親鸞に学ぶ幸福論

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AIと仏教の相違点

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AI(人工知能)が創作した料理のレシピは、

それまでの料理人の常識では考えられないようなものだそうです。

たとえば、うどんとトマトとココアを使うヌードルのレシピを出してくる。

半信半疑ながらレシピ通りに作ってみると、

料理人の口をして「意外にうまい」と言わしめる料理ができあがるとのこと。

AIは今後の料理界に革命的な進歩をもたらすだろう、と予測されています。

 

音楽業界でもAIは注目されていると、

知り合いのミュージシャンの方が言われていました。

楽器は弾けなくても、パソコンで作曲するミュージシャンはすでにいますが、

その一部分をAIで作曲する人も出てきているとのこと。

ロックでもジャズでもレゲエでもない、

今後AIが新ジャンルを世に生み出し、

どんな音楽ができるか楽しみだと言われていました。

 

子供を公認会計士にさせるな、と言われるのも、

やがて公認会計士の仕事はAIにとって代わられるだろうと予測されているからです。

裁判制度もAIの方が客観的に判断できそうですし、

政治もAIに任せた方が、個人や政党の私利私欲に走らない分マシだし、

少子高齢化対策、国の財政健全化対策など、

行き詰まった諸問題への画期的な政策も期待できそうなので、

やがてAIが導入されるでしょうし、

そのうち国民も「AIの方がずっと今の議員よりずっと良いじゃん」と思うようになり、

さらに進めば「AIのご神託」「AIのお告げ」という

近未来の小説や映画のようになるかもしれません。

 

しかしどれだけAIが、人間の頭脳の及ばぬ力量を発揮したとしても、

機械にはない、人間ならではの思索は厳としてあります。

たとえば「いったい私は死んだらどうなる のだろうか?」という問い。

これはAIは悩まないですが、

人間には厳としてこの問いがあります。

 

またAIには「こんなに苦しいのに、なぜ生きるか?」の問いもないでしょう。

しかし人間は、時に考えずにおれなくなります。

 

そしてこの問いに答えを示した仏説を

「聞きたい」という聞法心も人間ならではです。

 

『人身受け難し 今已に受く

 仏法聞き難し 今已に聞く』

AIにはない、人間の尊厳の理由はここにある、と仏教では説かれています。

 

 

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マンガで学ぶ仏教(9)『自惚れからは離れきれない』

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【慢(1)】


人を見下す心を仏教では『慢』といい、

六大煩悩の一つに数えられています。

 

自分は人より秀でていると自惚れ、

周りを見下している人を見て

「何を自惚れているんだ、あいつは」

と批判する人があります。

しかしそう批判している人もまた、

相手を見下し、

「オレはあいつのように自惚れないぞ」

と自惚れているのですから、

「慢心」に振り回されているという点で、同じです。

 

「そうか、人の自惚れているのを見下すのも、確かに自惚れだな、気をつけよう」

と思うと、またすぐ出てくるのは、

「ここまで己の自惚れを自戒し、抑制できるのはオレくらいだな」

との自惚れです。

どこどこまでも『慢心』から離れきれない人間の実態がここにあります。

 

今日はマンガシリーズ第9弾です。

「慢心」をテーマにしたマンガです。

マンガで学ぶ仏教『慢心』

そのマンガで問題提起していることを

さらに掘り下げて書いた文章もリンクに貼りましたので、

関心ある方はそちらもお読みください。

 

煩悩の塊に何の差別もない

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【名誉欲(1)】


仏教に説かれる『五欲』の一えられる『  名誉欲』は

褒められたい、認められたい、大事にされたい、という心です。

 

どのコミュニティにも、目立ちたがり屋はいますよね。

自分のことばかり話題にする人です。

空気が読めないのか、聞いてもいないのに、

相手の話の腰を折ってでも、

「オレが」「私が」と自慢話を始める。

「自分が話題の中心にいないと気が済まないのか、この人は」

と周りはあきれているのですが、

つい自分のことばかりしゃべるのは、

周りから認められたい、ほめられたい、評価を受けたいという名誉欲がそうさせるのです。

 

では自分のことは語らず、人に合わせる、もっぱら聞き役の人は、

奥ゆかしくて、人格的に優れているからかというと、そうともいえません。

こうして静かにしていれば、

人から悪口言われることもないし、

恥もかくことはないし、

おしとやかな人と好感持たれるだろう

と考えた上での振る舞いですから、

やはりそれも『名誉欲』です。

 

