親鸞に学ぶ幸福論

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衆人環視に身を置いて己を正す清原和博:薬物依存の克服法

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【縁(1)】

元プロ野球選手の清原氏の言っていたことで心に残ったことがあります。

彼は薬物で逮捕されて以来、警察からよく職務質問を受けるそうで、時には「薬物の尿検査してもらえますか」と、その場で検査させられることもあるそうです。

それがすごく屈辱的で、当初はひどく落ち込んだとのことですが、今は気持ちが変わったそうです。

こうして警察が職務質問して抜き打ちで検査してくれるからこそ、再び覚せい剤に手を出さなくて済んでいるんだ、再犯しないよう支えてくれているありがたい存在だ、と思うようになったというのです。

 .

清原氏の場合、大きな身体で目立つし、国民誰もが顔を知っているし、覚せい剤を使っていたことも周知されているので、警察が職質するのでしょう。

一般人が覚せい剤で逮捕され、刑期を終えて町を歩いていても、誰からも顔を知られていないので、職質を受けたりすることはありません。

しかし清原氏は違います。

「あっ、あの清原だ。本当にあいつ、今はやっていないんだろうか」と警察もマスコミも鵜の目鷹の目で群がってきます。

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この針のむしろ状態の衆人環視は、さぞ精神的につらいだろうな、ストレスだろうな、と同情しますが、彼はそこを「こういう立場だから再犯しなくて済んでいると感謝している」と言うのですから、これはなかなか言えることではないし、本当にその通りだなとも思いました。

覚せい剤の再犯率が高いのは、それだけ強烈な依存性があるからです。

これは精神力や決意で何ともなるものではありません。

断ち切るには絶対に再び手を出せない強制的な環境設定をするしかないのですが、それでも難しく、何度も刑務所を行き来することになる人がほとんどです。

その点、彼は国民みなに守ってもらえている立場といえますから、他の覚せい剤逮捕経験ある人より有利で恵まれているな、と思います。

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今度は蝗害かも

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【無常(1)】


「蝗害(こうがい)」という言葉をご存じでしょうか。

バッタの大量発生による穀物被害のことです。

この夏「蝗害」がインドを襲い、コロナ禍以上に深刻な影響を及ぼしました。

首都デリー郊外の町はバッタの群れで空が薄暗くなり、高層マンションに大量のバッタが張り付く様子も世界中に報道されました。

発生したのは東アフリカで、2500万人以上の食糧危機を招き、中東に被害をもたらし、インドに侵入し、今度は中国に押し寄せるかもしれないとのこと。

中国政府はインドパキスタンの国境付近にガチョウ10万羽を配備し「迎撃体制」に入っています。

なぜガチョウかというと、バッタを捕食するからだそうです。

殺虫剤だと穀物や自然や人体への影響が懸念されるので、このたびのガチョウ戦術なんですが、宇宙防衛、AI戦略といわれる時代にガチョウとは。。。

 

「死の縁無量」です。

コロナ禍の次は豪雨災害、今は猛暑による熱中症、今度はバッタかもしれませんよ。

個人というレベルで見ても、がんだったり、脳梗塞だったり、交通事故だったり、死の縁はそこら中にごろごろして、いつ自分の番が廻ってくるかわかりません。

いつ何がやってくるかわからない世の中、薄氷のような人生だからこそ、永久に崩れぬ心の幸せを求めよ、と仏教は説かれます。

 

 

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やまゆり園植松死刑囚に思うこと

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【人身受け難し(1)】
 

2016年、相模原市のやまゆり園で起きた45人を殺傷した植松聖死刑囚は、日頃から友人たちに「障害者なんて生きる意味がない」という自論を主張していました。

彼が得意げにそう話すのを友人が「やめろよ、そういうこと言うの」とたしなめると、「俺を論破するのは難しいぜ」と言い返してきたといいます。

おそらく彼はこの自論を論破された経験がなかったのではないでしょうか。

むしろ誰もきちんと言い返せず、たしなめようとする人があってもそれは建前で、本当のところ、生きる意味は何なのか、ハッキリ答えれる奴いないでないか、と自信を深めていったのではないかとさえ思います。

