サッカーは相手のゴールポストにボールを手を使わずに入れることを目的とするスポーツです。
その目的に向かう限り、どのパスにも、どのドリブルにも意味があります。
しかし「ゴールポストにボールを入れたところで何になる?」と言い始めたら、
どんなスーパースターの妙技も「だからどうした」となり、
もうサッカー自体が意味をなさなくなります。
時間内に何回ゴールするか、その回数で勝ち負けが決する、これがサッカーのルールなんだから、
としか言いようがない。
ではそのルールに何の価値がある、
果たしてそれは負けと言えるのか、
などと言い出したら、ただの面倒くさい人で、
「いいからお前もう、サッカー観るなよ」
と言われるのがオチです。
しかしこれはサッカーを例に取って言っただけのことで、人生もそうだといえます。
例えばある兵士が祖国のために戦死したとします。
その国で、彼は護国の英雄として讃えられます。
しかし祖国とは何か、守ることに何の意味があるか、と
とことん問い続けたら誰だって答えきれなくなってしまいます。
世間で「すごい」「偉い」と讃えられていることも、
私たちがその意味を問うのをどこかで止めているからそう言える、といえます。
世にあふれる自己啓発本、成功者の体験談がどこか薄っぺらな印象を与えるのは、
そうやって成功することに何の意味があるのか、という問いに蓋をしているからです。
では何の前提もなしに絶対に価値がある、と言い切れるものはあるのでしょうか。
ブッダは「ある」といわれています。
それを私たちに分かるように説かれているのが仏教です。
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