名誉欲 に動かされている、という点において

目立ちたがり屋とおとなしい人とは、

何ら変わるところはありません。

 

名誉欲を満たそうとする手練手管に、

その人の感性や頭の善し悪し、性別や容姿、

生まれ育ち、環境、文化、生活スタイル、しつけ、教育などで

違いが出るだけのことです。

一言で言えば、煩悩の表現方法の違いです。

煩悩に動かされている人間の実態は、

少しも変わるものではありません。

言うも言わざるも煩悩、

裁くも裁かれるも煩悩、

煩悩の固まりの人間に、何の差別もありません。

 

 

 

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僧侶は如来の代官たるべし

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【僧(1)】

 

かの聖徳太子が十七条憲法に

「“僧宝”として敬いなさい」と書き記された「僧」とは、

釈迦の代官」として、仏法を説く人のことです。

仏法を説く者はみな、

釈迦の代官」としての誇りと責任を胸に持たねばなりません。

自分の勝手な思いをしゃべるのではない。

あくまでも「釈迦の代官」として、

釈迦の教えをそのまま伝えるのが仕事なのです。

 

ならば僧侶たる者、

仏教の教えを正確に知ることがまず何より大事です。

正確に知らずして、

正確に伝えることはできっこないのですから。

 

では自分のわからない仏教の質問を受けた場合はどうするか。

「“それはまだ私はわかりませんので、聞いてから、またお答えします”と言いなさい」

と私は仏教の師から教えていただいています。

 

知らないことを自分の考えで

「だいたいこんな意味だろう」と伝えたら、

釈迦の代官ではなくなってしまいます。

「聞いてから、またお答えします」と言うと、

「何だ、知らんのか」と軽んじられると思うのかもしれませんが、

そう言って信用を落とすことにはなりません。

軽視されもしません。

逆に、この人は、信用できる人だなと思われるでしょう。

 

昔から「知らざるを知らざるとする、これ知れるなり」と言われます。

仏教の重さを知らされ、釈迦の代官を強く自覚する者なら、

わからないことを知ったかぶりして、

いい加減なことを言ってお茶を濁していく、ことはできません。

 

医師でも、これは私の手には負えない患者だな、と思えば、

「あの医師を紹介します」と紹介状を書きます。

医師はそうあるべきです。

治す自信もないのに「治せる」と豪語して、

殺してしまったら大変ですから。

「この病気は自分では治せないので、治せる医者を紹介します」

という医者を、決して患者は馬鹿にしません。

「誠実な人だな」と、信用は高まるものです。

 

仏教を伝える者も同じです。

知らないことは知らないと言うこと。

そして「聞いてから、またお答えします」と答えたなら、

その約束はちゃんと守ること。

それによって、「仏法のことは正しいことしか話さない人だな」と

信用されることになるのです。

 

 

 

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「人生やり直したい」と思った時に

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【無常(1)】


「人去りて知る身の不徳」という言葉があります。

大切な人が自分の元を去ってしまった時、

初めてその人を傷つけてきた、あきれさせてきた今までの言動を悔やみ、

自己の至らなさ、浅ましさに気づく、という意味のことわざです。

 

去っていった人のこわばった顔、悲しそうな目が

一日のうちの何度も何度も思い返されてくる。

「あのとき、なんであんなことをしてしまったんだろう」

「あそこで、あんなことを言わなければよかったのに」

とずっと忘れられない痛みとして、心から離れません。

 

「時をかける少女」「君の名は」など、

時を遡ってやり直すストーリーが多いのも、わかる気がします。

誰だって「あのときに戻ってやり直したい」と思うことのいくつかはあります。

しかし現実は過去に遡れるわけもなく、

一度崩れた信用はもう戻らず、

もう二度とその人が自分の元に帰ってくることはありません。

 

今さら後悔しても仕方ない、と言ってしまえばその通りですが、

やり直しがきかない、仕方ないことだからこそ、

人は悔やみ続けるのです。

「あのときに戻ってやり直したい」とは、

古今東西の人類の果たし得ぬ願望でしょう。

 

私たちはいかなる時も、

Uターンの許されない一方通行の道を進んでいるということです。

こうしてあなたがこのメルマガを読んでおられる今の一瞬一瞬も、

二度と戻らない過去となって、過ぎ去ろうとしています。

この事実を直視し、

「今、なすべきことは何か」

と迫る教えが仏教なのです。

 

 

 

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死刑は是か非か。浄土真宗・仏教はどう見る

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【人身受け難し(1)】

 

