親鸞に学ぶ幸福論

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雪かきは身施の実践の場

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【身施(1)】


先日、私の住む富山県は35年ぶりの記録的大雪でして、

アパートの駐車場のマイカー(軽自動車)が

雪にすっぽり埋まってしまいました。

上記はその写真です。

すごいですよね、ナウシカの王蟲みたいです。

 

それでここ3日ほどせっせと雪かきしたのですが、

その時に知らされたことを今回お話ししたいと思います。

 

私は自分の車が出せるように車の雪を落とし、

前進するための道をつくるために雪をどかしたのですが、

問題になってくるのは、

どかした雪をどこに持っていくかということです。

駐車場ですから、両隣には

同じアパートに住む人の車が駐車されていて、

私の車同様に雪に埋もれています。

一番簡単なのは、両脇に分けて積んでしまことですが、

それは明らかにとなりの車に迷惑をかけます。

それで面倒でも邪魔にならない遠いところまで

雪をもっていかねばならないわけですが、

これがけっこう大変なのです。

つい「どうしようかな」と心に魔が差します。

つまり「いいじゃん、自分の車だけ運転できるようになれば」と、

両脇にどかしたくなるのです。

 

ところがそうしなかったのは、

他の住民でそうしている人が誰もいなかったからです。

急いでいるからごめんなさい、自分の車だけ、

という雪かきをする人が一人ぐらいあるかと思いきや、

一人もいない、

みな大変でも他の車の迷惑にならないよう、

雪をどかしているのです。

その姿に感心してしまいました。

人によっては、自分以外の車の通る道も

「ついでだから」とばかりに雪かきしている人もいるのです。

 

雪が舞い降る大変な重労働の中、

なんで黙々と周りのことを考えて行動できるんだろう、と

頭下がる思いがしました。

 

これは私の想像ですが、おそらく富山の人は

子供のころから雪かきをする経験が多く、

親が他の人の迷惑になるような雪かきをしないのを

背中で見て学んでいるからではなかろうかと感じました。

 

仏教には『身施』といい、

他の人のために労働する親切が説かれていますが、

まさに雪かきというのは『身施』の実践の場ですね。

自分だけよければいいという心と戦って遠くまで雪を運んでいく、

こういう良き伝統がずっと受け継がれていったらいいなと思います。

 

 

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