【人身受け難し(1)】
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、
いずれもユダヤ民族の神話と歴史の書である「旧約聖書」をルーツとしており、
唯一神にして万物の創造主とされる「ヤハウェ」を拝するのも一緒で、
ひっくるめて「アブラハムの宗教」と称されます。
今日、アブラハムの宗教の信者は、世界の過半数を占め、世界最大の思想宗教です。
アブラハムの宗教では「人間は神によって造られた被造物である」と断定します。
その根拠は「この宇宙と人間という存在が、偶然の産物であるはずがない」であり、
いかに宇宙が緻密で精巧かを、様々な事例で力説し、
「どう?これが偶然なんてある?」と迫ります。
そしてまたこう言います。
「神は、意図があって人間を造った。
神の被造物である人間の生まれてきた目的は、
神が人間を造った意図を知って、初めて判明する」
これは、造られた人間の生きる目的を知っているのは造った神のみだ、という論理です。
この論理の補強材料として、キリスト教を説く者がよく使う例は、
「時計は時間を知るためにあり、
車は人や物を運ぶためにある。
作られたものには必ず、
それを作った人の目的があるでしょ」
というもの。
そしてここから、自殺者や殺人の多い暗い世相をクローズアップし、
「神を否定したから、生きる意味が感じられず、自殺したり、人を殺したりするんだ」
と、「神を信じない」悲劇を力説します。
ここでも「人間が偶然の産物なら、存在の意味とか目的を問うことはできないよね」と、
神を信じるか、唯物論か、二者択一の思想しなかいかのように話しを持っていきます。
今私が話したことは、キリスト教を語る人が、
かなり鉄板にしている話しの進め方ですから、
キリスト教の話に触れた経験があれば、
この展開の話はご存じの方も多いと思いますが、
随所に突っ込みどころ満載です。
ちなみに仏教では、創造主を持ち出さず、すべては偶然の産物とも言わず、
なおそれでいて揺るぎなき「生きる意味」があることを明かします。
まるで創造主の神か、一切は偶然の唯物論か、
二元論に帰結しようとしていた人も、
仏教を知られると、こんな物の見方があるのか、と
きっと新鮮に感じられるのではないかと思います。
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