親鸞に学ぶ幸福論

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ルソー「人間は呼吸するために生きているのではない」

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【人生の目的(1)】

 

どんな行動にも目的があります。

【タクシーに乗る】という行動も、【どこそこに何時までに行く】といった目的があります。

目的がないのにタクシーに乗っていれば、時間とお金がどんどん無駄になるだけです。

【勉強する】という行動にも当然目的があります。

「なんで勉強してるの」と問えば、「資格を取るため」とか「明日試験だから」などと返ってくるでしょう。

【歩く】という人間の基本的な行動も、

「ちょっとそこのコンビニまで」とか「気分転換に散歩」とか、目的は必ずあります。

このように人間の行動には目的があるのです。

では【生きる】という人間の行動、この目的は何でしょうか。

何を目的に私たちは【生きる】という行動を続けているのでしょうか。

 

タクシーに乗るのも、勉強するのも、歩くのも、

言ってみれば生きる営みの範疇に入るのですが、

さてその根本ともいえる【生きる】のは、そもそも何のためなのでしょうか。

 

ルソーは「人間は呼吸するために生きているのではない。何かをするために生きているのだ」と言いました。

呼吸するために生きている、と思っている人は誰もいないと思います。

ルソーの言う「何かをするために生きている」との言葉に、「そりゃそうだ」と言うでしょうが、

ではあなたにとってその「何か」とは、何でしょうか。

 

ルソーのような思想家、哲学者といった類いの人たちは、

一見当たり前のように見えて

それでいて私たちがすっかり忘れている人生の盲点を鋭く指摘します。

あなたにとって「何かをするために生きている」のその「何か」は明確でしょうか。

 

手帳を開けば、今日一日すべきことリストにさまざまなタスクが列記されていますが、

そうやって働いているのは、生活のためです。

それらのことをこなさなければ、仕事が立ちゆかなくなり、生活できなくなるからしている、といえます。

健康に気を遣って食事や運動するのも、上司や家族に気を遣って会話するのも、生活をよくするため。

ではそういう生活をよくして何を果たそうとしているのか、

何をするために生活しているのか、

何を成すために生きるのか、

わかっているようで根本が不透明なのが、人生の目的なのです。

 

 

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文明文化の進歩と幸福感が比例しない

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【流転輪廻(1)】


石器時代の人類は、1人が1日で消費するカロリーは4000カロリーでした。

これは食物として摂取するエネルギーだけでなく、

道具、衣類、たき火などに使うエネルギーを含んでの数値です。

では現代に生きる平均的なアメリカ人はどうかといえば、280000カロリーです。

自動車、パソコン、冷蔵庫、テレビなど、

現代人は石器時代の人類より70倍近いエネルギーを使って生活している、というわけです。

だからといって私たちは石器時代より70倍幸せだと言う人は

まずない、と言っていいのではないでしょうか。

 

もっとこうすれば火起こしが楽になるのではないか、

衣服をこうすればより暖かくなるのでないか

矢じりの形をこうした方が狩りで獲物をもっと獲れるのではないか

この薬草で病が治るのではないか、

みんなで集まって住んだ方が安全でないか、

もめ事が起きないようこんなルールを決めた方がいいのではないか、

と人類は何千年、何万年と試行錯誤を重ね、より良いものを探求し、

政治、経済、医学、科学、法律、芸術、倫理、スポーツ、

あらゆるものを積み上げ、今日の文明社会を築き上げました。

 

そのように営々と続けてきた努力の目的は一言で言えば

「幸福になりたい」の一心でした。

ところがその肝心要の「幸福」を人類が手に入れられていないでいるとしたら、

これこそ人類史は「徒労の歴史」ということになります。

「幸福になりたいのになぜなれないのか」

これこそ人類最大の課題ではないでしょうか。

 

先進国のトップを走るアメリカでは、

銃乱射事件が大きな社会問題です。

毎月のように発生する銃乱射事件にタイム誌が特集を組み、

その表紙に「ENOUGH(もうたくさんだ)」と大きく載せました。

「不特定多数の人たちに銃を乱射するなんてどうかしてる」

「なんでそんな事件をおこすのかわからない」

との声も聞きますが、何もわからないことはない、

「生きているのが苦しいから」の一言です。

科学が進歩しても、世の中が便利になっても、心は少しも穏やかになれず、

息詰まるほど寂しく、虚しく、無性にイライラし、周りを恨み、

「周りも殺してオレも死ぬ」とばかりに自暴自棄な事件を起こしているのです。

 

世の中は激変し、その狙いは幸福の獲得にあったにも関わらず、

どこまで走っても肝心の「幸福」というゴールがどこにもない、

こんな実態を仏教では『流転輪廻』といいます。

ゴールのない円周トラックを懸命に走り続けているような状態が流転輪廻、

この迷いのループから出離するのが仏教の究極の目的です。

 

