親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

裏切った彼が許せない

f:id:kikuutan:20210404172048p:plain

 

 


【無常(1)】


ある女性からこんな話を聞いたことがります。

「一生、君を大切にする」

「結婚しよう」

と彼が言ってくれたのが一年前。

それが最近どうも向こうが多忙なのか、

なかなか会う時間が取れない。

ようやく久しぶりに会えた際、

彼から突然の別れ話を切り出されたとのこと。

理由は彼に違う好きな人ができたというのです。

 

その彼女は、突然の彼の心変わりが許せず、

憤りを感じ、とても苦しいと訴えるのです。

こちらは自分の時間や自分の気持ちを相手に捧げてきたのに、

こんな仕打ちを受けるなんて、と。

 

こんな時、辛く悲しい気持ちになるのは当然です。

中には相手の心変わりが許せず、

こうして自分が独りぼっちで苦しんでいる間にも、

彼は違う人と付き合って楽しそうにしていると思うと、

許せない気持ちになり、

向こうの仲を壊してやろうとなる人もあるようです。

 

相手が許せない気持ちはよくわかります。

しかし向こうの仲を壊そうとするのは、やめた方がいいです。

こんな時、絶対やってはいけないのは復讐、報復です。

「相手に復讐することで心を晴らそうとするのは愚かですよ」

とブッダは教えられています。

それは自分をダメにさせ、よけい苦しむ結果になるだけだからです。

報復という発想は避けましょう。

 

ではこういう時、このやり場のない怒りや悲しみを

私たちはどうしたらいいのでしょうか。

今回は、その心が和らぎ、軽くなる

ブッダからのアドバイスを動画でお話ししたので、

よかったらご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=NyggS06YxTg&t=425s

 

=======================

仏教を分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

真の国際感覚について考えてみた

f:id:kikuutan:20210320152736j:plain

 

【法施(1)】


まだ20代の頃、ロサンゼルスで約二年間、

さまざまな人種、国籍の人に仏教の話しをしました。

ブディズム(仏教)のミッショナリー(布教使)は珍しいので 

関心もって聞きに来るアメリカ人はいますが、

意外だったのは、日本からの留学生に

仏教聞きたいという人が多かったことです。

 

よく留学生の彼らは

「留学するとかえって、自分は日本人なんだな」

と強く意識するそうです。

 

私も滞在中、日本人にとっては自然なことでも

アメリカ人にとっては違和感感じる思考、行動というのが

けっこうあるんだなと自覚させられたので

私以上にアメリカの生活に飛び込んでいる彼らが

日本人としてのアイデンティティを意識するのは

当然のような気がします。

 

留学生たちは海外での異文化体験を通して

もっと日本の文化と歴史や価値観を

自らが学ばなければならない

という認識を強く持つようになり、

仏教を学んでみたいと思うようになるようなのです。

「日本にいるときは仏教に関心なんか全然なかった」という彼らが

「お前の宗教は?」と聞かれ、

一応セオリー通り「仏教だ」と答えると、

「仏教徒はどんな教えだ」と聞かれる、

その時何も気の利いたことがいえない自分をなんとかしたくて、

学びたくなるのだとか。

 

国際感覚のある人、というと

英語がしゃべれる人、

向こうのマナーや常識に精通している人、

というイメージがありますが、

案外この「自分は日本人なんだ」という自覚こそが

国際感覚なのではないか、とも思います。

 

アメリカナイズされた料理を食べることや、

イタリア仕立てのスーツを着ることが

国際人ではないでしょう。

だいたい、アメリカ人の食事は、

糖尿病になりやすい日本人の体質には合わないですし、

イタリア製のスーツは胴長短足の日本人の体型には合わないのです。

 

むしろ、外国の人に、

「あなたに会えてよかった」

「日本人と触れて、こんなことを学んだ」

と言ってもらえるものを提供できる人こそ

国際感覚のある人ではないでしょうか。

 

日本独特の感性や思想が、とても外国人には新鮮で、

「人生の見方が変わった」と喜ばれることがあります。

思想でもよい、絵画でもよい。

映画でもいい。アニメでもいい。

自国のことを紹介し、

また、向こうのすばらしいところも紹介され、

お互い与えることのできる、

Win-Winの関係を構築できる人が「国際人」と言えるかと思います。

 

私は親鸞聖人の教えを通して

外国の人とそういう関係を築き上げていけたらなと思っています。

 

今、私のユーチューブを中国語の字幕をつけたいという方が現われ、

これを機に中国語圏に伝えたいなと思っています。

フランス語でも、アラビア語でも、モンゴル語でも、タイ語でもいい、

そういう方がおられたら一緒にやりましょう。

 

 

 

