこには1080の煩悩がある。

100人のグループでは、10800の煩悩。

1000人では、108000の煩悩。

では東京ドーム5万5千人では?

・・・計算、大変ですネ。

何しろ「大衆」とは、ところ狭しと煩悩がウジャウジャと

密生している密林、ジャングルのようなものだ、ということで、

「煩悩林」と説かれているのです。

 


「煩悩林」の中で生きるのは大変です。

芥川龍之介は

「周囲は醜い。自己も醜い。

そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい」

と書き遺しました。

 


仏教では煩悩林(大衆)の住まいするこの世のことを

『穢土(えど)』といいます。

「煩悩に穢れた世界」ということです。

この人間世界を、穢れた世界、とまでは思わない人は、

ちょうど公園の臭いトイレでも、長くいると鼻がバカになって、

「臭い」と感じなくなってしまうようなものだ

と仏教では言われます。

その点、芥川は鼻が敏感な人だったので、

とても穢土で生きていくのが、耐えられなかったのでしょう。

 


「穢土」に住まいし、傷つけ、傷つけられ苦しむ私たち大衆に、

真の幸福があることを教えられたのが、親鸞聖人でした。

『有漏の穢身は変わらねど こころは浄土に遊ぶなり』

“穢土に生きるままで、煩悩林の真っ只中で、

心は浄土へ往って遊んでいるように楽しく愉快だ”

と、絶対の幸福があることを明言されています。

 

=========


絶対の幸福とは何か、わかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。



 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。