 

 

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ノーサイドの精神を実生活にも

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【布施(1)】

 

南アフリカの優勝で幕を閉じたラグビーワールドカップ、

日本中が盛り上がりました。

話題になった一つが、

敗れたチームが試合後に花道を作って勝者を称える「ノーサイドの精神」です。

多くの日本人が感銘を受けました。

「ノーサイド」の精神とは、

戦意むき出しでぶつかり合っていた男たちがノーサイドのホイッスルが鳴ると、

敵も味方もなく健闘をたたえ合うラグビー精神のことです。

 

ラグビーだけでなく、スポーツを見ていて心打たれるポイントの一つはここです。

ボクシングでもゴングの前は鼻を突き合わせてにらみ合っていた両者が

決着がついた後、抱き合って相手に感謝の言葉をかけます。

 

オリンピックでも微妙な判定で負けてしまい、悔しくて号泣していた選手が、

それでも観客への敬意を忘れずチーム全員で一礼したり、

対戦相手と握手したりする姿に感銘を受けます。

 

またこれはスポーツだけではありません。

アメリカでは選挙の際、落選した候補が勝者に電話して祝福するという伝統があります。

敗者が負けを受け入れられなければ円滑な政権運営は容易ではないからです。

これも一つのノーサイドの精神といえるかもしれません。

 

国家間でもビジネスでも、あるいは最小の単位では夫婦の間でも、

さまざまなこじれやぶつかり合いがあり、

一方にとって認めがたい、おもしろくない決着がついたりすることもあるのですが、

そんな時、いつまでもそれを引きずり、恨み言を繰り返すのではなく、

現実を受け入れ、ノーサイドの精神を発揮すれば、

どんなにか世の中は住みやすくなることと思います。

 

 

 

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交渉を成功させるためにまず知っておくべきこととは

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【業界(1)】


私たちは自分の思いを理解してくれない人を

鈍くて、頑固で、思いこみの激しい人、と決めつけてしまいがちです。

しかし必ずしもそうとは限りません。

むしろそう決めつけてしまっている人の方が、

頑固で思いこみの激しい、というケースは少なくありません。

 

自分の思いを理解してくれない人がおかしいのではない、

理解してもらえないのがむしろ普通の状態なのです。

あなたがどれほど固く心から憂慮し、深刻に問題視している事柄でも、

相手には「それがどうした」としか思えないことはよくあることです。

それどころかそもそも相手にとっては、

その事柄自体存在しないということだってあるのです。

 

よって相手と交渉する時、説得する際、

まず念頭に置かねばならないのは、

自分の考え、思い、認識が相手の目には入っていない、という現実です。

あなたにはこれほどはっきり見えていることであっても、

相手には全く見えていないことがある、ことをよく自覚しなければなりません。

 

その出発点を忘れて話を進めるものだから、

だんだん相手がわからず屋に思えてきて、

交渉のテーブルを蹴り、非難したり、けなしたりすることが始まるのです。

 

ある男が部屋に入ってくるなり「ここは暑いな」と言う。

その時相手が「いや、私は寒いわ」と答えた。

するとその男「これが寒いなんて、君をどうかしてる」と非難し始めたとしたら、

そんな人と一緒に過ごすのはうんざりしそうですが、それと似ています。

 

自分の見ているものは相手には見えていない。

そして相手の見えているものが自分には見えていない。

その自覚に立つのが、話し合いの第一歩です。

これは国家間やビジネスの交渉や説得だけでなく、

日常の職場や夫婦や親子間でも同じことです。

 

 

 

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お祓いビジネスにだまされるな。占いを否定する仏教

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【占相(1)】


お祓いビジネスというのをご存じでしょうか。

「あなたには霊が憑いている。お祓いしなければならない」

と自称霊能者が声をかけるビジネスのことです。

十人に声かけると一人くらいは信じてお金を出すそうです。

そもそも悩みがあって霊能者に相談しに来ている人であり、

「なんで私ばかりがこんな目に」と不安にもなっているのでしょうし、

またその悩みの解決を占いや霊能力という手段に頼ろうと発想すること自体、

すでに「霊が祟る」だの「憑依する」だのという現象を信じやすい人でしょうから、

霊能者の言葉にコロッとだまされてしまうのです。

 

私は霊能者、占い師にも二通りあると思っていて、

一つは相手の財布のひもを緩めようと口からでまかせを言ってそそのかす人、

もう一つは思い込みが激しく、ふと感じたことを予知したと思い込んでしまう人です。

あるいはその二つをごちゃまぜにしている人もあるでしょう。

 