=======================

仏教を分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

「百日後に死ぬワニ」映画化でタイトル変わってしまった

f:id:kikuutan:20210311163807j:plain


「100日後に死ぬワニ」というマンガが今度映画化されるそうです。

このマンガ、ちょうど昨年の今ごろだったか話題になり、

私もその時一読したのですが、

仏教に通じる無常感が作品全体に流れていて、

心にしみるものがあったので、当時のブログにそのことを書きました。

https://kikuutan.hatenablog.com/entry/2020/03/30/%E3%80%8E100%E6%97%A5%E5%BE%8C%E3%81%AB%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%83%AF%E3%83%8B%E3%80%8F%E3%82%92%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E8%A6%96%E7%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%81%97%E3%81%A6

 

ところが今度の映画ではタイトルが「100日間生きたワニ」と改題されたそうです。

理由は「コロナ禍で死を意識する世界になったため」ということなんですが、

「おい、ちょっと待てよ、そのタイトル、変えちゃダメでしょう」と突っ込みたくなりました。

 

ワニくんが「○○後に死ぬ」ことは読者だけが知っていて、

本人含め、漫画の登場人物の誰も知らず、何気ない日常が過ぎていく

その切なさ、はかなさがあのマンガのテーマなのに、

「100日間生きたワニ」では、

その強烈なメッセージ性が失われるでないですか。

 

私は、コロナ禍で死を意識する世界なればこそ、

そのままのタイトルであってほしかったと思います。

 

それにしてもこの度の改題は、

人間がいかに「死」から目を背けていきたい存在であるか、

改めて知らされた思いがしました。

 

また蓮如上人の白骨の章の一節を思い出されてもきました。

「あわれというも、なかなかおろかなり」

いつ死ぬかわからぬ命を

いつまでも生きられるように錯覚して生きている

人間存在の悲しさ、愚かさへの述懐です。

 

「死ぬことなんか考えたって何の生産性もない」

「死の話なんかして何か儲かるんか」

と「死」をどうでもいいことと受け流す人類に

お釈迦さまは「生死の一大事」と、

これ以上の大問題は人類にはないと説かれています。

 

 

=======================

仏教を分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

人のあら捜しは何の意味もない愚行

f:id:kikuutan:20200622133821j:plain

 

 

今日は私の大学時代からの友人で、

同じ師の元で学び、ともに仏教を伝えてきた仲間でもある

添谷亮介講師のユーチューブを紹介いたします。

 

私と同じくホワイトボードを使って仏教の話をするという点で

私のチャンネルと同じ形式ですが、性格が全く違うせいか、

切り口、話題、話し方、みな違います。

彼の場合、本当に性根が優しく誠実なので、

その人柄が動画にも表れていて

「こういうの好きだな」と思われる方もあるのではないかと思います。

お時間ある時にでも覗いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=b5SESlgwzVA&t=16s

チャンネル登録してくださると、本人泣いて喜ぶと思います。

 

【今日の仏語】は『慢』の1回目です。


==============

 

「オレはあいつより勝っている」と思いたいのが、人間です。

思いたいだけでなく

「あいつ」にもそれを思い知らせたいと思っています。

さらに「あいつ」だけでなく、

周りの人にもそれをわからせたいと思っています。

これは大変強い私たちの渇望です。

 

ところが、私たちがよく知っておかねばならないことは、

自分と同様に「あいつ」も同じ渇望を持っているということです。

お互いが「オレはあいつより勝っている」と

渇望しているのですから、

こちらが自分の思いを押し通したら、

たとえその時には相手は引き下がっても、

心はおもしろくない思いで一杯でしょう。

 

空腹の人が食べようとしている目の前の定食を奪ったら、

どんなに気を悪くするかわかるので、

私たちはそういうことはしません。

ところが、私たちは

相手が飢餓感にも似た思いで渇望している

その「人より優れていると思いたい心」を無視して、

いとも簡単に、なじったり、馬鹿にしたり、

見下したりする言動を取ってしまうものです。

それは人が食べようとしている定食を

ひっくり返すような愚です。

 

怒らせたいのなら、そうすればいいのですが、

直ってほしいと思うなら、まことに逆効果です。

『人を動かす』の著者カーネギーは

「他人のあら探しは、なんの役にも立たない。

相手はすぐさま防御態勢をしいて、

なんとか自分を正当化しようとするだろう。

それに自尊心を傷つけられた相手は、

結局、反抗心をおこすことになり、

まことに危険である」

と言っています。

 

 

 

=======================

仏教を分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

親鸞聖人の比叡山での生々しい苦闘

f:id:kikuutan:20210226104935j:plain

 

【下山(3)】

 


親鸞聖人の下山の謎について回数を重ねています。

今日はその3回目です。

 