いつしかハッキリその自論を主張できることが自己のアイデンティティになっていったのかもしれません。

 

今年3月、裁判で彼は死刑判決を受けました。

言ってみれば世の中から彼の生き方は否定されたといえます。

しかし裁判の最後、彼はいきなり演説で自己主張を始め、周りに衝撃を与えました。

裁判で被害者家族の悲しみの声をどれだけ聴いても、彼の自論は少しも変わらなかったのです。

 

このたびの事件の根っ子にあるのは、まぎれもなく「彼の思想」です。

ならばこの事件、どうすれば食い止めることができたか。

彼が事件前、友人や誰かの前で得意げに自論を展開したとき、それを論破する人がいなければならなかった、と思うのです。

「負けた。俺の主張は間違っていた」となるか、そこまでいかなくても「ひょっとしたら俺の自論は間違っているかもしれない」と揺らぐようなことを彼に言わなければなりませんでした。

 

ではどう言えば彼を論破できたのか。

いや、言い方ではない。

正真正銘、彼を論破する確固たる思想はあるのか。

強烈にこの問いを世に突きつけた事件だったと言えます。

 

支援学校のある教員は「意思疎通のできない者は生きる意味がない」と言い切るその男の自論に大衝撃を受けたといいます。

「そんな心はないかと教員は誰でも胸に手を当てて考えたと思います」と語りました。

今なお植松死刑囚は自説を曲げず、彼を英雄視する声もネット上に上がっています。

どれだけ死刑判決を下しても、彼の自論自体が論破されない限り、近い将来同じことは起きるでしょう。

それが今度は政治家や科学者の手によって行なわれるかもしれない、そうなれば植松被告とは比較にならない惨事です。

今、人類に「どんな人にでも生きる意味がある」と説き示す思想が希求されているのです。

 

 

 

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なぜ釈迦は死を虎にたとえられたか

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【無常(1)】


地震研究者が言うには「日本という国は、国土全体が一本のつり橋の上にかかっているような不安定な状態」であり、しかも「その橋をつっている縄が今にも切れそう」なのだそうです。

南海トラフ地震も「必ずやってくる」とのこと、「東日本大震災も自明だった」と言っていました。

 

想定外の大津波と言われましたが、東北太平洋側の津波は今回が初めてではありません。

明治29年にも、昭和8年にも襲い、多くの人命を奪い去っています。

それどころかこの地では歴史に残っているだけでも、何十年おきに津波が繰返されており、それがこのたび、着実に再び起きたのです。

 

現在の地震学の見解では、歴史に記録されていないだけで、同様の津波がそれ以上に相当あったとされ、未来にも何度となく繰り返されるであろうとのこと、

 

こう聞くと、そこまでわかっていたんならどうして防波堤を高くしていなかったのか、なんでそんな危険な場所に原発を造ったんだ、どうして沿岸地帯に家なんか建てたのか、なんで誰も警告してなかったのか、と後だしじゃんけんのように口々に非難する人も現れますが、50年、100年スパンで危機意識を持てる人はなかなかおらず、大惨事もいつしかすっかり忘れ去られてしまい、めったなことはあるまいという気分になって、またも沿岸部に家が建ち始め、原発建築の話も持ち上がったりする、それが私たちの姿なのかもしれません。

 

「まさかそんなことが今起きるはずない」と安穏とし、突然やってきて慌て蓋さめくのは津波だけではありません。

がん、脳梗塞、心筋梗塞、交通事故、原発事故、戦争、核ミサイル、パンデミック、通り魔、銃乱射、何が起きるかわかりません。

どれだけこれらを回避しようと努めても、結局のところ「死」は回避できません。

 

お釈迦様は「死」を虎にたとえられました。

同じ肉食獣でも、狩の仕方はいろいろで、チーターは持ち前のスピードで獲物をしとめ、ライオンは集団で獲物を誘い込んでいきます。

虎の狩りはどうかといえば、あの迷彩色でジャングルに身を隠し、忍び足で近づき、突然襲いかかります。

突然やってくる【死】の実態からいっても、釈迦は「虎」にたとえられたのでしょう。

 