「人命は地球よりも重い」

「人間は生まれながらにして、おかしがたい尊厳を有している」

と人命の尊厳が叫ばれるのが今日の世の中です。

それは常識という以前に、人間の一切の営みにおける大前提です。

「人命は尊い」からこそ、医学は懸命に命を延ばすのですし、

政治も法律もその前提の元、国会や討論の場で論じられ、

科学も経済も教育も、人間の営みの一切が

命が重い という共通の理念の元、存在しています。

 

しかし一方で「人命は尊いが、おまえは別だ」と、

社会からレッテルを貼られる人たちがあります。

死刑囚です。

死刑囚、という存在は、人命の尊さとは何か、を考えさせられる存在です。

「人命は尊い、だから死刑を廃止せよ」と主張する人もあり、

「尊い人命を奪ったからこその厳罰だ」と反論する人もあります。

 

ブラックジャックというマンガに、このテーマを扱った回がありました。

犯罪に手を染めた少年が、逃亡中に事故を起こし、

ブラックジャックの手術により、一命を取り留める。

しかしその後の裁判の結果、死刑が宣告される。

裁判長の死刑判決に傍聴席のブラックジャックが叫びます。

「死刑にするため助けたんじゃない!どうしてわざわざ二回も殺すんだっ!なぜあのまま死なせてやれなかった!?」

死刑執行直前、言い残すことはないか、と問われた少年は、

裁判のときに叫んでくれた人に、ありがとうと伝えてください、

と言葉を遺す、という内容でした。

 

仏教は「なぜ生きる」「人命の尊厳」の核心を説く教えですから、

「安楽死」「自殺」などの問題と同様、

「死刑」問題、いわゆる

「死刑は是か非か」

「死刑囚は刑執行までなぜ生きるのか、なぜ生かさねばならないのか」

「死刑囚に命の尊厳はあるのかどうか」

といった問題にも鋭くメスを入れます。

 

 

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名利の大山に迷惑する(名誉欲と利益欲に振り回されている)

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【名利(1)】


親鸞聖人は『名利の大山に迷惑する親鸞だ』と告白されています。

『名利(みょうり)』とは『名誉欲 』と『利益欲』。

 

『名誉欲』とは、

「ほめられたい」「認められたい」

「大事にされたい」「人より勝りたい」

「見下げられたくない」「嫌われたくない」という心です。

.

『利益欲』とは『財欲』『物欲』ともいい、

「カネが欲しい」「モノが欲しい」という心です。

カネがあれば何かあっても安心ですし、

好きなものも買え、好きなことができますから、

とにかく「カネがほしい」と、皆追い求めています。

 

そして多くの場合、『名誉』と『利益』は比例関係にあるので、

ひとくくりに『名利』といわれます。

カネをもうける人は尊敬され、みな頭も下げ、言うことも聞きますが、

カネを稼げない人は周りから見下げられ、誰も寄ってきません。

カネには名声がついて回る、ということです。

逆もまた言えて、名声にはカネがついて回ります。

メダルを獲得したアスリートには、

スポンサーがつき、収入は増えます。

学問でも名声が高まれば、

本も売れ、講演料、大学での地位など上がり、

給与が上がります。

どの世界でも、注目を浴び、尊敬されれば、

人も集まり、カネやモノも集まるということです。

 

このようにたいてい利益欲と名誉欲は比例して増減するものなので、

まとめて『名利』といわれます。

 

親鸞聖人は名利の心が大きな山のごとくあるご自身の心を知らされ、

「名利に振り回され、迷い、苦しんでいる親鸞だ」と書き遺されています。

 

私たちから見ると、

親鸞聖人は、それこそ名誉欲も利益欲も度外視して生き抜かれたご一生だったように思います。

比叡山での僧侶たちの派閥闘争には目もくれず、

ただお一人六角堂に困られ、百日間祈願されたお姿。

都の貴族たちから高僧とうたわれ、

緋の衣を着て宮廷を出入りするのを夢見る僧侶らを尻目に

越後や関東の貧困な庶民たちの中に飛び込まれ、

その一人一人に膝詰めで仏法を伝えていかれたお姿。

その聖人のお姿からは、名誉欲 や利益欲に惑うことなく、

たくましく生き抜かれた鋼のような信念が感じられ、心を打たれます。

 

ところが意外にも聖人ご自身は、

名利に迷い苦しんでいるのが私の実態だ、と告白され、

「恥ずべし 傷むべし」と、懺悔されているのです。

ご自分の姿を徹底的に知り抜かれた方なればこその

懺悔告白なのだろうと知られます。

 

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