親鸞聖人は9歳で仏門に入られ、比叡山でご修行に励まれました。

その比叡山での20年間は、逆巻く煩悩との格闘でした。

『歎徳文』という古書は、

その生々しい苦闘の様子を今に伝えています。

「定水(じょうすい)を凝(こら)すと雖も

 識浪(しきろう)頻(しきり)に動き、

 心月(しんげつ)を観(かん)ずと雖も

 妄雲(もううん)猶(なお)覆う」

 

比叡山から東を眺めれば眼下には琵琶湖が広がっています。

親鸞聖人もご修行中、

幾たびもこの琵琶の湖水を眺められたことでしょう。

「定水を凝すと雖も」

琵琶湖の水面は風がないときには波一つなく、

鏡のように映えている。

「あの湖水のように親鸞の心はなぜ静まらないのか」

と悩まれた様子が伝わってまいります。

 

「識浪頻に動き」

【識】とは、煩悩です。

「思ってはならぬことが思えてくる。

 考えてはならぬことが浮かんでくる。

 恐ろしい心が噴き上がる。

 どうしてこんなに欲や怒りが逆巻くのか。

 この心、なんとかせねば」

 

平静な湖水に比べて渦巻く煩悩に泣く聖人が、

涙に曇る眼を天上に移されると、満月がこうこうと冴えている。

 

【心月を観ずと雖も妄雲猶覆う】

「あの月を見るように、なぜさとりの月が見れぬのか。

 みだらな雲がわき上がり、心の天を覆い隠す。

 いったいどうすれば」

 

「この山に私の助かる道があるのだろうか・・」

「どこかに私を導きたもう高僧ましまさぬか・・」

 

こうして親鸞聖人は、天台・法華の教えに絶望なされ、

ついに、下山を決意されたのです。

9歳で出家されてから、20年目のことでした。

 

3回にわたって親鸞聖人が比叡山の仏道修行を断念し、

下山された理由についてお話いたしました。

この後、しばらくして親鸞聖人は、

京都の吉水にて終生の師である法然上人と巡り会われるのですが、

この比叡山での聖人の葛藤を知ると、

その邂逅をどんなにこそ喜ばれたことか、思い知らされます。

 

 

 

=======================

仏教を分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

大曼行の難行も魂の解決にはならなかった親鸞聖人

f:id:kikuutan:20160124102434j:plain

 

【下山(2)】


親鸞聖人下山の謎を何回かのシリーズでお話しいたします。

9歳で仏門に入られてより20年間、親鸞聖人の比叡山での修行は壮絶を極めました。

比叡山で最も峻烈を極める修行である「大曼の行」まで成し遂げられています。

 

この修行はこんにちでも「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」として続いており、

この行を成し遂げると大阿闍梨、生き仏扱いされます。

 


千日回峰行は名の示すとおり、

12年間、比叡山に立て籠もり、そのうちの7年間は明けても暮れても、

山の峰から峰を歩き続ける修行です。

真夜中の12時前に起きて、

山の上と山の下の行者道を30キロ歩き、

300カ所以上も修行する場所があります。

はじめの3年間は、毎年100日。

次の2年間は、毎年200日。

その翌年は、100日。

最後は200日で合計、1000日。

その間、歩く距離は4万キロに及び、地球1周に相当します。

もちろん、雨の日だろうが、風の日だろうが、吹雪でも、

病気になっても修行は続行です。

もし途中で挫折した場合、持参の短刀で自害するのが、比叡山の掟になっています。

実際、江戸時代には、多くの修行者が自害しました。

修行を始めて5年目には、9日間、堂の中に立て籠もって食と水を断ち、

眠るはおろか、横にもなってもいけない決死の修行があります。

命を落としてもおかしくない荒行です。

 

親鸞聖人当時の大曼の行は、今の千日回峰行以上に厳しい難行でしたが、

親鸞聖人はそれを完徹されています。

 

ところがそれでも親鸞聖人』の暗い心は一向に晴れることはありませんでした。

親鸞聖人はなぜ暗い心になっておられたのか。

それは病気だったからでもなく、借金でもない、

誰かとの人間関係でストレスを感じられてのことでもない、

「私は死んだらどうなるか」

「必ず死にゆく命に何の意味があるのか」

という生死の一大事に悩まれてのことだったのです。

 

その暗い心は大曼の行を成し遂げても一向に暗いまま、何も変わらなかったのです。

 