有名な霊能者にはどちらが多いか、考えてみたのですが、

最初は思いこみが激しいタイプの方が人を惹きつけるようにも思いました。

しかしよくよく考えれば、案外口からでまかせタイプの方が人気が出るのではないかと思い直しました。

それは口からでまかせを言った方が、

相談してきた相手のタイプに応じてどう言ったら相手が喜ぶか、相手が信じやすいか、

臨機応変に対応できるからです。

 

イギリスで制作された死者の霊魂を呼び出すという番組は、

ロンドンのお茶の間にトップクラスの霊能者の実態をさらけ出すことになりました。

呼び出す霊は、1800年代にチョコレート工場を経営していたジョージ・ブル。

仕事中、馬に踏まれるという事故で亡くなった人でした。

「いかにも出そうな」廃工場に赴く3人の霊能者、

それぞれが違う部屋でブルの霊魂と対話します。

ブルが如何にして命を落としたのか当ててみせる者あり、

ブルの霊が「憑依」し、「馬だ、馬に踏まれたっ…!」と、唸るような声で語る者もありました。

多くの視聴者は「霊能力ってやっぱりあるんだなぁ」と感心したでしょうが、

番組スタッフは撮影しながら、笑いをこらえるのに必死でした。

なぜなら、チョコレート工場を経営していた「ジョージ・ブル」は、

番組サイドででっち上げた架空の人物だったからです。

番組側は事前にジョージ・ブルのチョコレート工場の架空サイトを立ち上げ、

そこに彼の生涯とその死因が馬に踏まれてだったことを記していました。

まんまと霊能者たちは仕掛けた罠にはまり、

番組の出演依頼を受けた直後からジョージ・ブルの情報をグーグルで調べ上げ、

撮影日に向けて準備していたのでした。

このことを司会者から指摘されると、

霊能者たちは「最初から全部ウソだと知ってた」「司会者の心を読み取ってしまった」などと

苦しすぎる言い訳を繰り返しました。

 

占い師、霊能者にみてもらい「なんでわかるの?!」と思ってしまったという人もあるかと思いますが、

ここでそういう人に冷静に振り返ってもらいたいのは、

その当てられた情報はある程度予想の立つことではないですか、ということです。

あるいは家族、友人に言ったことがなかったか、

他の占い師に言ったことがなかったか、

SNSに記事や写真を過去にアップしたことはなかったか、

あるいはプロフィール欄に書いてあるようなことでなかったか、

持ち物や服装にわかるヒントがなかったか

最初にしゃべっているうちにどんどん情報を提供してしまっていることはなかったか、

など思い返していただければと思います。

 

仏教を説かれたお釈迦様は、

こういった占いの類いを人生のよりどころにするものではない、と諫められています。

 

 

 

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親鸞閉眼せば・・・遺骨の意味とは

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【葬儀(1)】


『親鸞閉眼せば賀茂川に入れて魚に与ふべし』

親鸞聖人晩年のお言葉です。

賀茂川は京都に流れる有名な川ですが、

晩年を京都で過ごされた親鸞聖人には、

賀茂川はなじみ深い川だったのでしょう。

「あの賀茂川に私の亡骸を捨ててくれ、そして魚に食べさせてやってくれ」

と言われています。

 

世間では葬式や遺骨を大事にし、

その遺骨を安置する墓も立派なものにするのがよい、

というのが常識になっています

これは日本だけでなく海外でも同じようです。

先日テレビのニュースで、

朝鮮戦争で戦死したアメリカ兵の遺骨を遺族が持ち帰った

と報道されていましたが、

欧米でも遺骨を大事にするのですね。

日本でも遺族が太平洋戦争の戦場であった南方の島々に行って

旧日本軍の自分の祖父母の骨を、

あるいは両親の遺骨を拾いに行くのが度々報道されます。

 

このように遺骨は大切に扱わなければならないものであり、

そのために寺があり、墓があるとみな思っていますから、

親鸞聖人が「川に自分の亡骸を捨ててくれ」と言われていることに驚く方も多いのではないでしょうか。

川に投げ捨てれば当然骨も散らばって無くなってしまいますから

遺骨を安置する墓もいらないことになります

されば「親鸞閉眼せば賀茂川に入れて魚に与ふべし」の言葉は、

親鸞聖人が「私の遺骨は別にどうなってもいいし、墓はなくてもいい、葬式なんかしなくていい」と言われているということです。

 

今日、親鸞聖人を開祖とする浄土真宗は、

日本の仏教の宗派で最大で、全国2万以上の寺院がありますが、

その浄土真宗の僧侶の多くは何を本業にしているかというと

葬式、法事、墓番です

親鸞聖人は葬式などしなくていい、遺骨や墓などいらない、

とご自身の名前を出してはっきり言われているのに

その浄土真宗、親鸞聖人の教えを継ぐべき使命を担う浄土真宗の寺院が

葬式や法事、墓番に奔走している現状は、いったいどうしたことでしょうか。

 