「いつか死ぬ」

誰でもよく分かっていることです。

しかし私たちの生活に虎の気配はありません。

当然のように毎日朝を迎え、当然のように死なないまま夜を迎え布団に入り、その繰り返しの何十年ですから、明日も明後日もいつまでもこれが続く、と錯覚してしまうのでしょう。

しかし死は忍びやかに近づいています。

虎は一人に一匹づついて、背後から忍び足で着実に近づいてきているのです。

 

 

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家康が心から欲しいものはただ一つだった

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【流転輪廻(1)】


以前、Twitterでこんなつぶやきをしていた人があり、心に残りました。

ーーーーーーーー
学生時は社会人すげー
新卒時はトップセールスすげー
会社員時は独立すげー
フリーランス時は社長すげー
って思っていました。
でも、そうなったり、なりそうな時はあまり達成感はなくて、むしろここからまた始まるから頑張らなきゃと、いつもリセットされ、再スタートする。
ーーーーーーーーー

 

このつぶやきに共感する人も少なくないのではと思います。

もちろんこのつぶやきを発している人は、トップセールスになり、独立し、社長となっていく階段を上る中でこういう発言なのですから、デキる人に違いなく、若者らしい向上心あふれる意欲的な発言であり、おそらくこれに「いいね」「リツイート」する人も、前向きな意味で刺激を受けたということでの反応なのだと思います。

ただ同時にこのつぶやきは、どこまで行けば満たされるんだろう、との本人のぼんやりした思いも含まれているように感じます。

そしてそのぼんやりした思いにこそ共感する人もあると思うのです。

 

わたしはこのTwitterのつぶやきに徳川家康の遺訓の一節を思い出しました。

「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」

(オレの一生は苦しみ悩みの重荷を背負って歩き続けるようなもので、死ぬまでその重荷は下ろせなかった)

この述懐に「さすが家康、苦労人だな、そうやって努力を重ねてきたから天下人になれたんだな」と感心する人もあるでしょうし、事実偉人の名言として知られる一節です。

 

しかし決してこの歌は、人生の勝利者としての言葉ではなく、どこの誰もがしんみりと感じ得る人生の実態ではないでしょうか。

なぜならこの歌、「重荷を背負う人生行路だったけど、天下を取って今重荷を下ろしたぞ」と満足している家康の言葉ではないのですから。

天下を取っても重荷は下ろせない、と家康は述懐しているのです。

 

人質から始まった彼の人生は苦労続きでした、

桶狭間の戦を経て一国一城の主になりますが、織田、武田などの大国に囲まれ、常にそのプレッシャーの狭間で重荷は下ろせません。

妻や子供や家来にも気を遣い、時に非情な選択をし、他の武将が次々と失脚する中、着々と領土を広げますが、秀吉に領地換えをさせられ、ここでもまた、忍従を強いられる。

秀吉亡き後、ついに征夷大将軍となり、幕府を開きますが、天下を取ってなお、大阪の秀頼の存在を憂い、島津や伊達の江戸侵攻を恐れ、最後は老いと病という重荷に苦しみました、

そして最後に詠ったのがあの遺訓です。

 

家康が心から欲したものは何だったのだろう。

本人は自分の本心に気付かなかったかもしれませんが、それは天下統一でもなければ、幕府を開くことでもなかったはず。

物心つくときから晩年までただ一つ家康が望んだことは「重荷を下ろしたい」これ一つだったに違いない。

しかしついに重荷を下ろせなかった、と言って息を引き取っているのです。

 

このように、どこまで行っても完成やゴールがない人生の実態を仏教では「流転輪廻」といいます。

この流転輪廻からの解脱が仏教の目的なのです。

 

 