今日も何人かの方が千日回峰行を成し遂げ、

講演や著作で、命がけの行で成し遂げて知らされたことは何だったかを語っています。


その一つにこのようにありました。

「少しずつ見えてきたものは何か。

日常にある当たり前の言葉であったり、

マナーであったり、人としての礼儀であった。

言葉にすれば、「ありがとうございます」「すみません」「はい」という、

人と人をつなぐコミュニケーションの言葉に重要な意義があると気付きはじめた。

そういう当たり前のことを徹底的に学ばせていただくために行というものがあるのだなと、

47歳になった今も改めて思う」

人間的に磨かれ、礼儀の大切さをしっかり学べたとのことですが、

親鸞聖人の求められた「死んだら私はどうなるのか」の不安の解決ができた、という声は

どの人からも一向に聞かれません。

 

浄土真宗で歌い継がれる『親鸞聖人のお歌』にはそのことを、

「大曼行の難行も ことなくなされたまいしも

 我ら凡夫の悟りには かなわぬものと」

とあります。

 

どんな難行苦行も、親鸞聖人の暗い心に灯りを灯すことはありませんでした。

それどころか知らされるのは、

欲や怒り、うらみねたみといった煩悩にまみれた醜い自己の姿ばかりだったのです。

 

親鸞聖人が

「自分のような者は悟れるものでなかった、救われるような者ではなかった」

と自己に絶望され、泣き泣き山を下りられたのは、

29歳の時でした。

9歳で出家されてより、20年の歳月が経っていました。

 

 

 

=======================

仏教を分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

親鸞聖人下山の謎

f:id:kikuutan:20210219154234j:plain

 

【下山(1)】


親鸞聖人は29歳の時、

20年間励まれた比叡山での仏道修行を捨てられ、

一人下山されています。

なぜ親鸞聖人は比叡の山を下りられたのでしょうか。

その理由を知ることは親鸞聖人とはどんな方だったのか、

どんなことを教えられた方だったのか、を知る上で、

大きな示唆を私たちに与えてくれます。

 

下山する、というのは安易な行動ではありません。

親鸞聖人は9歳で出家されてより20年間、

全身全霊を投じた学問修行を捨てられたのです。

よほどのことです。

ふつう2年か3年打ち込んできたことでも、

それをやめるというのはつらいことであり、決意が要ります。

司法試験合格に向かって5年間受験勉強してきたけどあきらめた、

甲子園目指して3年間必死に練習したけどかなわなかった、

としたら、どんなにこそつらく苦しいことかと思うのです。

親鸞聖人は3年、5年どころではない、20年間です。

 

しかも物心ついた9歳から29歳までですからまさに青春時代、

いろいろしたいこともたくさんある多感な時期です。

そんな時期に食べたいものも食べず、

飲みたいものも飲まず、

したいこともせず、

ひたすら仏道修行に励まれた20年間でした。

その20年間の仏道修行をすべて捨てられて山を下りられた、

ということは大変な覚悟であったに違いありません。

 

「仏道修行がつらくて逃げ出したんだろう」

と思われる方もあるかもしれません。

当時の比叡山にはそういう人も少なからずありました。

不眠不休の修行、肉類のないの簡素な食事、

異性のない環境、厳寒の山中、

根を上げる人がいても無理はありません。

 

しかし親鸞聖人の場合、それは当てはまりません。

「叡山の麒麟児」とまで評された方です。

麒麟児とは、何十年に一人の逸材のこと。

親鸞聖人は比叡山において

修行でも学問でも親鸞の右に出る者はないだろう、

と噂される方でした。

事実、大曼の難行までなされた方です。

大曼の行とは比叡山でも最も激しい難行で、

最澄が比叡山を開山して以来成し遂げた人は数えるほどしかいない荒行です。

その大曼の行まで成し遂げられ、

周りからも逸材と評された方が親鸞聖人ですから、

修行がつらくて、自信を失って、断念されたというのではありません。

 

20年間も居住なされたのですから、

さまざまな人間関係もあったに違いありません。

お世話になった方もあったでしょう。

下山するということはそれら恩義を受けた人を

裏切ることにもなります。

なかなかできることではありません。

 

また比叡山の僧侶という立場はそれ自体、

当時としては一つのステイタスでした。

生活も保証され、

今後、地位も名声も手に入るであろう身なのです。

下山は、そのすべての地位や立場を失うことを意味します。

 

さらには親鸞聖人は下山されたことで

叡山の人たちからは「恩知らず」と罵られ、

世間の人からは修行がつらくて逃げ出した「堕落坊主」と

嘲笑されることとなりました。

しかもその中傷は生涯続くのです。

 

もちろん親鸞はそんな中傷があることも重々承知の上で、

下山を決意されたのです。

なぜ、そこまでの決意をされたのでしょうか。

よほどのことに違いありません。

一切を否定されて、山を下りられた親鸞聖人の覚悟の裏には

一体どんなことがあったのでしょうか。

今回は親鸞聖人の下山の謎に迫ります。

 

 

=======================

仏教を分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。