【説法(1)】
現代社会は新聞や雑誌、テレビ、インターネットなど見るもの聞くもの
広告宣伝がシャワーのように降りかかる世の中です。
「こっちの水は甘いぞ」とばかりに、
あらゆる技法を駆使して迫ってきます。
毎日の生活が、無数のネオンの看板がギラギラしている繁華街を歩いているようなものです。
私も親鸞聖人の教えを伝えたいと思ってこのメルマガの宣伝広告を出してはいますが、
広告費も赤字にならないよう計算しながらの微々たるものなので、
繁華街の一角の目立たない電信柱の張り紙一枚くらいの宣伝力です。
ところがそんな張り紙広告を見られて訪ねてくださる方もあるのです。
私の微々たる活動、ブログの記事や広告を見られてこのメルマガを読まれるようになったのが
今この文章を読んでくださっている方々だと思うと、
深いご縁のあったかけがえのない方々とありがたく拝さずにおれません。
ただ私の貼った繁華街の電信柱のその一枚の張り紙広告は、
どこか他の店でも似たようなことを宣伝している、二番煎じの内容でないことは自負しています。
それはブログのデザインや文章力を言っているのではないですよ、それはお粗末ですが、
私がお話ししている親鸞聖人の教えはどこぞで簡単に聞ける内容ではない、ということです。
だから必ずその電信柱の前で「気になることが書いてある」と立ち止まる方があると確信しており、
事実そういう方がおられて、そういう人によくわかっていただくよう話を続けることに時間がどれだけあっても足らない毎日です。
浮世絵の芸術的価値を初めて見いだしたのは19世紀のヨーロッパでしたが、
なんと浮世絵は最初、日本の磁器や陶器を包むための緩衝材として海を渡ったのだそうです。
ヨレヨレの浮世絵の紙を広げて見たヨーロッパ人も少なからずあったでしょうが、
その多くはゴミ箱に直行でした。
しかしわかる人はその一枚に衝撃を受けました。
ゴッホやドガ、モネなどのパリの画家は浮世絵の模写を何枚も残し、
手紙の中でも浮世絵を絶賛し、
作曲家ドビュッシーは浮世絵を仕事場に掲げて交響詩『海』を作曲しました。
私は自分が発信している親鸞聖人の教えに、
月並みな言葉では表せない誇りを持って書き続けています。
ただ底知れない深遠な教えをうまく表現できないだけです。
その力のなさには時に絶望的な気持ちに襲われますが、
それでも必ず違いがわかる人はあるもので、
それはその方の深い仏縁によるものと、感謝してます。
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