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盛者必衰の理をアメリカに見る

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【諸行無常(1)】


この度のコロナ禍は、100年以上世界をリードしてきた超大国アメリカの「終わりの始まり」ではないか、と論じる識者が多くあります。

「この国は上手くいっていない」と、世界中の人も、アメリカ国民も感付き始めています。

確かに軍事面では地上最強です。

しかし様々な面で惨憺たる状況といえます。

アメリカの子供は他の先進国の子供に比べ、基本科目の成績が悪いのは、まっとうな教育を受けられない貧困家庭が多いからです。

他の先進国より幼くして死亡する子供の確率が高いのも、高い医療費が払えず病院に行けないほど貧困だからです。

すでにアメリカの医療システムが破たんしているのは前から指摘されていたことですが、この度のコロナでも断トツの死者数を出したことはその深刻さを曝露してしまいました。

さらにアメリカは人口に対する囚人数の割合が世界一高く、銃犯罪がはびこり、個人債務が人々を苦しめています。

所得格差が世界一大きく、それは「所得下位80%の各世帯が額面7000ドルの小切手を上位1%に毎年渡している計算になる」ほどです。

 

ではこうして膨れ上がった富を上位1%の富裕層はどうしているのか。

ブルボン王朝の貴族もぶったまげる浪費をしています。

「世界に5つの豪邸を持ち、30人の使用人を雇い、移動には個人ジェット機を使い、ワインの銘柄を知るためのアドバイザーがいて、一泊34000ドルのホテルに宿泊し、ウォールストリートバーガーショップで高級ハンバーガーを食べ、アルゴンキンホテルのバーで一万ドルのオンザロックのマティーニを飲む」

派手な浪費という言葉ではとうてい説明できない使い方をしています。

しかもその経済格差は年々広がっており、このたびのコロナ禍でも4月からの11週間だけでアメリカの億万長者の資産は61兆円増えました。

一方この間に失業保険申請は4260万人でした。

 

もはやアメリカのような国になりたい、と世界が羨望する国とはいえなくなってきています。

とはいえ中国のような国になりたい、とも思えない人が多いのですが。

 

15,16世紀はスペインが日の沈まぬ国と呼ばれ、17世紀はオランダが黄金時代を迎え、18,19世紀は大英帝国が君臨し、そして20世紀はアメリカが超大国として覇権を握りました。

21世紀はスタートこそアメリカですが、さて今度はどの国が台頭してくるでしょう。

その世紀に生きた人たちは圧倒的なパワーをもって君臨するこれらの国々に、この権勢は永遠に続くように思ったでしょうが、100年~200年ももたなかったことは、現代に生きる私たちはよく知っています。

 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる者久しからず。ただ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」

仏教思想を語った平家物語の一節が思い出されます。

 

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死にたいALS患者の気持ちを変えた出来事

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【自利利他(1)】


仏教に『自利利他』という言葉があります。

『利』とは「利益(りやく)」「幸せ」という意味です。

『自利』とは、自分が幸せになること。

『利他』とは、他人を幸せにすること。

『自利利他』とは、人を幸せにするままが我が身の幸せになる、ということです。

 

ALSという難病を患いながら参院議員の職を務める舩後氏も、発症当時は「死にたい」と願ったそうです。

体に異変を感じたのは、商社で寝る間も惜しんで働いていた41歳の夏。

腕に力が入らず歯ブラシを落としてしまい、数日後にはかばんも持てなくなり、翌年ALSと診断された時は、今までの人生がガラガラと音を立てて崩れていくような気持になったといいます。

「生きていても迷惑だ、死にたい」となっていた彼が「生きよう」と変わったのは、担当医に他の患者のサポートをたのまれたことがきっかけでした。

自分の体験を語っていると、患者の表情が和らぎ、「ありがとう」と言ってもらえ、そういった交流を重ねるうちに「僕にもやれることがある」と思えるようになったそうです。

 

これも「自利利他」の一つの例だなと思いました。

苦しい時でもその中、人を励ましたり、慰めたりしていると、なぜか自分も励まされ、慰められる気持ちになります。

「施しは生きる力の元と知れ」

人に幸せを与えることが、自分自身生きる力の元となり、幸せになるのですよ、という仏教の歌です。

生きる力を失いかけている人の支えになり、生きる力を与えることが、いつしか自分自身の生きる力にもなっているのです。

 

 

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