【煩悩林(1)】
仏教では「大衆」を『煩悩林(ぼんのうりん)』と言われます。
『煩悩林』とは、煩悩の林、
数々の煩悩が林立している、ということです。
煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませるもの。
ひとりの人間に108の煩悩があることから、
「百八の煩悩」といわれます。
そのいくつかを言うと、
・思い通りにならないとすぐ腹を立てる心、
・幸福な人をねたみ、不幸な人をクスクス笑う心、
・そんな自分なのに人からは尊敬されたい一杯の心、
そういう心が煩悩です。
10人のグループが集まると、そこには1080の煩悩がある。
100人のグループでは、10800の煩悩。
1000人では、108000の煩悩。
では東京ドーム5万5千人では?
・・・計算、大変ですネ。
何しろ「大衆」とは、ところ狭しと煩悩がウジャウジャと
密生している密林、ジャングルのようなものだ、ということで、
「煩悩林」と説かれているのです。
「煩悩林」の中で生きるのは大変です。
芥川龍之介は
「周囲は醜い。自己も醜い。
そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい」
と書き遺しました。
仏教では煩悩林(大衆)の住まいするこの世のことを
『穢土(えど)』といいます。
「煩悩に穢れた世界」ということです。
この人間世界を、穢れた世界、とまでは思わない人は、
ちょうど公園の臭いトイレでも、長くいると鼻がバカになって、
「臭い」と感じなくなってしまうようなものだ
と仏教では言われます。
その点、芥川は鼻が敏感な人だったので、
とても穢土で生きていくのが、耐えられなかったのでしょう。
「穢土」に住まいし、傷つけ、傷つけられ苦しむ私たち大衆に、
真の幸福があることを教えられたのが、親鸞聖人でした。
『有漏の穢身は変わらねど こころは浄土に遊ぶなり』
“穢土に生きるままで、煩悩林の真っ只中で、
心は浄土へ往って遊んでいるように楽しく愉快だ”
と、絶対の幸福があることを明言されています。
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