親鸞聖人の教えを伝えるべき寺がそうだから、

浄土真宗の門徒も、葬式や墓番をするのが浄土真宗であり、

死んだあとに用事があるのが仏教だと思い込んでしまっています。

 

今日葬式にかける平均額はイギリス12万円、ドイツ20万円、アメリカ44万円に対し、

日本は231万円と突出しています。

墓石も平均176万円と高額で、さらに土地代も必要です。

共働きで奨学金も借りてやっとやっと子供を大学に行かせる家庭が多い中、

この負担は馬鹿になりません。

 

ある50代の主婦が坊主への不満をこう語りました。

「毎月うちの仏壇に20~30分読経しにくる僧侶に、

母がその都度お布施に5千円包んでいたので、

今年から自分が変わって渡しているんですが、

ろくな挨拶や会話もせずお布施だけもらって帰って行く僧侶に、

だんだんこんなにお金出す意味あるんだろうかと疑問を持つようになって・・・・・・」

家事、子育ての傍ら、パートなどで生活費を稼ぐ一般庶民は

5千円稼ぐのにどれだけ大変かよくわかっているので、

坊主の態度がだんだん腹立たしく感じられるようになってきたのもよくわかります。

 

このような実態を見るにつれ聞くにつれ、

遺骨を大切にする人情に漬け込んだ葬式仏教に大衆は愛想を尽かし始めていることが知らされます。

いまにして親鸞聖人が

「亡骸は賀茂川に入れて魚に与えてくれ」

と仰った真意はどこにあったのか、かみしめなければ、

残るは死骸の仏教のみとなることでしょう。

 

仏教の葬儀のあり方を教えた内容はこちらです。

仏教の葬儀

 

 

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石川五右衛門辞世の句「石川や浜の真砂は」

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【貪欲(1)】

 

「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」

石川五右衛門の辞世と伝えられる歌です。

“川浜の砂がたとえ尽きることがあろうとも、この世の中に盗人がいなくなることはない、

なぜなら盗人の種が尽きることがないからだ”という意味です。

ここでいう「盗人の種」とは、人のものを盗みたいという心のことです。

奪ってでも、盗ってでも自分の物にしてしまいたいという欲の心が

人を泥棒という犯罪に走らせるのですから、

まさにその心は「盗人の種」です。

 

天下の大泥棒と知られる石川五右衛門は

武将の城に忍び込むその大胆で勇敢な盗みの手口から泥棒界の英雄となり、

五右衛門にあこがれ、泥棒稼業を目指す若者も現われる始末で、

ときの為政者は、このまま五右衛門を野放しにしていては都の治安はよくならないと

威信をかけた大捕物を断行した末、ついに五右衛門は逮捕されます。

第2,第3の五右衛門を生まないよう、

この男だけは泥棒にあこがれる若者がこりるような処刑をしなければ、と考えた政府は

五右衛門をあの有名な「釜ゆでの刑」に処します。

大きな釜で茹で殺したと伝えられ、今に五右衛門風呂として知られます。

 

さてその釜ゆでの刑に処せられる際、五右衛門が詠んだとされる歌が、

「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」です。

“オレをみせしめにしてこの世から泥棒をなくそうとしたって、この世から泥棒はなくならないぞ、

なぜなら人間の心の中に、誰にも知られなければ盗んでしまえ、

捕まらなければ人の物も盗ってしまえという欲の心があるからだ”

と詠んだ歌です。

 

石川五右衛門の予言通り、五右衛門処刑後も泥棒が絶えることはなく、

あれから400年以上経った今日もそれは変わりません。

当時の日本よりずっと法整備もされ、警察機構もしっかりし、防犯対策も向上していますが、

やはり窃盗、強盗、詐欺、などの犯罪はなくなっておらず、

石川五右衛門の予測は当たっていると言わざるをえません。

 

法律を整備すると、その法の抜け道を見つけてまた人をだまそうとする者が現われる。

それで法を改訂して抑止しようとすると、そのまた法の盲点を突く犯罪が出てくる。

いたちごっこです。

科学が発達し、その技術が防犯に生かされても、

盗む方も先端科学を利用し、新たな盗みのやり口を生み出します。

お金やカードを持ち歩くと盗まれるのが心配だからとネットバンキングを利用すれば、

ハッキングされ、口座のお金が盗み取られる犯罪もあり、

住所が特定されないよう、個人情報保護法を設定しても、

瞳に映った景色からその人がどこに住んでいるか特定するストーカーも出てきています。

カードナンバー、パスワードは盗まれる心配があるからと、最近では指認証システムが導入されますが、

ピースサインの写真からその人の指紋も復元し、指認証をパスする犯罪も出てきてます。

 

政治、経済、科学、医学と、どれだけ世の中が変化しても、

人間の心が変わっていないので、

犯罪がこの世からなくなることはないのです。

 

 

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